Sightsong

自縄自縛日記

ジミー・ライオンズ『Push Pull』

2016-04-27 23:14:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジミー・ライオンズ『Push Pull』(Hat Hut Records、1978年)を聴く。

Jimmy Lyons (as)
Karen Borca (basoon)
Hayes Burnett (b)
Munner Bernard Fennell (cello)
Roger Blank (ds)

ファゴット、ベース、チェロが参加していて、特に気の利いたアンサンブルに沿うでもなく、皆が自由意思で演奏している。従って、遊泳可能な広がりを持つヴァーチャルな空間が生じているのではなく、どちらかというと低音のグチョグチョした沼だ。

そんな中でジミー・ライオンズがひたすらアルトを吹く。艶やかで激しいが、我を忘れて破裂することはなく、統制が取れてダンディな感じである。独特の美意識に彩られているような気がして、ライオンズのアルトは好きなのだ。

●ジミー・ライオンズ
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
セシル・テイラー『Michigan State University, April 15th 1976』(1976年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』(1969、76年)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968年)
セシル・テイラー初期作品群(1956-62年)


ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』

2016-04-27 22:21:04 | 北米

ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』(新潮文庫、原著1940年)を読む。

ここには、極めてヘンな大人たちばかりが登場する。妙に堂々として、妙に自信満々に我が道をゆき、それ以外の自分になることなどできるわけがない人たち。現代の日本であれば、確実に共同体から排除されているであろう人たち。

ところが、サローヤンは、主人公の子どもアラムの目を通して、かれらを実に温かく描いている。共同体から排除されるどころか、共同体を、ヘンな人の集合体としてとらえているとしか思えないのである。アラムの言動も相当におかしい。面白くて腹筋が痙攣してくる。

これを読んでいると、誰もが、ああ自分にも恥ずかしくて消してしまいたい記憶がある、などと思い出してしまうに違いない。いや、穴があったら入りたい(何が)。

サローヤンも、ここに登場する人物たちも、アルメニアからアメリカに流れ着いてきた移民の血をひいている。1915年には、オスマン帝国政府によるアルメニア人大虐殺という事件が起きているわけだが、それを直接体験していなくても、それぞれが抱えているものはいろいろな形で影を落としていたり、人格形成になんらかの影響を及ぼしたりしていたのかもしれない。この小説も、「アメリカ」も、そのことを抜きには語れない。

●参照
ホイットニー美術館の「America is Hard to See」展(アルメニア人大虐殺(1915年)によって母親を失ったアーシル・ゴーキー)
カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(村上柴田翻訳堂)