シンポジウム「被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい」(2011/8/6、広島市文化交流会館)に参加した。
■ 開会宣言
大橋ひかりさんによる開会宣言。大橋さんは、祖父の軍隊での差別体験を寄稿した。
■ 被爆アオギリのねがいを広める会
今年の7月12日に亡くなった「アオギリの語り部」こと沼田鈴子さんを悼んでのスピーチがあった。沼田さんは、原爆に焼かれながらも芽吹いた平和記念公園のアオギリを分身に見たて、被爆体験を語り続けた。そのような体験から、3・11直後から被災者に想いを馳せ、「私達は二度と被爆者になりたくない」と語っていたという。
なお、8月24日未明には、フジテレビで『託す~語り部 沼田鈴子がまいた種~』(テレビ新広島制作)が放送される。
故・沼田鈴子さん
広島平和記念公園の被爆アオギリ
■ 李金異(イ・クミ)さん
広島市の福島町で被爆した在日コリアン2世の李さん。69歳の李さんは、去年、被爆者健康手帳を交付された。広島県庁に両親が被爆した記録があったが李さんはそれを知らず、ようやく申請して認められている。そのような政府のあり方に、李さんは、日本は差別のある国だ、絶対に許せないと怒りを表した。被差別に加えて在日コリアンという二重の差別構造を生きてこられた方の生の声である。
李さんは去年あたりからガンの恐怖にとらわれているのだという。これも被爆者の実感として記憶されるべきことである。
この日の夜に呑んだときの李さんは、うって変わって、周りを明るく盛り上げる愉しい方だった。
李金異さん
夜、観音町の「晴屋」にて
■ 上田由美子さん(詩人)
広島と福島の共通性を語る上田さんは、自作の詩を朗読した。その一方で、福島についての詩作を依頼されたが、断ったのだという。現地の傷痕や苦しみをわがものとして受けとめなければ詩は書けないという理由だった。
上田さんは、原発が地震に対して絶対に大丈夫だとの謳い文句がいかに空虚だったか、そしてなお原発を推進する者たちは将来に汚名を残すであろうと警告した。
■ 大塚愛さん
大塚さんは、福島第一原発の20km圏内にある川内村で12年前から自給自足生活に取りくみ、さらに4年前から大工修行をしていた。原発城下町の当地では、白血病で亡くなる方がいることもあって、村民は決して安全だとは思っていなかったのだという。自給自足ゆえ止められて困るライフラインはなかったのだと言うが、放射能の危険性を考え、自身で建てた家を捨て、すぐに岡山県の実家に移り住んでいる(その後3月16日、村長決断により全村避難)。
大塚さんはいま、原発に頼らない地域づくりを掲げ、廃炉アクションを起こそうとしている。そして「アロハでハイロ」だと会場を笑わせつつ、ジョン・レノン「イマジン」にあわせてフラを踊った。
(つづく)