新藤兼人『原爆の子』(1952年)を観る。翌年のカンヌ映画祭では米国が受賞しないよう圧力をかけたという曰く付きの映画である。
敗戦後。原爆投下時に広島で幼稚園の先生をしていた主人公(乙羽信子)は、いまでは瀬戸内海の小島で先生をして暮らしている。ある日、休暇を取って5年ぶりに広島を訪れたところ、相生橋(原爆投下の目標になったT字型の橋)の横、原爆ドームの川向いで物乞いをしている老人に目を止める。かつての実家の使用人(滝沢修)であった。さらに、幼稚園の教え子たちの生き残り3人を訪ねる。ひとりは父親が原爆後遺症で亡くなるところだった。ひとりは教会に身を寄せて死者に祈りを捧げるも、10歳にもならぬうちに亡くなろうとしていた。ひとりはちょうど姉が嫁ぐ日だった。主人公は居たたまれない。そして、孤児院に入っている使用人の孫を引き取り、島に帰っていく。
原爆が爆発した後の地獄絵のイメージが凄絶だ。新藤は意図的にか、焼けただれて死にゆく者も、いまを生きる者も、まるで西洋彫刻のトルソのように描く。それは尊厳についての強い思いかもしれない。ケロイドなどの後遺症を持つ者たちの描写と相まって、米国が拒否反応を示したことも納得できるというものだ。
俳優陣が劇団民芸の宇野重吉、滝沢修、北林谷栄といった面々で、決して好みではない重さがある。大滝秀治も出ているらしいが、どの役だろう。船長役の殿山泰司はこのときまだ30代、別人のようだ。
相生橋(2011年8月)
原爆ドーム(2011年8月)
●参照
○『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
○新藤兼人『心』
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)