Sightsong

自縄自縛日記

By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』

2016-07-03 23:26:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

By Any Means『Live at Crescendo』(ayler records、2007年)を聴く。

Charles Gayle (as)
William Parker (b)
Rashid Ali (ds)

「By Any Means」はチャールズ・ゲイル、ウィリアム・パーカー、ラシッド・アリによるグループである。もう三横綱のようなものだ。しかもカド番などはいない。名前も凄いけれど、演奏はもっと凄い。何でもこの前年(2006年)のNY・Vision Festivalでも録音したものの、出来栄えがゲイルの気にいらず、翌年スウェーデンでの2日間でようやくOKが出たのだという。

ここでゲイルはアルトに専念している。フラジオで喘ぎ咽び泣き叫ぶようなブルースはやはり格別である。これを聴くと、デイヴィッド・マレイの十年一日の如きフラジオは何なんだと思ってしまったりして(いや、かれも偏愛対象なのだが)。そして重たい癖に踊っているかのようなパーカーのベースも、飽くことなくうねりのパルスを繰り出すアリもたまらない。

チャールズ・ゲイルはそれなりに多作の人でもあり、それほど熱心に追いかけているわけでもないのだが、『Kingdom Come』(Knitting Factory Works、1994年)のメンバーもまた強力だった。

ドラムスはアリではなくサニー・マレイ。まったくオーソドックスなジャズドラムスとは異なり、次々に大波小波のようなパルスを発する、と書くと、アリだってそうなのだが、個性はまるで異なる。こうなると相性が良い悪いの閾を超えている。

Charles Gayle (p, ts, bcl)
Sunny Murray (ds)
William Parker (b)

とは言え、あらためて聴きくらべてみると、あまり音が良くない(テープ録音もある)。また、ピアノソロやピアノトリオも入っている。ゲイルのピアノはいまだ魅力を見出せないのだ。やはりアルトかテナーに専念したものを聴きたい。

それにしても、1996年に歌舞伎町ナルシスでかぶりつきで圧倒されてからもう20年。昨年のNYでも本人がキャンセルして千載一遇のチャンスを逃した(共演するはずだったアンドリュー・ドルーリーがガッカリしていた)。今後またゲイルのプレイを目の当たりにする機会はあるだろうか。

●参照
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)


石内都展『Frida Is』

2016-07-03 19:45:13 | 中南米

銀座の資生堂ギャラリーに足を運び、石内都展『Frida Is』を観る。

石内都氏が、フリーダ・カーロの遺品を撮影する様子は、小谷忠典『フリーダ・カーロの遺品―石内都、織るように』というドキュメンタリー映画で視ることができる。カーロの死後50年が経ち、開かずの間にあったさまざまなものが出てきたのだった。

コルセット、義足(カーロは足を切断した)、眼鏡、樹脂の櫛、ガラスの小さな薬瓶、ホーローの容器、あざやかな色のドレス、布の鞄、ショール。石内氏はそれらに対し、マイクロニッコール55mmF2.8を装着したニコンF3にコダック・エクター100を詰めて、次々に迫り、次々に撮っていった。小さな汚れや染みを凝視することは、そのような行為でもあった。確かに映像と同様に、写真からも、撮影する石内氏の息遣いと、死んだはずのカーロの息遣いとがシンクロするようなリアルさを感じざるを得なかった。

それはそれとして、写真は、ピンボケやブレが目立つことがわかった。行為の凝着が大事なのだとしても、これはちょっと違うのではないか。大御所であれば許されるのか。

●参照
小谷忠典『フリーダ・カーロの遺品―石内都、織るように』


「日曜美術館」の平敷兼七特集

2016-07-03 10:12:25 | 沖縄

NHK「日曜美術館」で、沖縄の写真家・平敷兼七の特集「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」が放送された(2016/6/19)。

1948年、米軍占領下の沖縄・今帰仁村に生まれ、高校時代に写真を始める(この頃はキヤノン・ぺリックスを使っていたようだが、やがてライカM4にカナダ製ズミクロン28mmを装着して使ったようだ)。吃音に悩む平敷にとって、相手に話しかける写真という活動はよいものだった。1967年に東京に出て写真学校に通う。政治の季節であり、沖縄も施政権の返還を前に不安な時期でもあったが、かれは政治へのリアクションではなく、沖縄の離島の生活に目を向けた。1970年、南大東島に1週間滞在。さとうきびの収穫のために数百人もの働き手がやってきていて、同時に、本島や伊江島などから数十人の女性がやってきて「料亭」で働き、性を売り、苦しい生活を成り立たせる社会があった。平敷も関係を持った。本島に戻ってからも、かれは、夜の街に通い、10年も20年もかけて、そこで生活する人たちとの信頼関係を築いた。それでこその平敷写真だった。

番組には、平敷兼七の写真に接して「ビビった」という、石川竜一氏が登場する。あまりにもダイレクトな被写体との接し方によって、写真界に大きな衝撃を与えた写真家である。わたしは初めて石川竜一の写真を観たとき、あまりの「ヤバさ」に驚愕した。一見、情と長い時間によって被写体との関係を構築する平敷兼七との共通点はなさそうに見える。しかしその一方、人と人との関係は簡単なものでも形式的なものでもないという人間観のようなものは、通じ合っているのかもしれない。賢く撮るような写真との対極がかれらの作品だということができる。 

ところで、平敷兼七が撮った南大東島の火葬場は、いまでは駐車場になっているという。石川竜一が撮ったそれは、平敷兼七の写真よりも上の空の割合が少し小さい。ここにもふたりの違いがあらわれているような気がするがどうだろう。

平敷写真にやはり衝撃を受けた人の尽力により、2007年、写真集『山羊の肺』が完成。2008年、伊奈信男賞を受賞。同年には銀座・ニコンサロンで個展(平敷兼七『山羊の肺』)。わたしもここでその存在を知り、少なからず驚き、心を動かされた。2009年、肺炎で亡くなる。

亡くなる直前には、かれは、日記に「人生の結論は身近にあり」と記していた。また、かつて、「かわいそうだという気持では絶対にシャッターは切れない。撮れたと思ったらそれは嘘だ」とも書いていた。番組に登場する石川真生氏は、この「同じ目線でないといけない」という哲学を、平敷兼七は若いときに学んだのだろうと発言している。

それはそれとして、番組のナレーションは、被写体を「社会の片隅でひっそりと生きている人々」「無名の人たち」と、いとも簡単に当てはめている。いい気なものだ。これこそが平敷兼七、石川真生、石川竜一が忌避した上からのパターナリズムではないのか。 

●参照
仲里効『フォトネシア』(2009年)
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集(2009年)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志(2008年)
沖縄・プリズム1872-2008(2008年) 


内田修ジャズコレクション『高柳昌行』

2016-07-03 07:51:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

内田修ジャズコレクション~人物編の1枚目として出された『高柳昌行』を聴く。医師・内田修氏が企画していた「ヤマハ・ジャズ・クラブ」でのライヴが集められている。(このシリーズ2枚目が『宮沢昭』。)

1: 高柳昌行 (g)、富樫雅彦 (ds)、1984年
2: 高柳昌行 (g)、井野信義 (b)、1991年
3-5: 高柳昌行 (g)、渡辺貞夫 (as)、1981年
6-7: 高柳昌行 (g)、渡辺貞夫 (as)、渋谷毅 (p)、井野信義 (b)、富樫雅彦 (ds)、1991年

高柳のギターにはサウンドにひりひりとした緊張感を与える力があって、この凄い面子での演奏それぞれに聴き応えがある。ナベサダとやったスタンダードもまたいい。ふたりが共演した『Sadao Watanabe』、またLPを引っ張り出して聴いてみよう。

なかでも改めて素晴らしいなと思うのは富樫雅彦のパーカッションであって、静寂を呼び寄せるような間と響きでそれとわかる。唯一者だったのだな。

●参照
Cooljojo Open記念Live~HIT(廣木光一トリオ)(JazzTokyo)(2016年)(高柳からの系譜)
高柳昌行1982年のギターソロ『Lonely Woman』、『ソロ』(1982年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)(高柳参加)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』(1963年)(高柳参加)