東京都写真美術館で開催されている江成常夫の写真展、『昭和史のかたち』を観た。
江成は、太平洋戦争の戦場となった島々、満洲、広島、長崎、沖縄など、惨劇の地を訪ねては、いまだ残る叫び声を撮り続けている写真家である。その叫び声のことを、江成は「鬼哭」と呼ぶ。浮かばれない魂の声なき声である。
その思想は、記憶にある種のフィルターをかけて「英霊」などという表現を使う精神とは対極にある。取り返しつかぬ負の歴史、罪と業をいま視なければならないという執念のようなものだ。従って、満洲はセピア色に塗られることはなく、「偽満洲国」として提示される。
戦争遺産もさることながら、戦争が刻まれた人のポートレートが持つ迫力には圧倒されてしまう。旧満州に置き去りにされた残留孤児、広島の被爆者。その中には、先ごろ亡くなった「アオギリの語り部」こと沼田鈴子さんの大きなポートレートもあった。
ニコンサロンで開かれていた同じ写真家による写真展『GAMA』も観たかったのだが、足を運んだところビルメンテとかで休廊だった。8月にこのテーマの写真展を開くならば、土日をそんな理由で閉じては駄目だろう。ニコンサロンも所詮は商売か、と思わざるを得ない。これは沖縄のガマを撮った写真群であり、糸満の崖を撮ったオサム・ジェームス・中川『BANTA』との比較もしてみたかったのだが。
ちょうど、NHKの「ETV特集」で、『霊魂を撮る眼~写真家・江成常夫の戦跡巡礼~』というドキュメンタリーが放送された(>> リンク)。江成は悪性腫瘍におかされ、死を身近に見てしまったことによって、さらに彼岸というものを意識したのだという。ペリリュー島、日本軍の血で海が染まった米軍上陸地点オレンジビーチ、打ち捨てられた飛行機や船の残骸に、江成はレンズを向ける。彼のスタイルは、銀塩はハッセルブラッド、デジタルはニコンのようだ。
そして、江成は沖縄に辿り着く。
米国移民が「米軍は捕虜を殺したりはしない」と説得したために「集団自決」が起きなかったシムクガマ(読谷村)では、江成は、ガマの中から光が見えるように撮る。しかし、それは奇跡的なことであった。糸満のガマでは、日本軍に監視された住民は投降すらできず、米軍の火炎放射により焼かれてしまう。江成が入り込んだガマのひとつでは、天井が黒々と焼け焦げていた。ガマの中でスローシャッターを押し続ける江成の眼は、まるで何かが憑依しているように見えた。
保阪正康による写真展評は、次のようにしめくくられている。
「なぜこういうことが起こったのか、この問いに答え続ける限り、私たちは写真の人物、風景と共に告発を共有しているといえるだろう。」
(『アサヒカメラ』2011年9月号)
●参照
○オサム・ジェームス・中川『BANTA』(糸満の崖)
○沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回(大城将保氏による「沖縄戦の真実と歪曲」)
○読谷村 登り窯、チビチリガマ
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)(沼田鈴子さん)