Sightsong

自縄自縛日記

アイスピック『Amaranth』

2016-07-17 10:34:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

アイスピック『Amaranth』(Monofocus Press、2014年)をアナログ盤で聴く。

Icepick:
Nate Wooley (tp)
Chris Corsano (ds)
Ingebrigt Haker-Flaten (b)

なんて自由でいて、かつ統制が取れた音楽なんだろうという印象を持つ。ジャズのルールにとらわれない演奏は何もいまにはじまったことではないが、どう聴いても現代的。

ネイト・ウーリーは、まるでアンリ・ルソーの絵に描かれた自由の女神のように、中空に浮かんでトランペットを吹く人のようだ。汗と情念ではなく、もっと劇場的なもの、空から鳥瞰する目を持った者のプレイ(それが激しいプレイであっても)。ウーリーの吹きだす音と対等な立場で、クリス・コルサーノの鋭く繊細きわまるドラムス、インゲブリグト・ホーケル・フラーテンの音圧集中型のベースが、実にさまざまな貌を見せる。

あらゆる動物に変身しそうなトリオである。

●ネイト・ウーリー
ネイト・ウーリー+ケン・ヴァンダーマーク『East by Northwest』、『All Directions Home』(2013、15年)
ネイト・ウーリー『(Dance to) The Early Music』(2015年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Sit in) The Throne of Friendship』(2012年)
ネイト・ウーリー『(Put Your) Hands Together』(2011年)
ハリス・アイゼンスタット『Canada Day IV』(2015年)

●クリス・コルサーノ
クリス・コルサーノ、石橋英子+ダーリン・グレイ@Lady Jane(2015年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)
ネイト・ウーリー+ウーゴ・アントゥネス+ジョルジュ・ケイジョ+マリオ・コスタ+クリス・コルサーノ『Purple Patio』(2012年)
ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(2012年)

●インゲブリグト・ホーケル・フラーテン
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
スクール・デイズ『In Our Times』(2001年)


パンゴ『Pungo Waltz』

2016-07-17 08:11:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

パンゴ『Pungo Waltz』(Cut Out Records、1980-81年)。

菅波ゆり子(向島ゆり子)(accordion, vln, p, vo, perc, カズー)
今井次郎 (b, vo, perc, カズー)
篠田昌巳 (as, accordion, vo, perc, カズー)
石渡明廣 (g, b, perc, ds)
久下惠生 (ds, perc)
佐藤幸雄 (g, vo, perc, カズー)

先日オフノートの神谷さんから、生活向上委員会があって、パンゴも篠田さんを通じてその影響を受けていたのだと言われ、ああなるほどなと思った次第。

確かにライナーに寄せられた向島ゆり子さんの文章や、故・篠田昌巳のインタビューなんかを読むと、判然としないのではあるが、突出した人たちが同じ場と時間で交錯した結果生まれた結晶だということがわかる。そう考えることにすれば、時代という捉え方も悪くはない。そしてわたしは同時代を過ごしたわけではないから若干の嫉妬も覚える。

濁ったアルトサックスと濁ったアコーディオン、「ここに居るのだ」ということを主張する音楽、有象無象を認める音楽。