マノエル・ド・オリヴェイラが100歳になって撮った映画、『ブロンド少女は過激に美しく』(2009年)を観た。64分の小品である。
リスボンから郊外へ向かう列車。男は、隣席に座った見ず知らずの女性(レオノール・シルヴェイラ!)に、身の上話を始める。伯父(ディオゴ・ドリア、歳をとった!)の店の2階で働いていた男は、道を挟んだ家の2階の窓から姿を見せた少女に一目惚れした。少女に接近する男に、伯父は結婚を許さず家から追い出す。狭い一室での困窮、絶望、出稼ぎ、騙されての借金。伯父は突然結婚を許す。そして指輪を買いに出かける男と少女。
聴き役シルヴェイラは男の隣席からどこを視ているのか。こちらに向けられた視線は、こちらを列車の中に誘いこんでいるのだろうか。レストランで隣り合って食事を取る男と伯父。少女の家の一階、遥か向こうに続く階段と足の姿を捉える鏡。リスボンの昼、リスボンの夜。ルイス・ミゲル・シンドラ(本人役!)が朗読する詩。あまりにも過激に謎めいている。すべてがあるがままに存在している。ここでは窓枠でさえ、意味を持って存在する。
絶望し、大股を開いて座り、折れそうなほど項垂れる少女。そして私は、あるがままの存在に投げ出されてしまう。動悸が止まらないまま、反芻しながら帰路についた。愉悦などという余裕さえ持てないほどの衝撃である。毎回オリヴェイラには驚かされるが、年々凄みを増していく感がある。間違いなく、今年観た映画のベストだ。ああ恐ろしい。ああ恐ろしい。