NHK「こころの時代」枠で放送された『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』を観た。
徐京植は「根こぎ」という言葉を使う。人には「根」がある。その「根」ごと引き抜かれる国家的暴力、それがユダヤ人のホロコーストであり、広島・長崎の原爆投下であり、福島の原発事故であったのだ、と。しかしそれは、想像力をもって直視されてこなかったのだ、と。
いくつか、重要な引用があった。ユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィは、自殺前年に残した著作『溺れるものと救われるもの』(1986年)において、ホロコースト期にあってなぜ逃れないユダヤ人がいたのか、それは簡単には抜くことのできない「根」があり、各々が、自分に迫る危機に目を瞑り気休めの「真実」にすがろうとしたのだと言う。
思想史家・藤田省三は、『松に聞け』(1963年)において、乗鞍岳の道路建設にあたって滅ぼされるハイマツに想いを馳せながら、権力や資本による押しつけだけでなく末端にある人々こそが積極的に目を瞑る「安楽全体主義」を見出している。そのような面から、何に視線を向けていくか。
「此の土壇場の危機の時代においては
犠牲への鎮魂歌は
自らの耳に快適な歌としてではなく
精魂込めた「他者の認識」として
現れなければならない。
その認識へのレクイエムのみが
辛うじて蘇生への鍵を
包蔵している、というべきであろう。」
広島で被爆した詩人・原民喜が詩集『夏の花』(1949年)に載せた詩を、徐京植は「壊れている」と見る。壊れた詩は壊れた現実を映し出し、シュールレアリズムこそが現実になっている。現実主義者たちの凱歌を許さず、お前の現実は現実ではない、どんなにつらくても現実を視ろ、というメッセージなのだとして。この3人に共通する、痛いほどの声である。ホロコースト、広島・長崎を経て、また現実直視の回避が繰り返されている。
「テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル 電線ノニオイ」
在日コリアン二世の徐は、在日コリアンにも想いを馳せる。映像では、郡山の福島朝鮮中初級学校の生徒たちが新潟の朝鮮学校に避難し、1週間に1度だけ校長先生の運転する自動車で帰ってくる様子をも捉えている。
かつて昭和の三大金山に数えられた高玉金山(郡山)。1944年には600人もの朝鮮人が労働し、宿舎は24時間監視され、つかまると正座した脚の上に鉄のレールを置くなどの拷問が加えられたという。そのような歴史的背景もあり、福島県の在日コリアン人口は1.7万人にのぼる。
その意味で、徐京植は、福島原発事故では「日本人が被害にあった」という言説は間違っているのであり、「がんばろうニッポン」もその誤った認識に依ってたつ標語であるのだと指摘する。そして、鉱山やエネルギーという国家の基幹産業は、かつての朝鮮人、いまでは原発労働者といったように、植民地的な労働システムによって成立しているのだ、と。
>> 映像『フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」』
●参照
○徐京植『ディアスポラ紀行』