Sightsong

自縄自縛日記

鈴木志郎康『隠喩の手』

2011-08-25 08:20:42 | 小型映画

鈴木志郎康の16ミリによる小品、『隠喩の手』(1990年)を観る。

タイトル画面。「暗喩の手」、「隠喩の手」。「暗」、「隠」。「ア・イ」。「ア・イ・ウ・エ・オ」。ごちゃごちゃした仕事机、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットがBGMに流れる。ドアの覗き穴から外を視たのだろう、円周魚眼のように住宅と空が見える。彼の写真集『眉宇の半球』にも共通する、自らを閉じ込めるのか、世界を自らに閉じ込めるのか、回帰的世界である。

そして彼は自らの手を凝視する。手は不思議なものだ、しかし手を見てはいけない、と。それはそうだ。誰だって自分の手を見れば見るほど、この奇妙な生命体が何やらわからなくなってくる。そしてすべての手は異なっている。ちょうど、三木富雄が耳に憑りつかれて、巨大な耳を作り続けたように。

原稿用紙に詩を書きつける手仕事。コダクローム40の箱を開け、ダブル8のカメラに装填する手仕事。スムーズにはできない小さなもの、息遣いまで収録されている。そして現像されたフィルムは、片側のパーフォレーションにかなりの面積を占有され、冗談のように小さな画面が残っている。

8ミリでも、ここがダブル8とスーパー8/シングル8との大きな違いだ。スーパー8/シングル8はもともと片側にパーフォレーションがあり、片道通行である。画面面積もダブル8よりやや広い。ダブル8は16ミリ幅があり、半分ずつ往復撮影して現像時に半分に切断される。いかにも効率が悪いが、変ったカメラが多く、いつかは使ってみたいと思い続けていた。そのうちに、スーパー8ともどもコダクロームが消滅してしまった。

この映画は16ミリのボレックス(ジョナス・メカス!)で撮られているが、鈴木志郎康の作品を観るたびに、8ミリという小型世界への愛情を見せつけられる。そのたびに思い出すのは8ミリに向けられた吉増剛造の言葉。

脈動を感じます。それはたぶん8ミリのもっているにごり、にじみから来るのでしょう」(『8ミリ映画制作マニュアル2001』、ムエン通信)

>> 『隠喩の手』
>> 『隠喩の手』解説

●参照
鈴木志郎康『日没の印象』


中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園

2011-08-25 00:09:03 | 中国・台湾

中国東北地方、吉林省の延辺朝鮮族自治州は北朝鮮に接しており、言葉も料理も中国・朝鮮の両方に跨っている。浅草の「和龍園」はその地域の料理店で、食べるのははじめてだ。東京では珍しいのかと思いきや、上野界隈には東北地方の料理を出す店は割にあるという。

名物の羊肉串の盛り合わせを頼んだら、手際良く、金属製の二階建ての骨組が組み上げられた。下でいい頃合に焼けたら、上でキープしておく。そして、改めて下の骨組を使って肉を串の端にぐいぐいと寄せながら、炭火に炙り、唐辛子、胡麻、クミンなどを混ぜた粉に付けて食べる。これが旨い。


羊肉串

鍋包肉(豚天ぷらの甘酢かけ)ははじめて食べる。衣はでんぷんなどを使っているようで、ふわふわさくさくとしている。甘酸っぱくて、まるで菓子のようだ。胡麻油の風味が効いたチャプチェも旨い。大満足、大満足。


鍋包肉


チャプチェ


拉皮ムチム


マッコリ!