Sightsong

自縄自縛日記

タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』

2017-03-05 20:32:04 | 北米

タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』(慶應義塾大学出版会、原著2015年)を読む。

この本が出たときに、ブルックリンの「Unnameable Books」という良い感じの書店で買って読んだ(タナハシ・コーツ『Between The World And Me』)。とは言え、何を言っているかよく解らない箇所も多く、そんなところは解らないままに流した。「訳者あとがき」によれば、批評家でさえ「何について語っているのかまるでわからないことがある」そうであり、わたしの理解が及ばないのも当然なのだった。

本書は、黒人として生まれ育ったコーツが、それは何を意味するのかについて延々と思索し、自分の息子に語りかける形になっている。それは当事者であるからこそ得られた理解に違いないものである。

すなわち、マジョリティは、いかに善良であろうとも、己の居場所を根こそぎ奪われる恐怖に怯えることはない。あるいは「わたしは差別者ではない」と意識する。著者にいわせれば、それは「ドリーム」であった。一方のマイノリティは、長い間暴力と抑圧との対象となり、そのために、居場所とコードを逸脱することに対する恐怖や危険に意識的であった。そのことが、仲間内での暴力再生産を生み出したのだとする著者の指摘は的を射たものだろう。

「黒人の生命の略奪は、この国の揺籃期にさんざんぱら教え込まれ、歴史を通じて強固なものにされてきたのであって、今や国の世襲財産であり、知性であり、直感であり、僕らがたぶん最後の日までいやおうなく立ち戻ることを強いられるデフォルト設定にまでなっているんだよ。」

コーツのこの書は、単なる告発や弾劾の書ではない。世界の非対称性や、世界を分かつ線を引く手が何によるものなのかを考え、それに対して、自己を守り、確立し、闘わなければならないというメッセージだと言うことができる。

●参照
タナハシ・コーツ『Between The World And Me』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性
マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』、ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』


土井徳浩@新宿ピットイン

2017-03-05 20:09:22 | 中南米

新宿ピットイン昼の部にて、土井徳浩DUO(2017/3/5)。

Tokuhiro Doi 土井徳浩 (cl)
Takeshi Obana 尾花毅 (7 strings g)
Sawori Namekawa 行川さをり (vo)

クラとギターのデュオ、またはヴォーカルを加えたトリオで、ブラジルのギタリスト・作曲家であるギンガ(Guinga)の曲ばかりを演奏するという趣向。 

確かに行川さんが「おたまじゃくしが多い」という通り、トリッキーでうねうねした曲ばかり。それでいて愉しくも物哀しくもある調子であり、それを、土井・尾花の超ハイテクにて何てことないといわんばかりに展開していく。クラもギターも音色が少しドライでとても滑らかである。行川さんもちょっとかすれた良い声でスピーディーに唄う。

ギンガって聴いたことがなかったが、こんなユニークな曲を書く人だったのか。(ところで、「Mingus Samba」という曲もあったが、あまりミンガスっぽくなかった。)amazon musicにも入っているし、あとで聴いてみよう。


ICPオーケストラ『Bospaadje Konijnehol』の2枚

2017-03-05 09:56:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

2017年3月3日に亡くなったミシャ・メンゲルベルクへの個人的な追悼として、ICPオーケストラ『Bospaadje Konijnehol』(ICP、1986-91年)の2枚組を聴く。

Ernst Reijseger (cello)
Ernst Glerum (b)
Han Bennink (perc)
Misha Mengelberg (p)
Ab Baars (reeds)
Michael Moore (reeds)
George Lewis (tb)
Wolter Wierbos (tb)
Evert Hekkema (tp)
Maurice Horsthuis (viola)
Maartje Ten Hoorn (vln)

Ernst Reijseger (cello)
Tristan Honsinger (cello)
Ernst Glerum (b)
Han Bennink (perc)
Misha Mengelberg (p)
Ab Baars (reeds)
Michael Moore (reeds)
Wolter Wierbos (tb)
Evert Hekkema (tp)
Maartje Ten Hoorn (vln)

両方ともアートワークは例によってハン・ベニンクの手による。ほとんど似たようなジャケット画をわざわざ別々に描いているのが愉しい。

2枚目にはミシャ・メンゲルベルクのサインを貰った。それは1997年10月11日に世田谷美術館において豊住芳三郎と共演した後のことだったが、同時にみせたFMP盤の『Impromptu』を一瞥して、「これはFMPなのか?そうなのか?」と真顔で訊ねてきた奇妙な記憶がある。あれはどういうことだったのだろう。

そのときも、酸いも甘いも噛み分けたうえでユーモラスに迫るふたりの演奏はとても刺激的だったのだが、ICPオーケストラの演奏もまた素晴らしいものだった。オケの来日は1982、2006、2008、2014年の4回であり、2014年には既にミシャは体調を崩していて同行しなかった。わたしが新宿ピットインで目撃したのは2006年のこと(2008年は不都合で行けなかった)。それは大人の玩具箱、衒いも迎合も皆無だった。

本盤も聴けば聴くほど味わいがある。タイトルはオランダ語であり、英語では「Forest Path Rabbithole」。確かにこのサウンドは森林であり、人を騙すウサギも落とし穴もある。

1枚目は「Ellington Mix」と「De Purperen Sofa」(The Purple Sofa)。いちいち「It Don't Mix」とかふざけたタイトルが付されていて顔がひきつる。アンサンブルもハンのパーカッションも大変な運動量を自在に急停止させ、急発進させる(何なんだ!)。ミシャのピアノは悠然たるものだ。そして「De Purperen Sofa」はミシャによる作品であり、ヴィオラなど弦をフィーチャーしている。

2枚目は「K-Stukken」(K-Pieces)、「Tegenstroom」(Countercurrent)、「Epiloog」(Epilogue)のミシャ3連作。「K-Stukken」ではなかなか出てこないミシャがピアノを弾き始めると実にホッと嬉しくなる。「Epiloog」で叫ぶのは誰だ、ハンか。油断も隙もない、ソファに深々と座って安心すると同時に、唐突に展開が変わり仰天させられ、また、何てことないという感覚でソロイストが突然暴れはじめるので動悸動悸する。ダダイストか。

愛すべきアヴァンギャルディスト、ミシャ・メンゲルベルク、安らかに。


ICPオーケストラ ミシャ・メンゲルベルグ、トリスタン・ホンジンガーら(2006年) Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、Tri-X(+2)

●参照
ハン・ベニンク@ディスクユニオン Jazz Tokyo(2014年、ICPオーケストラで来日時)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)(ハン・ベニンク)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)(ミシャ・メンゲルベルグ登場)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)(ハン・ベニンク)

ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(2002年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)(ハン・ベニンク)
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(1981年)(ハン・ベニンク)

ウェス・モンゴメリーの1965年の映像(1965年)(ハン・ベニンク)
エリック・ドルフィーの映像『Last Date』(1964年)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』(2011年)