アンソニー・ブラクストンはサックスを中心としたマルチ・インストルメンタリストであり、見たことのないような奇妙な楽器を次々に使う。それだけでなく、一時期はピアノを弾いていた。曲によりピアノを弾くのではなく、ピアニストとしてのリーダー作を出していたわけである。
何しろ楽器の数以上に吹き込みの数が半端でなく多く、この人にとっては、演奏を煮詰めていって作品を出すのではなく、演奏プロセスが作品なのだろうと思わざるを得ない。ピアノ作品はいま改めて確認してみると、1994~1996年にのみ発表している。ということは、きっとピアニストとしての活動もその時期だけだったのではないかと思うがどうか。『アンソニー・ブラクストン・ディスコグラフィー』(イスクラ、創史社、1997年)はこの直前までの活動をカバーしており、たぶん、洪水のような作品群をフォローする財力も気力も追いつかないに違いない(これを作った編集者の方が、ブラクストンを日本に呼ぶ運動をしていると言っていたが、どうなっただろう?)。
自分も可能な限り多くのブラクストンを聴くというつもりは毛頭なく、ピアノ作品は2点のみ持っている。
『Seven Standards 1995』(Knitting Factory、1995年)は、マリオ・パヴォーン(ベース)との双頭グループ。若くして亡くなったトマス・チェイピン(アルトサックス、フルート、ピッコロ)、デイヴ・ダグラス(トランペット)、フェローン・アクラフ(ドラムス)という尖ったメンバーである。しかし聴くと、ブラクストンが一番尖っていることがわかる(笑)。
冒頭のチャーリー・パーカー曲「Dewey Square」ではアンサンブルからめきょめきょと不協和音を飛ばしまくり、そのまま自分だけ飛び出る。他のメンバーも、これで驚くような面々ではないはずだが(「These Foolish Things」でのふざけたユニゾンは余裕シャクシャク)、何しろブラクストンがひどすぎる、ではなく、目立ちすぎている。ブラクストン作品の常として発散を極めたあと、最後のジョン・コルトレーン曲「Straight Street」でも最初のノリに戻る。何度聴いてもわけがわからない。良いピアノかどうかさえ判断を保留したい。低音を執拗に続けるのはキース・ティペット似?・・・いやいや、誰にも似ていない。
極めつけは、『Solo Piano (Standards) 1995』(No More Records、1995年)、ソロピアノ2枚組である。スタンダード集と銘打ってはいるが、一般的なスタンダードは「April In Paris」くらい、あとは、ミンガスやモンクはジャズ・スタンダードだと言ってもいいとして、ウェイン・ショーターだのジョージ・コールマン(!)だの。ジョン・コルトレーンの「Countdown」は、例によってめきょめきょと発散したあと、曲の最後にぽろりぽろりとメロディを弾く。そんなことはブラクストンだから許すが、クライマックスも何もない演奏をソロで続けられると、泥のような睡魔に襲われるのは困ってしまう。この作品の良し悪しも判断停止。愉快なのは確かである。
ネットでディスコグラフィー(>> リンク)を見ると、マーティ・アーリック(サックス)をフロントに据えたワンホーン・カルテットもあったようで、これはこれで聴いてみたいところだ。
●参照
○ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
○ブロッツマン+ブラクストン『Eight by Three』
○ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』
○ムハール・リチャード・エイブラムス『1-OQA+19』(ブラクストン+スレッギル!)
○中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』
○フェローン・アクラフ、Pentax 43mmF1.9