では、エホバとは何か、を考えましょう。
Vol.2に示しましたように、創造主ではありえません。
、新約聖書の「ヨハネ伝」1章にこうありますからね。
「創造主を見たものはまだひとりもいない。ただ父のわきにおられるひとり子の神が、創造主をあらわしたのである」(1章18節)
だがアブラハムはエホバを目の前で見ています。
だから、創造主ではない道理になります。
でも、エホバは霊的存在です。
霊的存在であって、創主でないとしたら、もう残るは、天使か人間しかありません。
御子イエスでも、聖霊でもあり得ませんからね。
でも肉体を着ている人間の霊が、エホバであることなどあり得ないでしょう。
だとすれば、残るは天使しかいない。問題は、どういう天使かということだけです。
結論から言って、それは「人間(正確には、ユダヤ人)に対して、創造主の代わりに創造主として臨む天使」ということになるでしょう。
そんなことありうるのか?
人間社会で考えましょう。
終戦後の日本に、重光全権大使という方がおられました。
1945年9月2日に、ポツダム宣言を受諾して敗戦した日本国の全権大使として、降伏調印をした人です。
東京湾から20マイルの沖合に停泊していた米国の戦艦ミズーリに行って連合軍に対して調印をました。
このとき、まだ、戦後の日本国新憲法は出来ておりませんでしたので、国家の主権は天皇にありました。
重光氏はその天皇に代わって、調印をしました。
全権大使として。
彼は国家が降伏したことを確証する権限を天皇より委任され、調印したわけです。
そうなったら重光氏の調印は、天皇の調印と同じ効力を持ちます。
これが全権大使です。
エホバはその重光氏のような地位の天使だったのではないでしょうか。
その際、天皇にあたるのはもちろん創造主です。
創造主を代行して、人間に対しては創造主として行動する。
そういう権限を委任されて行動した、そういう天使だったのではないでしょうか。
もちろん、そんなことは聖書に明記されてはいません。
春平太の知る限りでは、聖書の中に名前を持って出てくる天使は、ミカエルとガブリエルです。
二人はともに天使長なようです。
ミカエルは戦いの天使長と解読できる。
ガブリエルは創主の御言葉を運ぶ天使の長と解釈できます。
二人は軍隊の中でも相当地位が高いんでしょうね。
長だから。
だけど、エホバはもっと地位が高い。
おそらく天使の中で最高の地位にいるのではないでしょうか。
なにせ、創造主の権限を委任されて代行するんだから。
また、聖書には明記されておりませんが、この天使はイエスがこの世を創造するときにも、付き従っていたのではないでしょうか。
創世記の始めのところに、創主(イエス)が人間を創るところがあります。
このとき、イエスは「われわれに似せて人を創ろう」といいますよね。
この「我々」は、イエスと彼に付き従っていたエホバ天使ではないでしょうか。
(それほど地位の高い天使)
そんな推測もしたくなります。
(続きます)
エホバを一人と考えますと、おっしゃる通りエホバは創造主ではありえません、、、と言うことになります。例えば、ヨハネの1:18に「誰も創造主を見たものはいない」、と書いてあれば創世記に「見た」と書かれていれば、これは違うということになります。でも、そうでしょうか?そうやって切り捨てていくと、父なる神でもイエスでも聖霊でもなくなってしまう?のでは?
でも、御使いだとするともっと具合の悪いことが多すぎます。例えば、イザヤ書の2章を見ています。主おひとりだけが高められる。とありますが、これは御使いではありえません。19節の小文字の主は御使いかもしれませんが、同じ節の大文字の恐るべき御顔の主が御使いとは思えません。
また、裁きのことを思います。ヨハネ5:27には『父はさばきを行なう権を子に与えられました。』とあります。以前は父なる神、そしてそれをイエスに与えたということですよね?それですと、旧約の裁きを行なった主が御使いというのはありえません。
エホバが誰かは結論からいうとわかりません。父なる神、イエス、聖霊、また三位一体の神が色々な箇所ででてきて、それをエホバを呼んでいると考えるのが私は一番納得しやすいですが、納得しやすいということで、やはり考えれば考えるほど分かりません。
一つ分かることは、創造主であるということ、被造物があがめるお方は唯一創造主ですから。
『主のみことばは純粋。主はすべての彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。』(詩篇18:30・31)
以上、small groupの続きでした。愚妹in Him
このブログを見つけてからよく読ませていただいています。クリスマスソングに出てくる天使(お仕事を持っていたり、よく軍団と表現されていたり)いったい彼らはなんだろう?と思っていました。いろいろ納得してます。すごくおもしろいです!(ご本の三島論、2度読みまして、昨今のことと合わせて今も考えています。)
あそこの三島論が解る人は、日本人の無常感を客観視できる人だと思ってます。(差し支えなければおおよその年齢が知りたいです、50代後半、60代前半とか・・。わたくしが日本を考えるためのデータとして)
情報感謝です。
あの本では、わたくしはマーサさんの言われる父(神)を、「変わらざるもの」と把握して書きました。聖書のキーワードから光を当ててみたわけです。
おっしゃるとおりに、日本はなってきておりますね。三島さんも、もう少し遅く生まれられたら、あの洞察力がもっと空回りすること少なく活躍されたことでしょう。惜しいですね。
ところが、彼は複雑でして、当初それを表に出さないんですね。代わりに、日本と同質であるところのギリシャ文化を讃美し、欧米をこき下ろす。しかし、時とともに人間の心には”変わらざるもの”が必要と言うことが無視しきれなくなる。そして、日本人には天皇しかない、と民族の意識変革を企てていきます。
時代とのミスマッチのなかで、奮闘するその純情さ。日本人として涙を禁じ得ません。久しぶりに、書いたころの自分に戻していただきましたよ。
(じゅんこさん、その後お元気ですか?)
+++
その後、春平太のエホバ概念は少々修正されました。
「創造神として振る舞うことを赦された天使も用いることの出来る創造神の名」
~というのがそれです。
これですと、旧約聖書でのエホバが創造神である場合もある」となります。
そして、すべての説明がつきそうです。
+++
そしてもう一つ追加。
エホバの名は、創造神の「暫定的な名」だということです。
真の名が「イエス」であることを鹿嶋は、ユーチューブの「ヨハネ伝解読」シリーズの中で説明しています。
「イエスの名が現れるまでの、暫定的な創造神の名」
・・・というのが現時点での春平太解読で~す。