タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』(慶應義塾大学出版会、原著2015年)を読む。
この本が出たときに、ブルックリンの「Unnameable Books」という良い感じの書店で買って読んだ(タナハシ・コーツ『Between The World And Me』)。とは言え、何を言っているかよく解らない箇所も多く、そんなところは解らないままに流した。「訳者あとがき」によれば、批評家でさえ「何について語っているのかまるでわからないことがある」そうであり、わたしの理解が及ばないのも当然なのだった。
本書は、黒人として生まれ育ったコーツが、それは何を意味するのかについて延々と思索し、自分の息子に語りかける形になっている。それは当事者であるからこそ得られた理解に違いないものである。
すなわち、マジョリティは、いかに善良であろうとも、己の居場所を根こそぎ奪われる恐怖に怯えることはない。あるいは「わたしは差別者ではない」と意識する。著者にいわせれば、それは「ドリーム」であった。一方のマイノリティは、長い間暴力と抑圧との対象となり、そのために、居場所とコードを逸脱することに対する恐怖や危険に意識的であった。そのことが、仲間内での暴力再生産を生み出したのだとする著者の指摘は的を射たものだろう。
「黒人の生命の略奪は、この国の揺籃期にさんざんぱら教え込まれ、歴史を通じて強固なものにされてきたのであって、今や国の世襲財産であり、知性であり、直感であり、僕らがたぶん最後の日までいやおうなく立ち戻ることを強いられるデフォルト設定にまでなっているんだよ。」
コーツのこの書は、単なる告発や弾劾の書ではない。世界の非対称性や、世界を分かつ線を引く手が何によるものなのかを考え、それに対して、自己を守り、確立し、闘わなければならないというメッセージだと言うことができる。
●参照
タナハシ・コーツ『Between The World And Me』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性
マニー・ピットソン『ミニー・ザ・ムーチャー』、ウィリアム・マイルズ『I Remember Harlem』ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』