前回、エホバは、創主の権限を委任された位の高い天使ではなかろうか、と申しました。
今回は、そうはいっても、全ての権限を委任されていたのだろうか、ということについてを考えます。
全ての権限は委任されていなかったのではないでしょうか。
重光全権大使は、正確には特命全権大使でした。
「特」というのは「特定の」という意味です。
「命」は「任務」です。だから特任全権大使といってもいい。
その特定の任務が、「(天皇に代わって)降伏文書に調印すること」でした。
重光全権大使も、憲法を改訂したり、国会の開会を宣言したりする権限まで委任されていたのではありません。
ましてや、調印する前に思い直して「やっぱりもう少し日本は戦う、世界に大和魂を記憶させるために」
とかいって軍隊を動かしたりするような権限は委任されていないのです。
エホバにも、委任されていない権限があったと考えられます。
その代表は、「(人間の)罪を許す権限」ではないでしょうか。
旧訳聖書に、エホバが人間(ユダヤ人)の罪を許した、という記述は見あたりません。
彼は、赦すのでなく、罰を与えると自ら宣言しています。
「出エジプト記」の20章に、エホバがモーセ(ユダヤ人)に有名な十戒を与える場面が記されています。
ここでエホバは、自分が与えるこの戒め(律法)を守らないものには~~
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「父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし・・・」(20章5節)
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~~と述べています。
対して、イエスはどうでしょうか。
彼は地上にいる間に「あなたの罪は許された」と人間に宣言しています。
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「・・・イエスは彼らの信仰(信頼心:鹿嶋の解釈)を見て、中風の人に
『子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は許された』といわれた」
(マタイによる福音書、9章2節)
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~~ということはもちろん、父なる創造主もまた、人間の罪を許す権威を持っている方だということです。
イエスにはその権威が委任されているのです。
ところが、エホバには委任されておりません。
エホバ神というのは、そういう限定的な神だということを悟ると、
聖書の構造とりわけ旧訳聖書のそれは俄然見えてくるのではないでしょうか。
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