汪暉『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』(青土社、2011年)を読んだのはちょうど1年前。
特に、第三部(チベット)における言説について、驚きと違和感とを感じていた。驚きとは、チベットが欧米の夢として位置づけられ続けてきた<幻視>であったということ。異和感とは、チベットを含め、中国政府の異民族支配を批判の対象とせず、その批判こそが西欧流の民族国家観、国境観に毒されたものだと言わんばかりの勢いのことだった。
この時代にあって、なおあまりにも広い版図を支配しようとする上で、<天下>という概念を方便として使っているように思えてならなかったのである。<天下>概念においては、国境で囲まれる範囲を統治する国家観は希薄であり、よりファジーに、同じ価値観を共有する世界のヒエラルキー構造が成立する。そのひとつの形が、朝貢関係ということになる。
孫崎享・編『検証 尖閣問題』(岩波書店、2012年)(>> リンク)においても、天児慧氏が、前近代では明確な国境観念がなかったため、尖閣諸島が日中のどちらに領有されていたのかを資料から追うことには限界があるといった発言をしている。また、白石隆、ハウ・カロライン『中国は東アジアをどう変えるか』(中公新書、2012年)(>> リンク)では、もはやかつてのように、同じ価値観を共有することを前提とした中国のヘゲモニーはありえないのだと論じている。
『情況』2012年新年号において、汪暉『世界史のなかの中国』についての座談会が行われている。そこでの、丸川哲史氏の発言は面白いものだった。
すなわち、19世紀末から、西欧や日本が中国を自版図に組み込んでいくために、朝貢システム(天下)ではなく、近代の国際秩序たる万国公法(西洋帝国主義)を利用しはじめる。そのあらわれが、日本の台湾出兵の正当化であり、琉球処分の正当化であった。中国では、新たなシステムへの切り替えがまだなされておらず、やがて<翻訳>として取り入れていくことになった。それが、あちこちでねじれを生んだ。また、<翻訳>は、曖昧なものを同一化し、極端化や暴力への転化を生んだ、と。
なるほど、そうかもしれない。そして、<翻訳>の歴史が不可逆であり、もはやかつてのシステムに戻ることはないのだろう、とも納得する。
伊波普猷『古琉球』(>> リンク)が発表されるのが1911年、これさえも、中国国内での辛亥革命、すなわち、新システムでの民族という概念の発動に、触発されたものだとする。日琉同祖論も、近代の賜物であった。
丸川氏の論考については、その先がよくわからない。陳光興『脱帝国』では、このように東西の間で(不幸な形で)機能してきた<翻訳>を、アジア人同士(非欧米圏内同士)のコミュニケーションへと転化させたい、との論が展開されているという。
どういうことなのだろう。
●参照
○汪暉『世界史のなかの中国』