Sightsong

自縄自縛日記

喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器

2016-07-09 23:31:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

喜多直毅さんのヴァイオリン・ソロを観るために、代々木の松本弦楽器さんに足を運んだ(2016/7/9)。そこはマンションの一室であり、壁にはヴァイオリンなどが所狭しと並べて掛けられている。そんなわけで定員は少なくて12人で満員。

Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

ファースト・セットでは、まず、バッハのシャコンヌ。間近で聴くと、本当に滑らかで艶やかないい音である。昂る部分では、まるで弾いたあとでも慣性で楽器が鳴っているような印象さえもあった。次に、アラブ音楽だという「Longa Hijaz Kar Kurd」。譜面にはトルコとクルドの文字が見えたのだが、そのあたりの歌だろうか。バッハとはうってかわって、乾いて摩擦係数が高くなったような音色と、微細な音変化。そして、ファドの女王ことアマリア・ロドリゲスの「失った心」を、歌詞を口ずさみながら弾いた。「二度と帰って来ないように・・・」という言葉とともに哀切なヴァイオリン。消えてしまいそうな音、発しながら発することのない声、街の向こうから聞えてくる声、そんな情が、かすかな弦の擦音にからみついた。

セカンド・セットは即興演奏。中国の笛を思わせるノイズたっぷりの音からはじまり、ときにコミカルでもあり、また、鳥が調子に乗って囀る歌声、断末魔の叫び、重たいドアが閉まるときの軋みなどのイメージがやって来ては去っていった。

ところで、激しい即興演奏の途中で、ヴァイオリンの弦を支える駒が小気味良い音とともに床にはじけ飛んだ。何でも、2週間前に、雑司ヶ谷のエル・チョクロにおいても演奏中に駒が壊れ、急遽、この松本弦楽器さんに電話して代わりのヴァイオリンを持ってきてもらったことがあったらしい。休憩時間にそんな話をして、皆で笑っていた直後のことである。喜多さんは口笛を吹きながら、別のヴァイオリンに持ち替えて演奏を続けた。終了後、松本弦楽器のご主人が、普通の演奏なら何年も持つんだと呆れたように話し、再び大爆笑。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●参照
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)


齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム

2016-07-09 07:06:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹さんが還暦を記念して、さまざまなエッセンスを取りだして、ソロリサイタルを行った(2016/7/8、永福町ソノリウム)。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

ファーストセット。演奏は、まずオリジナル曲「月の壺」。テツさんは、リディアン旋法(ファが半音上がるコード)に囚われてきたという。その、独特な雰囲気の曲。弓弾きにより、哀しみともなんとも言えぬ情感が刺激される。そして、高柳昌行とのつながりもあってやはり氏の一部をなしたタンゴ、ピアソラの「コントラバヘアンド」。1986年に高柳、富樫雅彦というふたりの頂点と共演しながらも、ブルースやフォービートは自身の体内になくて、若いうちにジャズを「断念」(テツさんによれば、20世紀末の往来トリオは「ジャズの実験」であった)、しかし、特別な存在たるエリントン、ミンガス、ドルフィー。ここではミンガスの「Goodbye Pork Pie Hat」。そのあとに、テツさん自身が「なんということでしょう」と苦笑しながら、バッハの無伴奏チェロ組曲。

セカンドセット。金石出たちとの共演により独特極まりない世界への扉を開いた「ユーラシアン・エコーズ」があった、その韓国シャーマン音楽。最近、かみむら泰一さんと展開しているブラジル・ショーロのノスタルジックな曲。人の喉が震えるようなイメージを喚起する「浸水の森」。再度、リディアンの曲。そしてまた、バッハの無伴奏チェロ組曲、第六番。先日の横濱エアジンにおける演奏では、実は、テツさんはその場において韓国シャーマン音楽との重なりを見出していたのだった。しかし、演奏が途中で「破綻」(テツさん曰く)し、インプロヴィゼーションに移行。枷からの解放が素晴らしかった。また、コントラバスというまるで人の肉体を触っていながら触らないような演奏は、アントニオーニ『愛のめぐりあい』において、女性を触りそうで触らない愛撫を続けた男の狂気=愛を思い出させてくれた。

静寂の中でささやき軋む音の数々。そのつど立ち上がる音楽。ガット弦による音も、「軋み」というもの自体も、綺麗な山を描く周波数のプロファイルとは違うところから発生する音波に違いない。連続的な弓の音であっても、それは振れ幅が大きく、小さな立ち上がりの連なりなのだった。コントラバスというマテリアルを震わせ叩くことによる音波には無数のざわめきがあった。

実はこの日、いろいろと疲弊していて、最初の何分間かは夢うつつ、椅子から転げ落ちそうになっていた(本当に転げ落ちてしまったらリサイタルが中断されて迷惑をかけるだろうな、と馬鹿なことを思いつつ)。一方、テツさんの音楽は、目の前にいる奏者を観て聴いている瞬間に共振し、またそれを無意識に反芻する記憶のなかでも、震えを喚起させられるものだった。どちらが本当なのか、どちらも本当なのだろうな。奥深く豊かな世界を垣間見せていただいた。

●参照
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)