Sightsong

自縄自縛日記

ウォルフガング・ムースピール『Where the River Goes』

2018-10-16 23:42:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウォルフガング・ムースピール『Where the River Goes』(ECM、2018年)を聴く。

Wolfgang Muthspiel (g)
Ambrose Akinmusire (tp)
Brad Mehldau (p)
Larry Grenadier (b)
Eric Harland (ds)

前作の『Rising Grace』からドラムスが変わっただけである。だがサウンドの印象は格段に良い。

リズムやスピードを柔軟に変更し、それによって生まれる時空間が、雲の切れ間の光を思わせる。その例えでいうと、ウォルフガング・ムースピールが雲、アンブローズ・アキンムシーレが日差し。サウンドは気持ちよく溶け合っている。またブラッド・メルドーは過剰な美に流れることなく抑制しているようであり、それがまた良い。

●ウォルフガング・ムースピール
ウォルフガング・ムースピール『Rising Grace』
(2016年)


翠川敬基『犬の細道』

2018-10-16 23:13:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

翠川敬基『犬の細道』(ファラオ企画、1992年)を読む。

飼犬や家族をめぐる悲喜こもごものエッセイである。気の抜き方とか、声の強弱の付け方とか、やたらと面白い。

レジェンドとも呼ぶべきチェロ奏者だが、そういえば、わたしが存在を知ったのはエッセイによってだった。1989年頃、サンデー毎日か週刊朝日に翠川さんの連載が掲載されていて、すぐに腹をこわして苦労するという話が書かれていた、確か。大人の世界もそうなのだなと元気づけられた、確か。

この本にはお腹がゆるいことは書かれていなかった。

●翠川敬基
ファドも計画@in F(2018年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
1999年、井上敬三(1999年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)


「アジアにめざめたら」@東京国立近代美術館

2018-10-16 22:07:18 | アート・映画

東京国立近代美術館で「アジアにめざめたら」展。

韓国、台湾、中国、東南アジア、日本における1960年代以降のアートが展示されている。

もちろんここには政治的な抑圧に対する表現も、直接的な抵抗も生々しくあらわれている。インドでの1970年代のインディラ・ガンディーによる強権政治。フィリピンにおける1972-81年のマルコス独裁。韓国における長い軍政。第二次天安門事件。1965年のインドネシアにおけるスハルトのクーデター。過去の話だと線を引くことができないためになおさら今でも生々しい。そういった背景を切り離して作品として評価、という言説はバカバカしくナンセンスである。

イ・スンテク(韓国)は燃えたキャンバスを川に浮かべたり、石を縛ったその部分をえぐらせたりと、土俗的でもあり、神がかってもいて印象的。イ・ガンソ(韓国)は、ギャラリー内を酒場にするアクションを行い、佇まいが整った場をいきなり猥雑なものにしており、面白い。

アマンダ・ヘン(シンガポール)は、1人2言語政策(英語、中国語)により存在を問われる<私>を、自分の顔に文字を描くことで表現している。日本において日本語(それも標準語)を強制されることをアートにしたものと言えばなんだろう。タン・ダウ(シンガポール)は、張子の犀の周囲に崔印のボトルをぐるりぐるりと配しており、その清潔な商品感とグロテスクさの共存がいまだにインパクトを持っている。

木版画という表現手段も興味深い。1950年代のシンガポールにおける木版画運動は、魯迅が1930年代に抗日運動の媒体として育てた木刻運動をそのルーツとするのだという。1980年の光州事件を版画としたホン・ソンダムの作品群もまた力強い。かれは逃亡生活においてスプーンも道具として使い、直接的な抵抗を行った(「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie『民衆/美術―版画と社会運動』@福岡アジア美術館)。それだけではない。魯迅やケーテ・コルヴィッツへの共鳴を介して、沖縄、韓国、中国がつながっている(『沖縄でコルヴィッツと出会う』 コルヴィッツ、沖縄、北京、杭州、ソウル、光州)。このような視線は重要だ。

沖縄については、大阪のプレイという集団が、南大東島においてトロッコを人力で動かし一周するというプロジェクトを行っている(1974年)。もちろん糖業を通じた日本による収奪のリプレイである。それは苦痛のリプレイでもあり、山城知佳子の「アーサ女」などと通じるところを感じもした。時代も視線のヴェクトルも異なるのだけれど。


ウィリアム・パーカー@スーパーデラックス

2018-10-16 07:37:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

日本で1日限りのウィリアム・パーカーのソロを観るために、六本木のスーパーデラックスに足を運んだ(2018/10/15)。

William Parker (b, 尺八)
Michiyo Yagi 八木美知依 (17絃ベース箏)

オープニングアクトの八木美知依ソロを経て、巨匠ウィリアム・パーカーが登場。

はじめは左手を弦の上でぐるりぐるりと返し側面や甲も当てながら、右手で弾いた。弦の1本1本が別の音として迫ってきて、低音はびりびりと震える。

やがて「ランディ・ウェストン!」と叫び、「There's a rainbow in the ghetto ...」と歌いながら弾いた。そこから、パーカーの個人史としてのジャズ史を提示しながらのプレイとなった。

1978年のこと。パーカーが車に乗ったミンガスと話をしたことをきっかけに、ホワイトハウスで催されたジャズの集いに出た。ミンガスがいて、オーネット・コールマンもいた。特にカーター大統領はセシル・テイラー(「CT」って呼ぶんだな)のプレイに感激して、「bush」(冗談かどうかわからない)の中に突入していったという。白昼夢的な話なのか事実なのか、周りの誰もわからなかったのだが(英語の聴き取りがまずかったのかと思って居合わせたエリザベス・ミラーさんに確認すると、さあわからないと笑顔で)、帰宅して調べると確かにそれはあった。(>> リンク

この後のアルコは絶品で、弦と弓との接点が点や点の集合体ではなく面なのだった。また、ソニー・ロリンズが電話でデイヴィッド・S・ウェアの死を知らせてきたんだという話の後のピチカートは、実にロリンズ的なフレーズに満ちていて、「St. Thomas」を思わせもするものだった。パーカーはこんなことさえもするのだ。

そして、ビリー・ヒギンズの家でアンドリュー・ヒルに会い、また一緒にArtists House(オーネット・コールマンのロフト)に行くとクリス・アンダーソン、クリフ・ジョーダン、ウィルバー・ウェアがいた。そんな毎日。ウェアのもとを訪ねると何やら言われてビールを持って出直した。ウェアと一緒にクラブに行くとそこにはサニー・マレイ(シンバルを大仰に両手で鳴らす真似で笑った)。トミー・フラナガンも登場。ウェアは「Play what you feel」と言ってくれたんだ、と、パーカー。

話の間には毎回異なる指弾きを聴かせてくれて、また話。たまらない。

1975年にドン・チェリーに会い、Five Spotに行くとフランク・ロウやエド・ブラックウェル。セシル・テイラーとは1981年から92年までの11年間共演した。そしてまた、パーシー・ヒース、ミルト・ヒントン、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、みんな会ったよ、と。

最後に、弦は光や生命であり、弓はプリズムなんだよ、と説明して、アルコで演奏を行った(「Cathedral of Light」という曲らしい)。それは実に繊細なもので、確かに光がプリズムの中で屈折し揺れ動くさまを幻視した。

休憩を挟んで、八木さんとのデュオ。ここでは箏がはじけ破裂することもあり、その強度でパーカーと拮抗した。パーカーは尺八も吹いた。

終わってから、何年か前にニューヨークで買った大きなカードにサインを頂戴した。ジェフ・シュランガーの「FREEMAN (William Parker Solo)」という絵であり(この人の作品はいくつもCDのジャケットになっている)、2013年10月9日にThe Stoneにおいて演奏中に描かれた作品だとある。昨2017年に、ニューヨークの公園でパーカーがクーパー・ムーアやスティーヴ・スウェルと共演したときにもサインをもらった。今回はその横に、お茶目な印とともに名前を書いてくれた。

●ウィリアム・パーカー
ダニエル・カーター+ウィリアム・パーカー+マシュー・シップ『Seraphic Light』(JazzTokyo)(2017年)
スティーヴ・スウェル・トリオ@Children's Magical Garden(2017年)
ウィリアム・パーカー+クーパー・ムーア@Children's Magical Garden(2017年)
スティーヴ・スウェル『Soul Travelers』(2016年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』(2015年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
ウィリアム・パーカー『Live in Wroclove』(2012年)
ウィリアム・パーカー『Essence of Ellington / Live in Milano』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(2010年)
DJスプーキー+マシュー・シップの映像(2009年)
アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』(2008年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ウィリアム・パーカー『Alphaville Suite』(2007年)
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(2007年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』(2006、2003年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』(2005年)
By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』(1994、2007年)
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色(1994、2004年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』(2000年)
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(2000年)
ザ・フィール・トリオ『Looking (Berlin Version)』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』(1982年)
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年) 

●八木美知依
ユーラシアンオペラ東京2018(Incredible sound vision of Eurasia in Tokyo)@スーパーデラックス(2018年)
WHOトリオ@新宿ピットイン(2015年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)