Sightsong

自縄自縛日記

ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』

2017-03-13 08:00:07 | ヨーロッパ

ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』(河出書房新社、原著2015年)を読む。

冒頭の「誰が水道の元栓を閉めたのか」というくだりから既に爆笑、思い切り引き込まれる。登場するのは、決して発刊されることのない日刊紙の準備のために集められた面々。かれらは人生で辛酸を舐めたインテリたちであり(だからこそ知的なのだというプロットは、白川静『孔子伝』を想起させられる)、一癖も二癖もある。 

ムッソリーニやファシストたちを巡る陰謀論は、現実からの思わぬ攻撃により、陰謀論という構図を保ったまま、陳腐なものとなってしまう。その一方で、現実は次の現実によって表面だけ塗り替えられ、不可視の領域へと追いやられてゆく。しかし現実も陰謀論も何もあったものではない、人びとが忘れ去るだけなのだった。

エーコの作品を読むのは『フーコーの振り子』(1989年)以来だ。それもテンプル騎士団やフリーメーソンなどを巡る陰謀論を扱い、また『薔薇の名前』(1983年)(実は映画しか観ていない)も虚実あい混じる世界を描いていた。エーコ亡きいま新しい作品はもう生まれないが、せめて、遺された小説群を味わってみなければ。