飯田道子『ナチスと映画 ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中公新書、2008年)を読む。
ナチスドイツの映画利用戦略については、レニ・リーフェンシュタールの存在を抜きには語ることができない。レニが1936年のベルリン・オリンピックを撮り、まるで、人類の進歩とは、肉体と精神とがお互いに研鑽し高め合うことだ、と言わんばかりの映像に仕立て上げた『民族の祭典』と『美の祭典』は、いまの目で観ても、確かに、完成度が高い。しかし、本書を読むと、ナチスが映画を用いたプロパガンダ戦略は、レニのような傑出した存在のみによって成立していたわけではないことがわかる。
20世紀前半は、映画というモンスターが、暴れる場を急速に拡大した時代だった。第一次大戦の敗北によるドイツ帝国の崩壊、ヴァイマル共和国の発足、政治経済の壊滅、それと裏腹の文化の爛熟。そのような中で、ヒトラーもゲッベルスも、映画の虜になった。そして、権力を手に入れた彼らは、映画の持つ力を最大限に使おうとした。すなわち、意識の高揚であり、強い国家への帰属という魅力であり、ユダヤ人排斥の刷り込みであった。
ナチスが滅びたあとも、ナチスを題材とした劇映画やドキュメンタリーは作られ続けた。興味深い指摘だと思うのだが、著者は、それによるナチスのイメージは自律的な存在と化しているとする。ナチス映画が過去に遡って記憶を生み、それがさらに別の記憶を生みだすというわけだ。
ホロコースト映画は、アラン・レネ『夜と霧』(1955年)(>> リンク)を嚆矢とする。その中で、著者は、生き残った者による、生き残った者のためのエンタテインメントたるスティーヴン・スピルバーグ『シンドラーのリスト』(1993年)と、生き残った者による、死者たちの記憶たるクロード・ランズマン『ショアー』(1985年)(>> リンク)とを両極に対置する。高橋哲哉『記憶のエチカ』(1995年)(>> リンク)と同様の議論である。
著者は、『ショアー』について、ドキュメンタリーなのか、ストーリーテリングなのかわからなくなると指摘する。その揺らぎを創出する、語り手の「沈黙の時間」。それこそが、『ショアー』がドキュメンタリーであることを証明するものだと「信じるしかない」と書いている。
その、収まりの悪さは、大文字の「歴史」を突き動かすものでもある。
●参照
○クロード・ランズマン『ショアー』
○クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
○高橋哲哉『記憶のエチカ』(『ショアー』論)
○アラン・レネ『夜と霧』
○マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
○フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』