Sightsong

自縄自縛日記

ファマドゥ・ドン・モイエ『Sun Percussion』

2018-08-07 23:38:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

ファマドゥ・ドン・モイエ『Sun Percussion』(AECO Records、1975年)。

先日、レコ屋のフリー箱を何気なく覗いたら目に飛び込んできた。しかも未開封。本盤はAECO Recordsの完全ソロシリーズの1枚目であり、これで、2枚目のジョセフ・ジャーマン、3枚目のマラカイ・フェイヴァースとあわせて3枚が揃った。いいだろう。

Famoudou Don Moye (ds, congas, gongs, ballophone, whistles, fl, brake ds, log ds, shekere, bike horns, bells, hubkaphone, bendir, bongos, kalimba, etc.)

打楽器を中心にたくさんの楽器を演奏している。当然ながらアート・アンサンブル・オブ・シカゴに共通する雰囲気が色濃いのだが、本盤では、ソロであるだけにモイエの独自の音色をずっと味わうことができる。

鋭いのだが同時に丸くもあり、この尖ったエッジに向かってきめ細かい紙やすりでピカピカに研いだような感覚。端の尖った部分は透明に透けているような感覚。あるいは高麗青磁のような感覚。耳が悦ぶとはこのことである。

●ファマドゥ・ドン・モイエ
生活向上委員会2016+ドン・モイエ@座・高円寺2(2016年)
ババ・シソコ『Jazz (R)Evolution』(2014年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
ライトシー+モイエ+エレケス『Estate』(2000年)
アーサー・ブライス『Hipmotism』(1991年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『Null Sonne No Point』(1997年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』(1995-96年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(1993年)
ドン・モイエ+アリ・ブラウン『live at the progressive arts center』、レスター・ボウイ・ブラス・ファンタジー『Serious Fan』(1981、89年)
ドン・プーレン+ジョセフ・ジャーマン+ドン・モイエ『The Magic Triangle』(1979年)
ジュリアス・ヘンフィルのBlack Saintのボックスセット(1977-93年)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』(1977年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『苦悩の人々』(1969年)


ニコール・ミッチェル『Maroon Cloud』

2018-08-07 21:53:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

ニコール・ミッチェル『Maroon Cloud』(FPE Records、2017年)を聴く。

Nicole Mitchell (fl, composition)
Fay Victor (vo)
Aruan Ortiz (p)
Tomeka Reid (cello)

SF的想像力は何もサン・ラに限ったわけではなく、むしろアフロ・フューチャリズムの持つ特徴的な視線のひとつだが、ニコール・ミッチェルもその流れに位置付けることができる。彼女はこれまでにオクテイヴィア・バトラーからの影響を公言してきたし、『Mandorla Awakening II: Emerging Worlds』はその指向性が結実した傑作だった。

本盤もまたSF的想像力に満ちている。行き過ぎた技術によって破壊されてゆく世界にあって、「栗色の雲」が、想像力の源泉として物語化されている。『Mandora...』と同様に、生態系や環境の破壊に危機意識をもって物語を創り、それを音楽として表現するのがミッチェルの面白さである。

このサウンドにはメンバー全員が貢献している。フェイ・ヴィクターの深い声は描かれる世界の真実性を表しているようだ。また雰囲気の創出にあたって、きらめきをみせるアルアン・オルティスのピアノも、底流として濃淡を付けるトメカ・リードのチェロも良い。「a sound」での盛り上がりにはドラマ的な興奮を覚える。

そしてニコール・ミッチェルのフルートは常に靄の中から、本盤で言えば「栗色の雲」の中で、くっきりと浮かび上がる。これは特別だ。フェイ・ヴィクターは、最近のFBへの投稿で、『Rolling Stone』誌から「flutist Nicole M. Mitchell repeatedly expanded the boundaries of the instrument with flutters, trills and ear-catching vocal and breath effects」という文章を引用している。

●ニコール・ミッチェル
「JazzTokyo」のNY特集(2017/9/30)(ミッチェルへのインタビュー)
マーク・ドレッサー7@The Stone(2017年)
マーク・ドレッサー7『Sedimental You』(2015-16年)
ニコール・ミッチェル『Mandorla Awakening II: Emerging Worlds』(2015年)
ニコール・ミッチェル『Awakening』、『Aquarius』(2011、12年)
ジョシュア・エイブラムス『Music For Life Itself & The Interrupters』(2010、13年)
「JazzTokyo」のNY特集(2017/7/1)
「JazzTokyo」のNY特集(2017/5/1)


リー・コニッツ+ダン・テファー『Decade』

2018-08-07 20:19:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

リー・コニッツ+ダン・テファー『Decade』(Verve、2010, 15, 16年)を聴く。

Lee Konitz (as, ss, voice)
Dan Tepfer (p)

昨年(2017年)、このデュオをNYのJazz Galleryで観た。なかなか感動的だった。コニッツを目の当たりにするのはおよそ20年ぶりだったが、本質が変わっていないこと自体がもう過激で、しかも、毒を吐いていた。その20年前には『Dig Dug Dog』のタイトル曲でスキャットを始めたところだったのだが、その後スキャットが進化しており、フレーズがコニッツのものであることにも驚かされた。

(実は真後ろにシャイ・マエストロが座ってスマホで動画を撮っており、わたしの間抜けな姿も入っていて笑った。隣の老夫婦は、ジャック・デジョネット『Made in Chicago』の収録時ライヴを観ていたんだよ、と。)

ダン・テファーが書いた本盤のライナーによると、実は、テファーがNYに出てきてすぐにマーシャル・ソラールにコニッツを紹介してもらって以来、10年来の付き合いなのだった(だから『Decade』)。55歳の年齢差があるのにテファーに余裕があり、ときにはコニッツをいなしたりするのもそれゆえだろう。音楽的な相性もばっちりであり、コニッツのノリに合わせていったテファーの大きな才覚を感じる。 

コニッツのフレージングも音色も永遠に独自のものであり、まるで悠然となめらかな空中遊泳をしているようだ。3曲ではコニッツひとりで多重録音をしており、にやりとして愉しんでいる姿が目に浮かぶようである。 

●リー・コニッツ
リー・コニッツ『At Sunside 2018』(2018年)
リー・コニッツ『Jazz Festival Saarbrücken 2017』(2017年)
リー・コニッツ+ダン・テファー@The Jazz Gallery(2017年)
リー・コニッツ『Frescalalto』(2015年)
リー・コニッツ+ケニー・ホイーラー『Olden Times - Live at Birdland Neuburg』(1999年)
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、1999年)
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』(1996年) 
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』(1995年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』 (1978、83年) 
アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』(1981年)
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』(1980年) 
リー・コニッツ『Spirits』(1971年)
リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』(1954、55年)