沖縄タイムスの連載をまとめなおした、謝花直美『証言 沖縄「集団自決」 ―――慶良間諸島で何が起きたか』(岩波新書、2008年)を読む。あまりにも危険で、誤っている教科書検定を機に、これまで語ってこなかった多くの方々(サバルタン)が語り始めたのは、恐ろしい犠牲を理不尽に負わされた「自分史」を否定されたこと、それから同じことが将来起こりうるという確信、によるものだろう。
この「語る」ということが如何につらいことなのかについては、当然ながら、想像することしかできない。ただ、当事者の百万分の一に過ぎないかもしれないが、受苦の思いを共有することが義務に近いものだろうとおもう。本書も、やはり読み続けるのはつらいものがある。
教科書検定で「集団自決」の日本軍強制が消されたことについては、多くの当事者たちが、はっきりとその罪を口にする。
「「どこから、自分たちは、こんな大事な命、自分たちで(絶つなんて)・・・・・・、考えても考えられない。軍が強制したんですよ。消されたのは間違っている」」
「「周囲を見ると、親子そろっているのはわずかしかいない。親が手にかけたものの、最後まではできない。首に傷を残したまま生きている子どもたちもいた」。
親にいったん手にかけられた子どもたちの心に、どんな傷が残ったのか。」
「「「集団自決」の体験は、いつも頭の中にある。300人余の人たちが亡くなっているわけですから。だから、できるだけ時間をかけて忘れよう、忘れようとして努力してきた。でも、またこのようなことが起こって・・・・・・」。」
「「戦後、沖縄ではたくさんの政党ができ、複数の新聞が発刊された。戦前とは違い、次第に批判能力というのが培われてきた」。しかし、高校歴史教科書の「集団自決」記述の軍強制の削除、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」問題など、歴史を歪曲しようとする動きに対して疑問を持つ。「これまで大いに意見を言い、日本の戦争政策を批判し合ってきたはずだ。その中から何が生まれたのかと思うと非常に疑問だ」と言う。」
「母親は死に物狂いだった。なたを男の前に差し出しながら歩いたが、誰も応えようとはしなかった。住民は米軍に捕まったら残酷な殺され方をすると信じ込まされていた。母親の姿は特別ではなく、住民の姿そのものだった。」
こういった生の声、おそらくは痛い思いをしながらしぼり出されたであろう声に耳を傾け、かたや現与党やメディアの報道を―――教科書検定でも、イージス艦の犯罪でも―――みると、絶望的なほど距離があることは確かだ。