芝健介『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』(中公新書、2008年)を読む。
ナチスドイツによるユダヤ人大量殺戮を意味する「ホロコースト」は、ギリシャ語の「丸焼きにする」という言葉からきており、ユダヤ人たちが、自分たちが生贄にされているのだということを示すために用いはじめた。しかし現在では、ナチスの虐殺を美化するイメージがあるとして使われなくなってきており、その代わりに、ヘブライ語で「絶滅」を意味する「ショアー」が用いられている。(飯田道子『ナチスと映画』) 但し、やはり日本では現在でも一般的な用語として定着しているのは「ホロコースト」であり、本書でも、そちらが用いられている。
ホロコーストは、アドルフ・ヒトラーというカリスマの狂気によってのみ引き起こされたのか。いや、そうではない。本書によりわかることは、19世紀から保守層によって組織化された反ユダヤ主義運動が目立ってきたということだ。曰く、体制の破壊者、戦争への非協力者、戦時利得者・・・。すなわち、第一次大戦にドイツが敗れたのはユダヤ人のせいで、ドイツ民族の敵・国家の敵・非国民を容赦してはならず、ドイツはじめての共和制国家たるヴァイマル共和国も打倒すべきだ、という論理であった。
従って、ナチス登場前のドイツにおいて、既にユダヤ人を嫌悪すべき敵とみなすプロパガンダがあらわれていた。また、彼らを標的にしたテロも発生した。社会に不満を持つ保守層が、身勝手な論理や風評や噂に基づき、特定の民族集団を嫌悪し、「本来得るべきではない利益を得ている」と決めつけ、社会から排除しようとする。これはまさに、現代日本で横行するレイシズムの姿と同じではないのだろうか。
ナチスが権力を掌握すると、この動きはエスカレートする。法的に「非アーリア」(=ユダヤ人)は権利を奪われ、排斥の対象となり、二級市民の地位に貶められた。ユダヤ人たちは窮乏を極め、出国を強いられることとなった。それはゲットーへの封じ込めに移行し、やがて、働ける者は働かせるが、働けない者、障害者、精神病患者はどこかに排除する、あるいは殺すという構造になっていった。収容所での大量殺戮、すなわちホロコーストは、この流れの「最終解決」なのだった。
知らなかったことだが、収容所は「強制収容所」と「絶滅収容所」とに分類される。アウシュビッツはその両方を兼ねていた。強制収容所では、軍事産業の労働力となり(いまも存続するメーカーもある)、働けなくなれば、処刑された。絶滅収容所は、はなから処刑を目的としており、ソビブル、トレブリンカ、マイダネクといったところがあった。
これらがアウシュビッツほど有名でないのは、敗戦より前に閉鎖し、証拠隠滅が図られたからでもあった。軍は、国際法に違反する行為、非人道的な行為について、その証拠を残さない。日本軍においても原則は同じである。従って、戦時中のさまざまな犯罪について直接的な証拠の存在ばかりが論点とされるのは、悪質な意図、あるいは、無知に基づく現象であるということができる。
ホロコーストを推進した力は何だったのか。戦後の数多くの研究においては、大きくは、ヒトラーという存在のイデオロギーを重視する「意図派」、ナチ体制の官僚組織やテクノクラートによる構造から生み出されたという「機能派」に分けられるという。
もう一つ重要な点として、当時の世論や一般住民の反応をどのように位置づけるかということが挙げられている。かつては「知らなかった」という見方が多かったものの、近年の分析によれば、実は一般市民もユダヤ人の絶滅政策をある程度は知っており、それに対して受動的な態度しかとらず、多くは沈黙したということがわかってきたという。その解釈としては、無関心、あるいは、政策・体制との暗黙の合意の二つが挙げられている。いずれにしても、レイシズム横行社会の現代日本において、無視できない観点である。
●参照
○クロード・ランズマン『ショアー』
○クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
○高橋哲哉『記憶のエチカ』(『ショアー』論)
○アラン・レネ『夜と霧』
○マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
○プリーモ・レーヴィ『休戦』
○フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
○クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
○ジョナス・メカス(3) 『I Had Nowhere to Go』その1(『メカスの難民日記』)
○徐京植『ディアスポラ紀行』(レーヴィに言及)
○飯田道子『ナチスと映画』