Sightsong

自縄自縛日記

リューベン・ウィルソンにお釣りをもらったこと

2008-03-28 23:59:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

オルガンのリューベン・ウィルソン、ドラムスのバーナード・パーディ、ギターのグラント・グリーンJr.が組んだ「マスターズ・オブ・グルーヴ」による新作を買いそびれてから放っといたのだが、気がついたら、なぜか「ゴッドファーザーズ・オブ・グルーヴ」名義になっていた。しかもジャケットは文字以外同じだ。何かあったのだろうか・・・なんにせよ、聴きたかったので入手し、繰り返しかけてツマに呆れられている。


これが以前買いそびれたCD(Amazon.comで品切れになっている)

メンバーはうわっと言ってしまうくらい「コテコテ」である。リューベン・ウィルソン『Love Bug』(Blue Note)などのジャズの傑作を60年代に残しているものの、その後は、すくなくとも日本においては、なかばリアルタイムの存在としては忘れられた人物だったに違いない。ノリノリで臭い「ソウルジャズ」に、多くのジャズファンが眼を向けるようになるのはそんなに古い話ではない。バーナード・パーディも、ジャズという面から云々されることは少ない(浅川マキが好きなドラマーとして挙げていた記憶がある)。そしてグラント・グリーンJr.は、あのグラント・グリーンの息子であるがために、色眼鏡で見られることが多かったように思う。偉大な親父の磁力圏から逃れるために、グレッグ・グリーンと名乗っていたこともあった。

かく言う自分も、2002年にロンドンを訪れた際、空いた時間で何か聴きに行こうと思ってホテルで調べたら、このトリオの予定を見つけ、リューベン・ウィルソンってまだ健在だったのかと知ったのだった。20時以降まで仕事をした後で疲れていたが、ヨーロッパの夜は遅いから、カムデンタウンにある「Jazz Cafe」というライヴハウスに電話で予約を入れ、地下鉄で出かけた。電話口では、「席はないが入れる」とのこと、意味がよくわからなかったが、到着してわかった。オールスタンディングだったわけだ。

パーディーが前に歩みでてきて「俺たちゃマスターズ・オブ・グルーヴ!!」と大きな身体を揺すりながら叫ぶところからはじまった。パーディーのドラムスが良いのは勿論だが、リューベン・ウィルソンのオルガンには驚いた。ネジが外れているのでもないが、平気で外れていき、オルガンの猥雑さをドバドバと開陳するような勢い、悪ノリも含めてイケイケドンドン。若いのはグリーンJr.だが、余裕があって、アドリブのフレーズを歌いながら弾く格好良さ。フロア中が大興奮とはあのことだった。自分も疲れていて、立ちっぱなしで、空きっ腹にあのロンドンの大きなビールを流し込んでいたので、途中で後ろに倒れそうになって、後ろの人たちがおっとっとと支えてくれたのが哀しい思い出である。

演奏が終って、興奮した皆がステージに上がって、CDを買ったりサインを求めたりした。私も3人のサインを貰い、リューベン・ウィルソンに直接お釣りを貰ったり(笑)して、ほくほくしていると、他の英国人が鼻息荒く「CDはどこで買えるんだ!?」と訊きつつステージに突入していったことを覚えている。

そのときの『MEET DR. NO』(Jazzteria、2001年)では、トリオにベースとゲストを加え、「ジェームス・ボンドのテーマ」なんかを演っているのが楽しい。そして今回の『THE GODFATHERS OF GROOVE』(18th & Vine、2006年)も魅力が爆発している。ロバート・ジョンソンの「Sweet Home Chicago」もいいし、グリーンJr.が歌っている定番「Everyday I Have The Blues」も嬉しい。グリーンJr.は、「Just My Imagination」では、アドリブにあわせて調子にのりやがって歌う。難点は、気持ちが良すぎて聴いていて寝てしまうことだ(笑)。

リューベン・ウィルソンは、自分のリーダー作『Organ Blues』(Jazzteria、2002年)では、同じトリオにサックスのメルヴィン・バトラーを加えている。これが甘いテナーで、好みもあるだろうが、どうも合わない。せっかくの「After Hours」などのブルージーな曲がユルユルのだらしないものになっているのだ。昔の『Love Bug』(Blue Note)では、渋くて固いジョージ・コールマンのテナーサックスを加えて大成功しているのに。この中におさめられた、バカラックの「I Say a Little Prayer」は、ローランド・カークの演奏と並んで、とても好きな演奏である。


沖縄「集団自決」問題(13) 大江・岩波沖縄戦裁判 判決

2008-03-28 13:07:30 | 沖縄

大江・岩波沖縄戦裁判」の判決が、きょう2008年3月28日午前、大阪地裁でなされた。慶良間諸島の日本軍の戦隊長らが、いわゆる「集団自決」に関して、直接の軍命は下していなかったとして、大江健三郎と岩波書店を訴えた件である。


「琉球新報」の電子号外

判決結果は原告の請求棄却。つまり、日本軍の関与があったと認めたということだ。ただ、軍命の有無については断定を避けている。

もともと、軍命があったかどうかという矮小化された穴から、日本軍の関与全体が否定される性格があった。訴訟が起こされたことにより、高校歴史教科書の検定にもひどい影響があった。従って、今回の判決は正当なものだと評価できる。今後も報道は正当なものばかりではないだろうけれど(以下の各紙報道にも、それぞれ従来の姿勢があらわれている)。

●琉球新報 「「集団自決」軍が関与 元隊長らの請求棄却
●沖縄タイムス 「元隊長の請求棄却/「集団自決」訴訟」、「「新証言 聞いてくれた」/大江さん冷静に評価」、「検定撤回 決意新た/体験者ら「歴史正す一歩」
●東京新聞 「集団自決「軍が深く関与」 元守備隊長らの請求棄却
●毎日新聞 「集団自決訴訟:大江さんらへの請求を棄却 大阪地裁
●読売新聞 「「沖縄ノート」訴訟、集団自決への軍関与認める…大江さんら勝訴
●朝日新聞 「軍関与を司法明言 元隊長、悔しい表情 沖縄ノート判決
●産経新聞 「元守備隊長の請求棄却 沖縄集団自決訴訟

今回の結果報告を含め、東京での集会が4月にある。

大江・岩波沖縄戦裁判 判決報告集会 2008/4/9(水)18時半、@文京区民センター
沖縄戦検定意見撤回を求める4.24全国集会 2008/4/24(水)18時半、@豊島公会堂


フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』と映画『NEXT』

2008-03-28 07:57:09 | 北米

昨年国際線のなかで、リー・タマホリ監督の映画『NEXT』(2007年)を観た。わりに面白かったので、フィリップ・K・ディックの原作小説を探したが、ハヤカワ文庫が品切れになっていて、古本を探すかなと思っていたら再発された。この、フィリップ・K・ディック『ディック傑作集 ゴールデン・マン』(ハヤカワ文庫)には、7つの短編が収められている。

映画『NEXT』の原作となった『ゴールデン・マン』(1954年)だが、すぐ先の未来をいまの風景のように視ることができる男の話、という以外には、共通点がまったくない。映画では、変な顔のニコラス・ケイジがその男の役で、あくまで人間的(ケイジにはこの手の役がとてもはまる)。超能力について嗅ぎつけたFBIが、テロリストとの闘いに利用しようとするという話が、アメリカ映画またかという感じで、うんざりさせられる。しかし、「2分後の自分の姿」を複数同時に視て、最適な行動の判断をするという映像が新鮮で楽しめた。ケイジの「運命の女性」役、ジェシカ・ビールも魅力的だとおもった(シャーリーズ・セロンやアンジェリーナ・ジョリーと同様、少しエキゾチックで濃い顔だち)。

ただし、深くて没入させられるのはディック。『ゴールデン・マン』の超能力者は、突然変異で全身金色、何も話さないし感情が描かれることもない。あくまで「けもの」として、自らにとっては当然のように未来を視て行動するのみ、という存在である。何かの目的にまき込まれるドラマではない。人間が、自分たちの将来を守るために、遺伝子として優れているかもしれない突然変異を潰していこうとする話である。商業的に大利益を得るのでなく、また、あやうい問題を回避するのでなければ、原作に忠実な映画のほうをこそ観たい気がする。もっとも、『NEXT』も、興行的にははずしたということだが。

他の短編もとても面白い。ファンタジーでありながらH・P・ラブクラフトのような恐怖の裂け目をも提示する『妖精の王』。宇宙人がトロイの木馬的な装置を人間に与える強迫観念の結晶『リターン・マッチ』。メディアによる大衆の飼い慣らしが恐ろしい『ヤンシーにならえ』。個人の愛に基づく行動が政治に抑圧される『小さな黒い箱』など、どれも冗談とは思えず、ひきつけられる。1950年代、60年代に書かれたものが今なお力を持っていることが、ディックの凄さだ。

今回の再発版には、映画『NEXT』をめぐるさまざまなエピソードも巻末に付されている。今後『ヴァリス』、『アルベマス』の映画化の可能性があることにも興味があるが、何より、ジョン・レノンが生前、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』の映画化に意欲的だったということに驚かされた。