Sightsong

自縄自縛日記

米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』

2013-02-03 20:54:29 | 環境・自然

米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』(弘文堂、2011年)を読む。

主に、地球温暖化に関する取り決めや国際交渉を追った本である。単に結果としての事実を追うのではなく、その背後にある意味や中長期的な現代史における位置付けを考察している点で、実にすぐれている。

世の中でウケの良い環境関連書のひとつは、「○○のウソ」などの陰謀論だ。すべてがそうだとは言わないが、ちょっと読んだだけでもデタラメであることがすぐに判る。下らないねと棄てることができればまだ良い。ところが、社会的な影響力は結構あり(つまり、テレビ的)、鵜呑みにしてしまう人が結構いるようなのだ。わたしも、そういった受け売りを自分の意見であるかのように喋る人に何度も遭遇した。しかも、良心的な市民運動に共感する人に多い。

環境という価値を尊重し、保守的・強権的な旧来権力に抵抗するならば、せめて、まともなものを読んでほしいと思う。ダニエル・ヤーギン『探求』(日本経済新聞出版社、原著2011年)、吉田文和『グリーン・エコノミー 脱原発と温暖化対策の経済学』(中公新書、2011年)、佐和隆光『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(岩波新書、2009年)、その他、良書をいくつも見つけることはできる。

本書も、もちろん広く読まれるべき本である。2011年の「3・11」後に書かれていることもあり、原子力に対するスタンスも明確である。また、クライメート・ゲート事件という政治的策動についても、しっかりと検証されている(実は、これに端を発した温暖化懐疑論が日本で盛り上がり、そのまま陰謀論化してしまった)。

本書を読むと、温暖化に関する政治的プロセスが、歴史上異色なものであったことがよくわかる。また、これが、東西冷戦の終結という「脅威の空隙」を埋めるように登場してきたこと、英国などの進める気候安全保障論が大きな影響力を持ってきていること、中国の存在を抜きにして国際的な枠組みを構築できないことなどが、納得できる。

地球規模の脅威への予防主義的な対策という理想と、いびつな国際間交渉と、ナイーヴに過ぎた日本の取り組み。そのようなアンバランスな関係のもとでは、ろくでもない言説がいくつも出てくることは仕方がない。本書は、真っ当な視座のひとつとなるものだろう。

●参照
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著


チコ・フリーマン『Elvin』

2013-02-03 16:06:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

チコ・フリーマン『Elvin』(JIVE、2011年)を聴く。チコ・フリーマンが、エルヴィン・ジョーンズに捧げたアルバムである。

Chico Freeman (ts)
George Cables (p)
Lonnie Plaxico (b)
Winard Harper (ds)
Joe Lovano (ts) (only 1 and 7)
Martin Fuss (ts, bs, fl) (only 4)

一聴しての最大の印象は、何だか小さくまとまっていて、もはやチコには若い頃のような突破力は望めないのだなということだ。

確かに、端正にコード進行に沿って素晴らしいソロを積みかさねていく様子も、テナーサックスの独自の音色も、チコのものである。それでも、何かチコの真似をするチコのような感覚で、驚きも、鮮烈なヒットもない。もう仕方がないのかな。チコ・ファンとしては聴き続けるのだが。

ドラムスのウィナード・ハーパーも、当たり前のことではあるが、エルヴィンとは似ても似つかない。別に真似をすればいいわけでもないし、エルヴィンに音楽的に近いドラマーを連れてくればいいわけでもないのだろうが、それでは、このトリビュートアルバムは何なのだ。

曲は、意外にも、かつてチコがエルヴィンと共演したものというよりは、ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソン、ウェイン・ショーターといった先達たちの演奏を題材にしている。「Inner Erge」など、曲がジョーヘン臭いので当然チコのテナーもジョーヘンぽく聴こえるが、そのうち、チコならではのソロを展開するのはさすがである。

この中で演奏している「The Pied Piper」は、同名のアルバム『The Pied Piper』(Black Hawk、1984年)で演奏された曲であり、チコと心が浮き立つようなアンサンブルを吹いたジョン・パーセルではなく、マーティン・ファスという別の奏者が代りを務めている。これはオリジナルのほうが断然良いかな。


エルヴィン・ジョーンズにサインをいただいた

『Elvin』には、付録として短いヴィデオが収められている。そこでも、チコが、エルヴィンはコンテンポラリーでのデビュー盤に参加してくれて、昔からの縁があるんだよ、などと語っている。そのアルバムが、『Beyond the Rain』(Contemporary、1977年)である。

これは、実は私の秘かな愛聴盤でもあって、改めて聴いてみると、若いチコの破天荒な勢いも、もちろんエルヴィンの音楽全体を包み込むような破格のドラミングも、ヒルトン・ルイスのモーダルなピアノもすべて素晴らしい。いまのチコと同じことも違うこともよくわかる。

できれば、ここで演奏されている「Two over One」(リチャード・ムハール・エイブラムスの名曲!)、「My One and Only Love」、「Pepe's Samba」あたりを、トリビュート盤でも取り上げてほしかった。と言いつつ、実際にいまの演奏を聴いたら失望するのだろうなという確信がある。


ヒルトン・ルイスにサインをいただいた

●参照
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』
最近のチコ・フリーマン
チコ・フリーマンの16年
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』
エルヴィン・ジョーンズ(1)
エルヴィン・ジョーンズ(2)


マックス・ローチ+アブドゥーラ・イブラヒム『Streams of Consciousness』

2013-02-03 10:15:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

Max Roach (ds)
Abdullah Ibrahim (p)

マックス・ローチ+アブドゥーラ・イブラヒム『Streams of Consciousness』(Piadrum、1977年)。

70年代のローチには、アーチー・シェップ、アンソニー・ブラクストン、セシル・テイラーといった猛者とのデュオ録音がいくつかなされている。この記録もその流れの中にある。

今なお異色な存在に思えるローチのドラミングを、どのように言うべきだろう。偉大なる練習?偉大なるイディオム?偉大なる機械?

ローチとセシル・テイラーとのデュオ2枚組、『Historic Concert』(Soul Note、1979年)では、セシルはマックスのことを「elastic」などと評していた。練習やイディオムや機会とは矛盾するようだが、その通りである。

何にせよ、モダンジャズの根源から生まれた奇怪なパルスの中を、アブドゥーラ・イブラヒム(かつでのダラー・ブランド)の、やはり異色なピアノが己を発散する。ソロによる『African Piano』(ECM、1969年)にも劣らず強度が高い(そして、相変わらずのペラペラな音色)。

●参照
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(『Historic Concert』収録)