Sightsong

自縄自縛日記

内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町

2011-08-20 10:58:03 | 中国・四国

内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』(角川文庫、1986年)を読む。この類のミステリはほとんど読まない私にとって、浅見光彦シリーズ2冊目だ。その前に読んだのは『ユタが愛した探偵』という沖縄もの。本作は、山口県上関町祝島が舞台になっている。つまりそんな興味でしか手に取っていないわけである。

ここでは、祝島は「寿島」、上関町は「大網町」という名前に変えられている。それでも、「寿島」の対岸に原発建設の計画があり、推進と反対を巡った大きな諍いがあることは同じである。「祝」と「寿」なんて洒落たものだ。

原発反対のリーダー格の老人が、東京の画廊でふと足を止める。目の前には、「寿島」の上に赤い雲がかかる様子を想像した絵が架けられていた。彼はこれを、地元で推進に転じそうになっている古老に見せて、心変わりを押しとどめようとする。しかし、政界や地元企業の利権がために、彼は殺されてしまう。

「赤い雲」が、おそらく「寿島」でも見えたであろう広島の原爆を思わせること、また、実は「寿島」の住民は平家の末裔であって、赤い狼煙が上がった時は外敵に抗して一致団結せよとの合図だったとの設定は面白い。祝島には、壇ノ浦の合戦で敗れた平景清の墓と伝えられる「平家塚」があるというが、島民が平家の末裔というのはいくらなんでも内田康夫の作り話であろう。

なかなか様々な立場の機微を描いていて、面白くはあった。謎解きも最後までわからなかった。

「いつの日か反対派が敗れ去り、岬の突端に白亜の原子力発電所がそそり建つありさまを、浅見は脳裏に描いた。
 その時、寿島にはたして狼煙は上がるのだろうか。」

幻視は置いておいても、すでに狼煙は上がり続けている。

●参照
○長島と祝島 >>
リンク
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』 >>
リンク


荒井英郎+京極高英『朝鮮の子』

2011-08-20 08:14:01 | 韓国・朝鮮

荒井英郎京極高英により監督された映画、『朝鮮の子』(1955年)を観る。

>> 映画『朝鮮の子』


『東京のコリアンタウン 枝川物語』(樹花舎)より

1949年に全国のコリアンの民族学校に廃校命令が出され、東京では同年から都立の朝鮮人学校となった。しかし、1952年4月の講和条約発効により、在日コリアンが「外国人」となり、今度は「外国人」の学校を都民の税金で運営することはないという議論から、1954年10月、都立朝鮮人学校の廃校が決定された。この映画は、その動きに対抗して作られたものだ。なお、その後1955年4月、朝鮮学校として再出発している。

監督の2人はドキュメンタリー畑の存在であったようで、調べてみると、荒井には『われわれは監視する-核基地横須賀』(1975年)、京極には信州の養蚕農家を撮った『ひとりの母の記録』(1955年)という興味深い作品もある。もちろん『朝鮮の子』は組織的なアピールという側面があって製作されたものであり、在日コリアンの団体が名前を連ねている。

ロケは主に江東区枝川東京朝鮮第二初級学校やその近くの町で行われており、学校の表札は「都立」である。また、地域の重要な存在だったという江東朝鮮人生活協同組合(既に取り壊し)も見ることができる。1953年には「アサヒグラフ」誌が「カメラ”枝川町”に入る」といった仰々しい潜入ルポ的な記事を載せるなどの扱いを受ける地域であった。貧困のため、女性たちがごみ捨て場で屑鉄を拾う様子も捉えられている。

当然ながら、差別社会・日本の様相がドラマとして描かれている。ある女の子は、日本人学校に通っていた時、自分が在日コリアンであることを隠していた。友達と一緒に家に帰ってくると、神戸のお婆さんが来ている。白い上着と長いドレス、舟のような形をしたはじめて見る靴。友達に「あんた朝鮮人だったの」と言われた子は泣きだし、お婆さんを責めたために母親から叱責される。典型的な姿を再現したドラマとは言え切なくなってくる。

学校で「アボジ!」「オモニ!」「ウリハッキョ!」と、黒板に書かれた朝鮮語を元気に復唱する子供たち。自分の子には朝鮮語を教えたいと望む親たち。自然なことであり、今では国際人権法で確立されている考えである。しかし、高校無償化の対象から朝鮮人学校が排除されるなど、日本社会は差別意識をまる抱えしている。

●参照
『東京のコリアン・タウン 枝川物語』
枝川でのシンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」
道岸勝一『ある日』
井筒和幸『パッチギ!Love & Peace』
枝川コリアンタウンの大喜