ブルックリンの「Unnameable Books」という洒落た名前の小さな本屋で、タナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)の『Between The World And Me』(Spiegel & Grau、2015年)が気になって買っておいた。ジャカルタへの往復の機内で読了した。
まったく予備知識がなかったのだが、今ではアメリカで大評判になっている。どうやらトニ・モリスンの推薦文が効いたものらしい。
本書は、著者のコーツが十代の息子に語る形をとったエッセイである。黒人が黒人であるというだけで、歴史的に、いかに不当な差別の対象となり、人生の幅を狭められ、警官による暴力を受けてきたか。その歴史が、いかに、マジョリティにより都合のいいように語られてきたか。コーツは、その歴史を幼少時から己のものとして身体で覚えてきたために、マルコムXに惹かれ、また語ることを職業として選んできた。
歴史だけではない。コーツが幼い息子と『ハウルの動く城』を観た帰りに、白人の老婦人が、息子を人間としてではなくまるで障害物であるかのようにどけたという逸話が語られている。そのことに反発をみせたところ、相手=マジョリティは、自分たちはレイシストではないという武装をしながらも、生殺与奪の力は自分たちが持っているのだということを明らかに示したのだという。
語るべき者が語らなければならないということである。
●参照
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性