鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.16 「人間と比較しつつ天使を(12)~~軍人の裁きは別枠~~」

2006年11月19日 | “エホバ”の奥義
                    

 天使に悔い改めと赦しがない理由は、もう一つ推測されます。
春平太は、このシリーズで、天使は軍団で統率されるように創られたことになる、と申しました。
もっと明確にいうと、最初から「軍団として創られた」です。
天使はみな軍人なのです。

                    

人間社会でも、軍人は、一般社会人とは別のルールで統治されています。
その必要があるのです。

軍隊は戦になったら勝つことが必須目的です。

一般社会では、人間尊重・個人の人権も大事な正義です。
基本的には軍隊でも同じでしょう。

でもそれは平時でのことです。
軍隊では戦になって負けたら、正義もなにもなくなるのです。
自分たちの法が施行されていた、その社会・国家すら破壊されてしまう。
そして相手の設定した法で統治され、裁かれてしまいます。

自分たちの平時の正義を守るためにも、とにかく戦には勝たねばなりません。

                    

<命令系統で動く組織>

戦では、組織行動の迅速さ、スピーディであることが求められます。
ぐずぐずしてたら、勝てるものでもやられてしまうのです。
だから、組織は100%命令でもって動かすようになります。
人は命令には絶対服従で行動するようにします。
個人の人権、個人の発言権が大事だ、といって議論させていたら統率の弱い、のろい軍隊になってしまいます。

                     

<軍法会議>

裁きもまたそうです。
軍団は、一般社会とは別枠の裁きの場を持ちます。
軍法会議(軍事裁判所)がそれです。

ここでは一般社会の裁判所のように、何年もかけて入念に裁くことは通常しません。
軍法という、別枠の法律で裁きます。
そこでは即決裁判も少なくありません。

 軍人には敵前逃亡という罪があります。
戦に出されて、いざ敵を前にすると、恐怖でふるえることがよくあるそうです。
とくに、初年兵はそうなりやすい。
それで、逃げ出してしまう。

 これについてはその時の精神状態がどうのこうの、とか、情状酌量の余地はあるかどうか、などを
いちいち確かめたりすることはほとんどありません。
即決裁判で処刑です。

軍隊世界には、「赦し」がないのですね。
赦しがないですから、「悔い改め」も効力がありません。
悔い改めたって、赦されないんですからね。

天使もそういう世界にいる存在と推定できます。
彼等は赦しのない社会、赦しのないルールのなかで生きているのです。


                    

<強大な権能と認識能力>

 可哀想に・・・。
そんな厳しい世界の中で暮らすように、創ってあげなくてもいいのに・・・。

でも、その必要があったのではないかなあ。
天使には、強大な権能が持たせてあります。
火になり、風にもなり、人間の身体細胞を霊的に変化させて、癒すことも出来ます。
おまけに霊界が見える認知能力も持っている。

霊だから、羽根などなくても、天の創主王国と宇宙、地球上をも行き来できる。
霊だから、病で苦しめられるという恐怖がない。
霊だから、死の恐怖もない。

~~大変なもんです。

                    

これで、ロボットではない。
自由意志をもって、自ら考え行動できる被造物として創っています。

こういう被造物を、自分の生活を楽しむ存在として創ったのではありません。
創造主に仕える使命を持った存在として、そういう使命をきちんと守っていく存在として創るのです。
これはやはり、厳格な命令ー服従の組織の中に置くしかないのではないでしょうか。
それだって、ある天使長とその配下は、使命を外れて創主に反逆したのですから。

                    

 これが天使です。
聖書では、この天使が常時多くの場所で働いていることになっているのです。
(そういう状況をイメージしながら読まなければなりません)

最後の審判だってそうですよ。
イエスが裁く、となっていても、実際に(イエスの下で)裁きを実行するのは天使たちですよ。
きっとその裁きは、厳しいものになるでしょう。
細かいところ、曖昧なところなどはバサッと処理してしまう。
明快で、男性的な裁きです。

そういう裁きしかできないんですね。
そういう体質なんですから、天使は。

~~さあ、以上を良く踏まえて、エホバとは何か、を考えましょう。

(続きます)

                    

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9 コメント

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「考える宗教」に対する私の考え (じゅんこ)
2006-11-21 03:09:24
「考える宗教」を拝読させていただきました。始めに結論を申し上げますと、私はそうは思えません、ということです。その理由を書かせて頂きます。

「悪魔の支配下にある楽園に人を造ったのは、悪魔のしわざを滅ぼすという仕事のためであるので、人間を罪人になって苦しむように創るしかなかった。その証拠に人の体はいとも壊れやすい。また、知恵の木の実の周りにケルビムと輪を置いてか罪を犯さなくさせることもできたのにそれをしなかったのは、罪を犯すことを想定していたからだ。第一ヨハネ3:8には、イエスが来たのは悪魔のしわざを打ち壊すためとも書いてある。人間社会を悪魔のわざを滅ぼす舞台装置として創ったとすると、なぜ人間が創られたか?どうしてイエスが人にたいして特別にえこひいきするほど何度も憐れみをかけたか?の理由がつく。その理由は何も理由がなくて人を創ったとするより納得がいくのではないか?」・・・と解釈しましたが、この解釈にそって書いていこうと思います。

Ⅰ 悪魔のしわざを滅ぼすために人は必要か?
『この世界とその中にあるすべてのものお造りにになった神は・・・何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要なありません。』(使途17:24~25)
神はもともと悪魔のしわざを滅ぼすために人をつくるなどという回りくどいことをする必要などないお方です。神は悪魔を裁き打ち負かすことが出来るお方です。それは、次の箇所からもわかります。
『引き下がれ、サタン。あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。と書いてある。すると悪魔はイエスを離れていき、見よ、御使いたちが近づいてきて仕えた。』(マタイ4:10)

Ⅱ 人の体は壊れやすいか?
人は死なないように造られていましたから、こんなに強い体はありません。勿論病気などもありませんでしたし、動物に殺されることもありませんでした。(病気などは罪の後に入ったものですから、これは分けて考えたいです。)

Ⅲ 何故知恵の木の実を食べないようにケルビムと輪で防がなかったか?
天使と同じに人もロボットのように造られていませんでした。罪を犯すために知恵の木の実を置いたのではなく、その逆だと思います。天使が悪魔になったことを考え、同じ罪を犯さないために、神との関係を第一にして欲しい。神とつながっている中での自由を与えたのだと思います。知恵の木の実の存在は、創造主と被造物の関係を崩さないためのものでした。(罪を犯した後においたケルビムと輪は、義の神に不可欠な正しい裁きの一つですので分けて考えたいです)

Ⅳ 『神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわす為です。』(Ⅰヨハネ3:8)
この箇所については、神の子イエスが人として世に遣わされたのは、罪を犯した後のことですから、分けて考えたいです。)

Ⅴ イエスの特別な憐れみの深さは尋常ではないのは、始めから人を苦しむように造ったから?
イエスの憐れみの深さは、確かに聖書の一番のミラクルかもしれません。何度も罪を犯す人間をどうして断ち切らないで、何度も赦すのか?どうしていけにえを何度も受け取るのか?おまけにいけにえを捧げなくてすみように、ご自身が人間との関係を持つためにのろわれる者にさえなって、、、どうして?と、思います。
『神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。・・・神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。・・・すべての生き物を支配せよ。』(創世記1:27~28)
聖書をそのまましか読めない単純な私です。神は始めに人を造った時、祝福し、大変良い、と仰せになりました。これから苦しむように造った人に対して、こう仰せになったと解釈することは到底できません。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3:16)
人が罪を犯した後の人となられたイエスのことを考えても同じです。

Ⅵ なにも理由がなく人間が創られたと考えるより、悪魔のしわざを打ち壊すために創られたとするほうが、理解できるのでは?
神が人間をどうして創られたか?を考えてもわからない、というよりわかろうとすることが無理なように思います。どうして人を創られたのか?どうしてそれほどまでに人を愛されるのか?その御心は決して私には分かりません。でも、聖書を読んでいますと聖霊が話しかけます。そこには、「自分が造った人を私は愛する」というメッセージしか伝わってきません。それは、道具として愛する以上の愛、人格を愛するといいましょうか、そのような愛を感じます。
『陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。・・・陶器が陶器師に、彼はわからずやだ。と言えようか。』(イザヤ29:16)

以上の理由から、春平太さんのお考えと違うことを書かせていただきました。考える聖書に私は賛同します。聖書の答えを聖書の中から探そうと毎日しています。しかしながら、分からないことまで考えようとしたり、聖書に書いてないことを想像でこうではないか?と考えることはできません。なにしろ聖書に書いてあることもほんの少ししか分からない(分かったと思っていることも、分かってないかもしれませんが)のですから・・・。また、ご意見拝聴させてくださいませ。
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見解分かれるね (鹿嶋春平太)
2006-11-21 08:44:37
う~ん、
そうすると、masaさんとも、見解が分かれますね。

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見解分かれてしまいました (じゅんこ)
2006-11-21 09:44:08
そうですね、分かれてしまいました。masaさんはすぐ納得なさいましたが、どうしてそう簡単に納得なされたのか、お聞きしたいところです。私のような疑問は、持たれないのかしら?
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納得した理由 (masa)
2006-11-21 19:57:04
なんで納得できたかというと常々、なぜ神様はあえて悪魔がうようよいるこの宇宙のなかに人間を創ったのかという問題意識をもっていたからです。問題意識をもつ前に解答を与えられても、予習をしないで授業を受けるのと同じくあまり頭に入りません。しかし、授業を受ける前に問題を自分で解こうとしてみたけれど解けなくて、もやもやした状態で授業を受けるとその内容がよく分かりますよね。それと同じようなものだと思います。たぶんじゅんこさんは、そのような問題意識をもっておられなかったのではないでしょうか?
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命題に疑問? (じゅんこ)
2006-11-22 08:10:37
masaさんのコメントを読ませていただいて気がつきました。それは、「なぜ神はあえて悪魔がうようよいるこの宇宙のなかに人間を創ったのかという問題意識」にありました。気がつかせてくださって、ありがとうございました。

私には、この問題意識はありません。ここに問題意識を持っていかなければならない命題にそって考えていたことにも愕然とした、といっても過言ではありません。

その理由は、こうです。神は悪魔を創りませんでした。神が創ったのは、神に仕えるようにした人と、神と人に仕えるようにした天使でした。

共に神と関係がつながっているとき死なないように創られました。(たとえ、そこにうようよ悪魔がいたとしてもです)その上には神がおられますからその下に仕えている時は安全でした。神は、社会も人も天使も安全に暮らせるようにお創りになりました。それ以上でもそれ以下でもない、というのが私の考えです。

余談ですが、ユダの福音書の考え方と共通項があると思いますが、ユダの福音書も私には理解不可能です。
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あんのうん (masa)
2006-11-22 09:31:18
「神が創ったのは、神に仕えるようにした人と、神と人に仕えるようにした天使でした。」とのことですが、人間よりも天使のほうが先に創られたので、天使は当初人間に仕えるようには創られていなかったと思います。人間が創られてから、神様から人間を助けるように指示されたものと思われます。ではなぜ神様は天使にそのような指示をされたのか?ということになります。また神様は一天使が悪魔に変貌してからその後に人間を創られています。悪魔を滅ぼしてから人間を創っても良かったのです。ではなぜこのタイミングで?という疑問もわきます。時系列を念頭におくことも大切だなぁと思いました。
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もし、’悪魔を滅ぼしてから人間を創ったら? (じゅんこ)
2006-11-22 11:52:44
masaさん、ヒントをありがとうございます。本当ですよね、どうして、悪魔を滅ぼしてから人間を創らなかったか?そのことに気づきませんでした。こういう仮説は本当は好きではありませんが、このことをちょっと考えてみました。

天使は死なないように創られました。このことを思います。死は恐怖ですが、その恐怖がなかったのです。でも(だから)、悪魔になってしまい、死なない状態でハデスに行くというまさに本当の恐怖の世界に閉じ込められてしまいました。

それを人間にはさせたくなかった、というのはどうでしょう?だって、人間だって死なないように創られたのですから、同じ高慢がもたげても不思議ではありませよね。でも、簡単には聖霊をのろうようには創られなかった。そこに神のfavoritismがあります。神は結構えこひいき?

知識の木は、罪を犯させるためのものではなく、その逆の悪魔のようにならない為に人間を守るための木だったと考えると、天使が悪魔に堕落してしまった後に、人間を創ったというのも納得できます。

でも、くどいようですが、私なんかの納得は何の意味を持たないことも承知しております。でも、やはり、感謝祭も近づいておりますので、口幅ったいことをもうしあげてしまいました。乞許

Happy Thanksgiving Day to all of you. God bless you. 
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たま~に (鹿嶋春平太)
2006-11-25 09:04:10
>たぶんじゅんこさんは、そのような問題意識をもっておられなかったのではないでしょうか。

~~masaさん、たま~に、鋭いこと言いますね。
年に、一回くらい・・・。
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意味深い討論 (鹿嶋春平太)
2011-11-28 10:07:39
久しぶりに読み返しました。

じゅんこさんとmasaさんは意味深い討論を
しておられたんだなぁ・・・。
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