伊佐眞一『伊波普猷批判序説』(影書房、2007年)を読む。
「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷。リベラルなイメージ、沖縄が抑圧から解放されることを希求したというイメージを持つ伊波だが、それは、明の部分のイメージに過ぎないものであった。本書は、そのような世評とは正反対に位置する伊波の考えを、露わにしようとするものである。
著者によれば、伊波が高く評価するものは、あくまでネーションであり、ピープルではなかった。そのため、ネーションを持った琉球よりも、持たなかったアイヌを低く評価した。また、強いネーションがその版図を拡げていくことを、歴史的必然のように捉えていた。そのため、台湾も、韓国も、中国も、南方も、一段低い存在とみなし、侵略を続ける軍国日本を称揚した。
さらには、島津藩や明治政府に侵略・併合される琉球王国さえも、皇国日本という強いネーションに同化するのであるから、良しとしたのである。ここには、弱き者がその立ち位置のみを強き者の場所に置くという、ねじれの構造がある。当然ながら、伊波が確立しようとした「日琉同祖論」も、同根だというわけである。
この自らの属する共同体の姿を、やはり日本に併合された韓国に投影した結果、どうなったか。李氏朝鮮末期から日本の支配に協力した政治家・李完用を、伊波は高く評価していた。しかしそれは、敗戦までのことであった。解放後の韓国では、李は売国奴として弾劾されることとなり、期を同じくして、伊波の著作からも李への言及は姿を消すことになったのであった。そして、伊波の言辞・言説そのものが、戦後、変貌することとなった。
伊波の大きすぎるほどの業績と併せて、視野に入れておくべき側面ではあろう。
●参照
○伊波普猷『古琉球』
○伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
○村井紀『南島イデオロギーの発生』
○柳田國男『海南小記』
○与那原恵『まれびとたちの沖縄』
○汪暉『世界史のなかの中国』(2)
○屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
○高良勉『魂振り』
○小熊英二『単一民族神話の起源』
○鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』