Sightsong

自縄自縛日記

エヴァン・パーカー@稲毛Candy

2016-04-10 22:58:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

張り切って、3日続けてエヴァン・パーカーのパフォーマンス。今日は稲毛のCandyである。会場には30人ほどがぎっしり。

わたしにとっては、パーカーのギグを目の当たりにするのが10回目。世田谷美術館でのソロを観て驚愕したのが、20年前の1996年である。

Evan Parker (ss, ts)

ファーストセット、ソプラノサックス。これは時間との競争なのだろうか、息を呑んで追い詰められ、ひたすらに見つめる。高音中心から、音風景を次々に変貌させてゆき、右手の指でタンポをブハブハと叩くサウンドも、泡立つような音もあった。

セカンドセットその1、テナーサックス。ソプラノと異なり、ブロウ間の間合いと息継ぎがあり、重力を感じる。フレーズらしきものもある。マルチフォニックも、それにより内奥を引っ掻きえぐるような濁った音も素晴らしかった。

セカンドセットその2、ソプラノサックス。向こう側まで透徹するような、目が覚めるような、鳥の歌声。聴いているこちらが置いていかれそうな感覚があった。やがて音が小さくなり、スローダウンして、音を打ち切った。

今日も唯一無二の音を体感した。

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)


レイラ・ハサウェイ『Live』

2016-04-10 11:43:06 | ポップス

レイラ・ハサウェイ『Live』(Agate、2015年)を聴く。

Lalah Hathaway (vo)
Errol Cooney (g)
Jairus "J.Mo" Mozee (g)
Eric "Pikfunk" Smith (b)
Stacey Lamont Sydnor (perc)
Lynette Williams (key)
Bobby Sparks II (key, org)
Michael Aaberg (key, org)
Robert Glasper (key)
Brian Collier (ds)
Eric Seats (ds)
Jason Morales, Dennis "DC" Clark, Vula Malinga (vo)
DJ Spark (DJ)

もとよりレイラのことはダニー・ハサウェイの娘だということしか知らず、昨年ハーレムのアポロ劇場に観に行こうかなと思ったり(他のギグを優先した)、ブルーノート東京に行こうかとも思ったり(恋人たちのどうのこうのというキャンペーンで、面倒でやめた)。まあ、ダニー・ハサウェイだってそんなに聴いているわけでもない。要するにソウルとかR&Bとかはあまり知らない。

ところが、テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』ではその方面のヴォーカリストばかりを集めていて、とても面白かった。そんなわけで、このあたりを指針に聴いていこうと思っているのだが、中でもレイラの声は、低く、印象的だった。

ライヴ録音を集めた本盤も、ジャズ寄りのアレンジと編成で、素晴らしくいい。深く、低く、含みのあるレイラの声にとても惹かれる。仮にライヴに行ったとしたらレイラひとりを凝視するのだろうね。

「lean on me」ではロバート・グラスパーをフィーチャーしていて、かれのキーボードがサウンドに入ってくるとまたカッコいい。ジャズで聴いているから斜に構えて視てしまうのだ。(そういえば、ジョシュア・レッドマンが唯一いいなと思ったのは、ミシェル・ンデゲオチェロのアルバムにおいてだった。)

●参照
テリ・リン・キャリントン『The Mosaic Project: Love and Soul』(2015年)
ロバート・グラスパー@Billboard Live Tokyo(2015年)


屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』

2016-04-10 09:12:10 | 沖縄

屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす 記憶をいかに継承するか』(世織書房、2009年)を読む。

屋嘉比氏(故人)は、季刊『けーし風』の編集委員でもあった。いま定期的にその読者会に出て勉強していると、そこで共有してきた視線や言説の多くが、まさに本書において思考されていることがわかる。鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』においては、屋嘉比氏の活動を「沖縄戦の思想化」として分類している。偉大なリアルタイムの思考者であったのだなと思う。

このことは、もちろん、氏の思考過程が古びて手垢がついたものになったということを意味するものではない。むしろ逆で、読んでいると、そのように考えるのかと、のけぞってしまうことが少なくない。ぜひ多くの人に読んで欲しい本である。

当事者性とはなにか。沖縄戦の体験者たちは、その体験の実相に対する誤った改竄圧力があるたびに、その記憶を呼び起こし、発信しはじめ、共有を続けてきた(「軍隊は住民を守らない」も、「命どぅ宝」も)。国家が選別し与える歴史とは異なり、大衆の歴史は、そのような形で形成されてきた。たとえば、「集団自決」に関し、ことを「軍命」の有無のみによって判断しようとする策動は、後者に対する攻撃であった。

それでは、沖縄戦の体験者が次第に少なくなる中で、戦後世代はいかに当事者性をとらえ、記憶を共有していくべきか。著者はここで「分有」ということばを用いる。当事者の体験や記憶は、そのすべてが特異点であり独立である。中には、国家の物語に回収されてしまうものも少なくない(住民にとって強制死に他ならぬものを、「崇高に生命を国家に捧げた」ことにされてしまうなど)。非体験者は、ここで多くの体験を「分有」することによって、実相とはかけ離れた記憶の継承に陥らぬようにしなければならない。

その複眼的な視野には、時間や地域の境界線を超えることも含まれる。沖縄戦を、「日本」の中で、また戦前・戦中・戦後という分類で捉えることを前提としてはならないということだ。著者は、沖縄戦を、戦後の東アジアにおける冷戦体制化における熱戦の起点としても捉えようとする(1945年の沖縄戦、1947年の台湾二・二八事件、1948年の済州島四・三事件、1950年からの朝鮮戦争、・・・)。そしてまた、沖縄戦とそのあと、「戦場」と「占領」と「復興」とが混在し、同時進行していたという指摘がある。このことは、沖縄現代史と現代そのものにおいて非常に大事な視点であるように思える。それがいまもすべて沖縄に存在し、進行しているのだから。

「戦場、占領、復興として時系列に単線的にとらえる視角は占領者の視線であって、むしろ沖縄のような地上戦の地や被占領地では、戦場/占領/復興が重層的に混在し同時並行的に進展していたととらえる被支配者や被占領者の視点が重要だと言うことである。そのことは、前述したように戦後東アジアの国々の関係でも、「戦場」「占領」「復興」の関係が、相互連関して重層的に複合し同時並行的に展開していることと重なり合っている。さらに、それは本文でふれたように、沖縄の女性たちにとって、沖縄戦の戦闘がようやく終わってもアメリカ軍占領下にまた”新たな戦争”が始まった、という証言とも符合するものである。そのことは韓国の女性たちにとっても同様であり、帝国日本の植民地主義が終わった後も、戦後の済州島四・三事件、朝鮮戦争と続く”新たな戦争”によって、女性たちに対するアメリカ軍の軍事占領下での性暴力が多発した事実がそのことを如実に示している。」

●参照
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』(2010年)
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(2011年)


エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム

2016-04-10 00:19:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

深谷のホール・エッグファームまで遠征し、連日のエヴァン・パーカー(2016/4/9)。(ところで、湘南新宿ラインは深谷の1駅前で車両を切り離す。よくわからず車両間をうろうろと移動したが、前回も同じ行動を取ったような記憶が)

Evan Parker (ss, ts)
Yuji Takahashi 高橋悠治 (p)

ファーストセット(エヴァン・パーカー)。ソプラノサックスの循環呼吸による20分以上のソロ。高音にまずは耳を奪われるが、右手による低音のリズムにもスピードにもさまざまなパターンがあることに気づかされる。パーカーが作り出す強弱のうねりにより、音風景のフェーズが明確に変わっていく。低音も高音も鼓膜をびりびりと刺激する。

ファーストセット(高橋悠治)。猫のようにしなやかに現れ、ピアノの前に素早く座った氏は、演奏でも驚くべきしなやかさを見せる。さきに慣性があって、演奏と肉体がそれに追随していくようなのだ。不定形で、広い時空の中において落ちていく水滴のように、一音と和音が響く。終わったかどうかのところで拍手が起き、氏は不満にも見える表情を見せ、次のピースも弾いた。はじまりも終わりもなく、その意味で時間を超えているものだった。

セカンドセット(デュオ)、その1。パーカーは、最初に、「高橋さんと共演できることの名誉、ここにいることの誇らしさ」を口にした。テナーサックスでは、ソプラノと違い、間があって、重力を感じる。しかしひとつひとつの音の波が微分されている。パーカーの波と高橋悠治の波が重なり、一瞬の間とずれがあってもまた回復していった。

その2。パーカーはソプラノに持ち替え、高音のトリルによる宇宙を形成する。高橋さんも高音と低音とのひたすらに長いうねりを生成させ、ときに轟音のカーテンさえも見せた。

その3、ふたたびテナー。破裂音も擦れる音も、囁く音もある。ふたりがそれぞれ独自にサウンドを展開し、シンクロしてゆく。高橋さんは、エフェクターのように、あまりにも柔軟に、パーカーにまとわりつくピアノを弾いた。

後半では、高橋さんがパーカーを捉え、スリリング極まりない瞬間がいくつもあった。思わず涙が出てしまった。

終わってから、パーカーにサインをいただいた。『True Live Walnuts』ではコルトレーンの「Naima」が聴こえてきて心が動かされたんだと言ったところ、パーカーははにかむように笑って「ときどきやるんだよ」と。昨年、NYでシルヴィー・クルボアジェらと吹き込んだ録音を聴くのが楽しみだと伝えた(Intaktレーベルから出る予定)。

Nikon P7800

●エヴァン・パーカー
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●高橋悠治
ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2015年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2008年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(2008年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)