Sightsong

自縄自縛日記

アッバス・キアロスタミ『シーリーン』

2013-02-01 01:37:05 | 中東・アフリカ

アッバス・キアロスタミ『シーリーン』(2008年)を観る。

怪作といっても過言でないだろう。

約90分の間、カメラは、映画館でスクリーンを見つめる女性の顔をのみ、捉え続ける。ほとんどはイラン女性なのだろうか、ただ、ジュリエット・ビノシュも居る。

上映されているらしき映画は、12-13世紀のペルシア詩人・ニザーミーの手による作品『ホスローとシーリーン』である。ササン朝ペルシアの王ホスロー二世と、アルメニアの女王シーリーンとの悲恋物語であり、その展開につれ、女性たちは含み笑いをしたり、涙ぐんだり、没入したりとさまざまな表情を見せる。顔とは実に不思議なもので、すべての関係性がそこに凝縮され、共有されている。90分間、まったく厭きることはない。

映画というものが、画面だけでなく、また映画館や暗闇だけでなく、個々の網膜と脳に届き処理されてはじめて成立するのだとすれば、顔は、それらの間に介在する奇妙なインターフェースに違いない(この言葉が、文字通り、そのようにつくられている)。映画を観る顔もまた、映画であるということだ。

DVDには、映画のメイキングフィルムも収録されている。驚くべきことに、観客の女性たちは、実は、映画など観てはいなかった。『ホスローとシーリーン』の物語さえまったく意識していなかった。ライトとカメラが向けられ、自分の存在や記憶をのみ見つめていた、のであった。

映画などそのようなものかもしれない。キアロスタミは蛮勇を持つ哲学者か。

●参照 イラン映画
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』
マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』