Sightsong

自縄自縛日記

ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『The Last Prophet』

2011-08-27 17:47:31 | 南アジア

ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『Nusrat Fateh Ali Khan: The Last Prophet』(Jerome De Missolz、1996年)を観る。ヌスラットは1997年に48歳で亡くなったので、これは晩年の記録ということになる。パキスタンイスラム教スーフィズムの歌、カッワーリーの歌い手である。

1時間のうち人前で歌っている時間はさほど多くなくて残念ではあるのだが、ヌスラット自身による語りや興味深い場面がいろいろあり、とても面白い。ヌスラットは常にハルモニウム(手漕ぎオルガン)を手元に置いて、600年続く音楽家の家系のこと、偉大な音楽家の父ウスタッドのこと、4人の姉のあとに生れたため甘やかされたこと、父は医者かエンジニアにさせたがったが自らの血が音楽を選んだのだということなどを話す。ときにハルモニウムとともに歌ってみせるカッワーリーの声ははっとさせられる響きを持っている。

コンサートの歌には字幕が入っていないが、概ね、信仰や愛情についての歌詞だという。あるレコード店で、数人の男たちがヌスラットを口々に誉めたたえている。曰く、日本では若者がヌスラットを聴いている、彼らは歌詞が解らないが心に刺さってくると言うんだよ、それこそがカッワーリーだ、と。そうなのである。私もヌスラットの歌声をたまに聴いて素晴らしいと感じるが、それは歌詞によってのことではない。

97年に亡くなったあと、中村とうようによる追悼記事を読んで、ヌスラットの声に接することができなかったことをひたすら残念に思った。コンサートに行ったことがあるという人の話を聴くと、なおさらだった。この映像では、ヌスラットが、カッワーリーは予め決まった内容に従うわけでなく魂に触れるという点でジャズと似ている、と説きつつ、即興も行ってみせる。このときヌスラットの右肩には蠅がとまっている。私はこの蠅でもいい、肉声を聴きたかった。

ところで、パキスタンとインドの仲は昔も今も悪い。昨年訪れたインドでは、パキスタンのクリケット選手と恋愛結婚したインドのテニス選手サニア・ミルザへのバッシングがひどく、CMが次々に打ち切られたのだと聞いた。「なぜパキスタニと?、ってわけ」と。はじめて私がインドに行った2005年、夕食にと入った食堂ではハイデラバード・オープンの決勝戦を放映していた。優勝の瞬間はみんな興奮して立ちあがり拍手していた。サニアはルックスもよく、何となく好きになってしまった。それだけに悲しい出来事ではあった。

閑話休題。この映像にも、それを示す場面がある。先のレコード店では、別の男が、「インドは映画に勝手にヌスラットの音楽を使って儲けている、フェアじゃない」と罵っているのである。レコード店の男がいうインド映画が何を指すのかわからないが、あるコンサートの前説で、『最後の誘惑』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』、『女盗賊プーラン』、『デッドマン・ウォーキング』と4本の映画音楽も担当し・・・と紹介されるものの、インド映画である『女盗賊プーラン』だけにはその後何も言及されない。(もっとも、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ではレイプシーンにヌスラットの声をかぶせるなど、音楽の使い方がひどく、ヌスラット自身が傷ついたと呟いている。)

他のコンサート映像中心のDVDも探してみたい。


由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』

2011-08-27 13:03:08 | 沖縄

由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』(七つ森書館、2011年)を読む。著者は元「沖縄タイムス」の記者であり、97年以降はフリージャーナリストとして沖縄を見続けている。編集者によるあとがきには「運動に少し距離を取りつつ寄り添いながら、全体を見回し論考するという立場で、定点観測のように沖縄を書き続けた人」とある。

まさに1998年から現在までの定点観測であり、当然、知っている話も知らない話もある。先日、一坪反戦地主会のYさんは、「地味だけどちゃんと書かれた良い本だよ」と薦めてくれた。実際に、通して読むことで、最近十数年間の沖縄の置かれた位置と沖縄が動いた姿とを、マクロにもミクロにも視ることができる良書である。

記憶の片隅にあったものの意識していなかった点を気付かせてくれたことがある。公有水面の埋め立てである。現在、「公有水面埋立法」では、公的な河川や海域の埋め立てに際し、知事の免許を規定している。そのため、例えば、山口県上関町の原発建設において、二井知事の埋立許可延長が問題となっているわけである。

本書によれば、小泉政権の2005年、米軍再編の中間報告推進のため、日米合意内容に基づく基本方針を閣議決定し、さらにその後、安部晋三官房長官(当時)主催の会議において、反対住民の説得が議題とされている。著者はその時、反対が激しい場合に公有水面使用許認可権を知事から政府に移す特別措置法が議題になる可能性があるものと指摘している。

まさに大田昌秀沖縄県知事(当時)が政府による米軍用地強制使用を拒否、村山富市首相(当時)が訴訟を起こし、さらに軍用地に限って知事の権限を政府に移す特別措置法(駐留軍用地特措法)を成立させたパターンの「海版」である。2006年の沖縄県知事選において糸数慶子候補が仲井眞弘多候補(当選)より優勢と予想された際にも、自公政権は糸数当選に備え、特措法制定という案を持っていたという。

そのため、2010年のシンポジウムにおいても、仲地博・沖縄大副学長が、「知事の持つ公有水面埋め立ての権限を取り上げさせないため、①政府に権限取り上げ訴訟を起こさせない、②埋め立て権限を国に移す新特措法を立法させない運動が、日米共同声明を空洞化させる道だ」と提起した、とある。辺野古においては重要な論点である。

>> 本書発売記念のトーク+レセプションの様子(大木晴子さんのブログ『明日も晴れ』)

●参照
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
押しつけられた常識を覆す
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』


三田の「みの」、ジム・ブラック

2011-08-27 11:23:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

写真家の海原修平さんと三田の「みの」で呑む。程なくしてボンバ・レコードの社長さんも現れた。

ボンバ・レコードはドイツのレーベル「Winter & Winter」の輸入販売も行っている。ここから多くの作品を出しているポール・モチアンのスキンヘッドとグラサン姿は迫力だとか、ジム・ブラックはヴェジタリアンゆえご馳走するのに苦労するだとか、「週刊新潮」のひどさだとか、ペンタックスの77mmやライカのエルマリート90mmやヴィゾ用65mmの描写だとか、今やデジタル写真が銀塩に如何に近づくかのステージだとか、ひたすらそんな話。

「みの」は古い店で、演劇をやっている人たちが働いている。秋刀魚の刺身と塩焼、沖縄のもずくなど旨かった。カウンター席の人たちはみんな愉快。また誰かと行きたい店だった。

そんなわけで、今朝、棚からジム・ブラックのCD、『Habyor』(Winter & Winter、2004年)と『Splay』(Winter & Winter、2002年)を取り出して聴く。両方とも、ブラックのドラムスにクリス・スピード(テナーサックス)、ヒルマー・イエンソン(ギター)、スクーリ・スヴェリソン(ベース)という編成である。


奈良美智!

聴きながら本を読んでいると朦朧としてくる。終電で帰って眠いせいもあるが、いやそれよりも、このバンドが形成するアトモスフェアがそうさせているのである。民族音楽的な、あるいはロック的な繰り返しとミニマリズム、そこからの展開であり、次第に場が音楽に支配されていく。特に『Splay』における途中の盛り上がりは凄い。

何でも、Winter & Winterからジム・ブラックのピアノトリオが出るようで、それが今度はどのようなアトモスフェアを持つのか、興味津津だ。

●参照
海原写真の秘密、ヨゼフ・スデク『Prazsky Chodec』
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
2010年5月、上海の社交ダンス