Sightsong

自縄自縛日記

ピナクルズの奇岩群

2008-06-14 21:54:04 | オーストラリア

5月、オーストラリアにはカンタス航空で飛んだ。直行の便数が少ないので、到着早々時間が空いてしまった。同行者に誘われ、自分にしては珍しく、バスツアーなんぞに参加した。目的地は、パースから北に数百キロ離れたピナクルズ(Pinnacles)である。英国、ドイツ、ニュージーランド、香港などさまざまな人がバスに同乗した。

ピナクルズの売りは、延々と広がる奇岩だ。数メートルくらいの高さで、風雨の侵食によって残された石灰岩である。説明を聴いて驚いた。残された奇岩の上には、かつて潅木があり、根を張っていた。それで、潅木がないところがどんどん削られていったようなのだ。そのため、岩をよくみると、潅木の化石らしきものがあったり、今では隣の潅木と同居していたりする。

奇岩にもさまざまな形があり、観光向けか、「カンガルー」、「ゲイシャ」、「イーグル」などの名前が付けられているものがあった。曇ってはいたが天候はころころ変わり、陽射しが強いため、光の当たり方によって岩の表情も変わる。

帰りには、砂丘で、いい大人がサンド・ボーディングをして遊んだ。自分も2回くらい滑ったが、尻をしたたかに打ってどうでもよくなりやめた。まわりのおじさんたちも皆そうだった。最後まで嬉々として遊んでいたのは、年齢によらず、女性だった。


風車 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


バンクシア Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak E100G、ダイレクトプリント


奇岩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


奇岩(イーグル) Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


休憩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


休憩 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


サンドボーディング Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII


バス Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII (上部を焼き込み)


パース駅 Leica M3、Summicron 50mmF2、Kodak TMAX-100、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII

●参考 本部半島のカンヒザクラ(寒緋桜)と熱帯カルスト


鮒鮨、三井寺

2008-06-14 13:27:05 | 関西

所用で大津に泊まった。京都から本当にすぐの場所にある。もう8時を過ぎていたので、とにかく居酒屋へ一直線である。居酒屋といえば、まずは太田和彦が訪れているかどうかを基準に探す(「ん~おいしいな~」という口調をイメージしながら)。それで、『ニッポン居酒屋紀行』でも紹介された、「でんや」に行った。

せっかくなので、名物の鮒鮨を食べてみた。握り寿司の原点とも言われ、米の中で長期発酵させたものだ。思ったより強烈な臭みはないが、とても酸っぱく、独特の風味がある。これで酒を呑む習慣も悪くないかもなとおもった。高校生のころ、はじめて読んだ岡本かの子の小説が『鮒鮨』だったような気がするが、中身をまるで覚えていない。


鮒鮨 (ケータイで撮影)

翌朝、始動まで少々時間があったので、早起きして琵琶湖を経て三井寺まで歩いた。本来の仁王門(大門)からの参拝とは順序が逆だが、地元の方が「長等神社のわきの階段を上ったら観音様があるよ」と教えてくれたので、近いほうから観ることにした。


ニコライ皇太子が襲われた場所(大津事件)

三井寺(みいでら、正式には園城寺)は、天台寺門宗の総本山である。最澄が開いた天台宗からの流れにあり、寺は壬申の乱で敗れた大友皇子の息子が創建したものだが、9世紀に、比叡山の僧・智証大師円珍が再興している。

『園城寺』(朝日新聞社、2007年)によると、この宗派を特徴付けるものは、顕教と密教に加え、修験道をも柱に加えていることである。円珍もそのような修験の僧であったようだ。しかし、よりドラマチックには、寺が延暦寺との抗争で幾度となく燃やされ、そのたびに甦ってきたことが挙げられる。直接的には、大津住人を支配するのが延暦寺なのか、三井寺なのかというところのようだ。

観音様まで通じる階段は、修験者ではなく、体育会の学生が息を切らしながら上っていった。

観音堂の奥には、たしかに観音菩薩が設置されていた。チベットや四川大地震への義捐金も集めていた。手前には、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ、釈迦の弟子)の像もあった。


賓頭盧尊者

その先に、微妙寺という、琴線に触れる(笑)名前の寺があった。重要文化財である十一面観音菩薩が奉安されているが、扉が開けられるのは週末のみということで、観ることができなかった。手前に、中国から寄贈されたという、金ぴかの十一面観音があった。寺で配布していた解説によると、重文のそれは檀像の特徴である「頭部を大きく表すところをはじめ、極度に圧縮された体のつくり」を持つものであり、この大らかな像は随分と異なる。


観なかった重要文化財・十一面観音菩薩(『園城寺』(朝日新聞社、2007年))


中国から寄贈の十一面観音菩薩

微妙寺のわきには、国宝・勧学院客殿があるが、完全非公開で敷地内にも入れなかった。外からちょっとだけ覗いた。


国宝・勧学院客殿を外から垣間見る

拝路を逆行し、その先に国宝・金堂がある。しかしこれも、屋根の修復中ということで外から観ることができなかった。屋根というのが、檜の樹皮を何十にも重ねたものであり、たしかに近くには檜がたくさんあった。樹皮を剥ぎかけた丸太もあった。


外から観られなかった国宝・金堂(『園城寺』(朝日新聞社、2007年))


金堂のいまの様子



樹皮を剥ぎかけた檜


一切経蔵の屋根も檜の樹皮からなる

金堂のなかには、秘仏である不動明王像があるはずだが、当然、秘仏なのでちらりとも観ることはできない。大日如来や閻魔などにも目を惹かれたが、何より驚いたのが「尊星王」という、北極星を体現した菩薩の姿だった。後ろには鹿や象などが乗った月や日が配されていて、右足を後ろに上げて片足で立っているのが極めて奇妙である。

※写真はすべてペンタックス・エスピオミニにカラーネガ、同時プリント(本の図版を除く)。