Sightsong

自縄自縛日記

新藤兼人『原爆の子』

2011-08-13 10:35:18 | 中国・四国

新藤兼人『原爆の子』(1952年)を観る。翌年のカンヌ映画祭では米国が受賞しないよう圧力をかけたという曰く付きの映画である。

敗戦後。原爆投下時に広島で幼稚園の先生をしていた主人公(乙羽信子)は、いまでは瀬戸内海の小島で先生をして暮らしている。ある日、休暇を取って5年ぶりに広島を訪れたところ、相生橋(原爆投下の目標になったT字型の橋)の横、原爆ドームの川向いで物乞いをしている老人に目を止める。かつての実家の使用人(滝沢修)であった。さらに、幼稚園の教え子たちの生き残り3人を訪ねる。ひとりは父親が原爆後遺症で亡くなるところだった。ひとりは教会に身を寄せて死者に祈りを捧げるも、10歳にもならぬうちに亡くなろうとしていた。ひとりはちょうど姉が嫁ぐ日だった。主人公は居たたまれない。そして、孤児院に入っている使用人の孫を引き取り、島に帰っていく。

原爆が爆発した後の地獄絵のイメージが凄絶だ。新藤は意図的にか、焼けただれて死にゆく者も、いまを生きる者も、まるで西洋彫刻のトルソのように描く。それは尊厳についての強い思いかもしれない。ケロイドなどの後遺症を持つ者たちの描写と相まって、米国が拒否反応を示したことも納得できるというものだ。

俳優陣が劇団民芸の宇野重吉、滝沢修、北林谷栄といった面々で、決して好みではない重さがある。大滝秀治も出ているらしいが、どの役だろう。船長役の殿山泰司はこのときまだ30代、別人のようだ。


相生橋(2011年8月)


原爆ドーム(2011年8月)

●参照
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
新藤兼人『心』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)


唐十郎『任侠外伝・玄界灘』

2011-08-13 01:13:10 | 中国・四国

唐十郎『任侠外伝・玄界灘』(1976年)を観る。舞台は下関である。

朝鮮戦争時、学生の沢木(宍戸錠)と近藤(安藤昇)は米軍の死体処理のバイトをしていた。飛び出た内臓を思い出して、食っていたラーメンを吐く始末。謎の男(唐十郎)が現れ、どうだ朝鮮半島に渡ってみないか、倍は稼げるぞと唆す。釜山では遺族に戦死を告げる仕事、どさくさ紛れに強姦さえしてしまう。そこで殺してしまった女性は翌日蘇生するも、やがて恨死する。

二十数年後。沢木と近藤は韓国からの密航と東京への人身売買によって稼ぐやくざになっている。彼らとその手下たちも、密航者たちを暴行する。近藤の舎弟は直情の男(根津甚八)。そして密航者の中には、かつての強姦により生まれた娘(李麗仙)と証人の男(小松方正)とがいた。近藤への復讐のためだ。

業と獣欲にまみれた、あまりにも酷い物語だが、なぜかフィルムには唐の情と色が溢れている。主役の宍戸錠と安藤昇という組み合わせが凄まじく、他の面々も異常なほど濃い。李麗仙は唐十郎の妻だった時期である。唐の底知れない迫力もいつも通りだ。何年前だったか、井の頭公園に赤テントが張ってあって、その囲まれた真ん中に椅子を置き、唐が座っていた。写真を撮ってよいかと迂闊にも訊ねると、「あっちを通してください」とニコヤカに答えられた。とても怖かった。

下関は昔も今も国境に面した<際>である。どちらかと言えば、映画の題名を『玄界灘』ではなく『響灘』としてほしかったところだ。かつて私の父は、下関で警官をしていた。勿論、映画では日本権力の走狗として描かれている。在日コリアンの多い町にあって、数年間、何を考え何を視ていたのだろうか。

私にとっても関釜フェリーは今に至るまで憧れだ。夜、AMラジオを聴いていると、韓国語放送ばかりになり日本語を探すのが困難なほどだった。



『アートシアター ATG映画の全貌』(夏書館、1986年)より

ところで、この映画は初めて映倫の「R指定」を受けた作品である。先日所用のついでに東銀座をぶらついていると、何気なく覗いた雑居ビルの中に映倫があった。奇妙な感覚だった。

●参照(下関)
関門海峡と唐戸市場
巌流島
角島

●参照(ATG)
実相寺昭雄『無常』
黒木和雄『原子力戦争』
黒木和雄『日本の悪霊』
若松孝二『天使の恍惚』
大森一樹『風の歌を聴け』
淺井愼平『キッドナップ・ブルース』
大島渚『夏の妹』
大島渚『少年』
新藤兼人『心』
グラウベル・ローシャ『アントニオ・ダス・モルテス』