By Any Means『Live at Crescendo』(ayler records、2007年)を聴く。
Charles Gayle (as)
William Parker (b)
Rashid Ali (ds)
「By Any Means」はチャールズ・ゲイル、ウィリアム・パーカー、ラシッド・アリによるグループである。もう三横綱のようなものだ。しかもカド番などはいない。名前も凄いけれど、演奏はもっと凄い。何でもこの前年(2006年)のNY・Vision Festivalでも録音したものの、出来栄えがゲイルの気にいらず、翌年スウェーデンでの2日間でようやくOKが出たのだという。
ここでゲイルはアルトに専念している。フラジオで喘ぎ咽び泣き叫ぶようなブルースはやはり格別である。これを聴くと、デイヴィッド・マレイの十年一日の如きフラジオは何なんだと思ってしまったりして(いや、かれも偏愛対象なのだが)。そして重たい癖に踊っているかのようなパーカーのベースも、飽くことなくうねりのパルスを繰り出すアリもたまらない。
チャールズ・ゲイルはそれなりに多作の人でもあり、それほど熱心に追いかけているわけでもないのだが、『Kingdom Come』(Knitting Factory Works、1994年)のメンバーもまた強力だった。
ドラムスはアリではなくサニー・マレイ。まったくオーソドックスなジャズドラムスとは異なり、次々に大波小波のようなパルスを発する、と書くと、アリだってそうなのだが、個性はまるで異なる。こうなると相性が良い悪いの閾を超えている。
Charles Gayle (p, ts, bcl)
Sunny Murray (ds)
William Parker (b)
とは言え、あらためて聴きくらべてみると、あまり音が良くない(テープ録音もある)。また、ピアノソロやピアノトリオも入っている。ゲイルのピアノはいまだ魅力を見出せないのだ。やはりアルトかテナーに専念したものを聴きたい。
それにしても、1996年に歌舞伎町ナルシスでかぶりつきで圧倒されてからもう20年。昨年のNYでも本人がキャンセルして千載一遇のチャンスを逃した(共演するはずだったアンドリュー・ドルーリーがガッカリしていた)。今後またゲイルのプレイを目の当たりにする機会はあるだろうか。
●参照
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)