Sightsong

自縄自縛日記

短編調査団・沖縄の巻@neoneo坐

2008-06-11 23:58:13 | 沖縄

仕事帰りに、神田小川町のneoneo坐に寄った。珍しい短編映画を月2回ペースで上映している「短編調査団」、今回は沖縄の映画3本という企画だった。観客は4人。16ミリの上映機(エルモの機械)を使った上映はあまり観ないので嬉しい。

『沖縄から来た少年』(1969年)は、集団就職を取り上げている。かなりの割合の少年少女が、就職後まもなく離職している。その背景のひとつには、本土の差別意識があることがわかってくる。「沖縄では英語を喋るのか」「箸を使うのか」といった質問を周囲にされることに衝撃を受けたある少年は、その理不尽さに怒りを隠さない。

『シーサーの屋根の下で』(1985年、山崎定人)だけは劇映画。竹富島で養蚕、絹織物制作に取り組む女性、その母と娘、強引に島を出て東京で働く息子の物語であり、かなり「くさい」のが面白い。東京のコンクールに出品した絹織物が「奨励賞」を受賞する。観に行ってくれと言われ、息子が訪れる先はなんと日本民藝館。道理で、蕎麦屋の「満留賀」がある風景が駒場に似ていると思った。表彰状には「柳宗悦」の署名があり、この織物と表彰状は本物かもしれない。

『あけもどろ』(1972年、野村岳也・田野多栄一)は、米軍に土地を強制的に奪われた読谷村渡具知の人々の様子を描いている。黙認耕作地の様子や、住民の署名に対する形ばかりの政府の態度、借地料の支払いの様子などが興味深い。返還当時と、現在とでは本質的に何の違いがあるのだろう、と実感してしまう。屋良朝苗や美濃部亮吉らが推薦人に名を連ねていた。

ところで、待っている間に、7月からポレポレ東中野で公開される『バックドロップ・クルディスタン』(2007年、野本大)の予告編が流されていた。どうも音楽はクルド人歌手のシヴァン・ペルウェルみたいだ。以前にブリュッセルでペルウェルを観たときに、観客席で大勢が両手を下のほうでつないで踊っていたが、それらしい踊りのシーンもあった。これだけで観に行くことに決定した。


松風鉱一トリオ@Lindenbaum

2008-06-10 23:59:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

師匠の松風鉱一さんに誘われて、津田沼の「Lindenbaum」でのライヴに出かけた(2008年5月25日)。と言っても、いわゆるライヴハウスではなく、そこのオーナーが趣味で作った建屋。津田沼駅から25分くらい歩いて、住宅街のなかにあった。

すでに多くの手料理を準備されていて、飲みながら演奏を聴き、その後にわいわいと話しながら飲み、食べるというホームパーティだった。贅沢な空間で、狭いのでPAなしの完全生音。楽器の響きがもの凄く気持ちいいのだった。

曲はすべて松風さんのオリジナル。聞き覚えのあるものばかりだが、「Don't Worry About Tenor Sax」だけは、ゆっくりとささくれたような音色で始まるアプローチではなく、いきなりアップテンポで進み、少し吃驚した。演奏は、すべて「Studio Wee」レーベルが録音していたので、CDになる可能性がある。

気がついたら、最後まで居残ってしまい、最後のタクシー組になった。


松風鉱一、吉野弘志 Leica M3、Pentax 43mmF1.9、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


松風鉱一、吉野弘志 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、3号フィルタ


松風鉱一 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、3号フィルタ


松風鉱一 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、3号フィルタ


田中信正 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、3号フィルタ


モノクロ印画紙事情

2008-06-08 23:59:31 | 写真

モノクロ印画紙を買い足そうと秋葉原のヨドバシに行ったところ、ますます売り場面積が縮小していた。今回の理由は、イルフォードの印画紙が突然在庫払拭したことによる。

この印画紙を製造しているハーマンテクノロジー社(英国)が、中外写真薬品に断りなく代理店を変えたことが問題の発端のようだ。中外は代理店を続けることができない状況(→リンク)で、ヨドバシの店員も知らなかったが、調べてみるとその後、代理店がサイバーグラフィックスに移行している(→リンク)。要は、また店頭に並ぶのは時間の問題ということだろう。ひと安心というところだ。

いまの売り場を見ると、富士フイルムが半分以上、残りをオリエンタル(サイバーグラフィックス)、フォマ、フォルテ、ベルゲールなどが占めている。しかし、フォルテのハンガリー工場が閉鎖されるため、フォルテも、同じ工場で作っているベルゲールも、姿を消すことになる。実際に、フォルテのカビネ版はもう棚にない。GEKKO(三菱製紙)も消えた。アグファは一旦消えて、また復活したはずだが、直販だけなのか店頭で見ることがない。フォマは気に入っているが少々高い。

絶望していても仕方がないので、前向きに、イルフォードの代わりにオリエンタル(サイバーグラフィックス)のRCペーパーを買ってみた。富士フイルムでもいいのだが、バライタ(レンブラント)以外は号数紙であり、今回は多階調を使いたかったのだ。

さっき暗室で使ってみた。悪くはないが、階調に余裕が多くない気がする。もっとも気になることは紙の質感だ。なんだかふにゃふにゃして頼りない。水洗いが終って乾かしているとバライタのようにカールしてくる(バライタを間違って買ったかと思って確認したほどだ)。

まあ四の五の言わずに使おうとおもう。とりあえずモノクロ印画紙絶滅の日はまだ迫っていない。


メルボルンでシンディ・ブラックマンを聴いた

2008-06-08 10:58:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

5月に1日だけ泊まったメルボルンでは、昼間仕事をしていたので、明るい市内をまったく見ていない。それで、せめて夜遊びしようとおもい、ホテルの近くにあった「Bennetts Lane」というライヴハウスに、シンディ・ブラックマンを聴きに出かけた。

開場前、人が三々五々集まってきて10人くらいうろうろしている。予約なしでもまったく問題なかった。チャージは飲み物なしで55ドル。最終的には30人くらい入っていた。

最前列に座って待っていると、隣のマレーシア人とやらが話しかけてきた。最初は面白いので話していたが、アヴァンギャルドは心の音楽であり技術に頼る音楽などは堕落だ、とか、偶然というものはなく全て運命なのだ、とか、おかしなことばかり憑りつかれたように話しつづけるので、次第に鬱陶しくなって冷たくあしらってしまった。

狭くて暗くて汚く、時間にアバウトなのは世界中のライヴハウスで共通だろう・・・ブルーノートなどのバブル残滓箱を除いては。変わっているのは、始めるときに腹をぎりぎりまで出した店の女の子がステージにあがり、素敵な夜に素敵なゲストを云々、と悶えながら話したのが、こちらも躁にしてくれたことか。

ちょうどシンディ・ブラックマンがオーストラリアをまわっていて、この日が最終日ということだった。メンバーは、J.D.アレン(テナーサックス)、カールトン・ホームズ(ピアノ)、ジョージ・ミッチェル(ベース)。登場するや、客の伊達男が花をプレゼントしに現れるのも愉快。

曲はホームズらのオリジナルが多いようで、ちょっとウェイン・ショーター風のミステリアスなものが多かった。ブラックマンは精力的に、恍惚として叩き続けた。1時間半ほど聴いて、休憩時間になったところで、翌朝の早朝便のことを思い出してホテルに帰った。


Bennetts Lane Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


Bennetts Lane Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


ブラックマンとアレン Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


J.D.アレン Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


シンディ・ブラックマン Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


ジョージ・ミッチェル Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


ブラックマンは恍惚としてたたき続ける Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


暗い客席 Leica M3、Summicron 50mmF2、TMAX3200、フォマスピードバリアント311、3号フィルタ


歩車分離式信号(5) 信号設置ペース

2008-06-07 13:43:02 | 政治

信号を設置していないばかりに危険な箇所は多い。また、クルマの横暴(自分が鉄の箱の中にいることを忘れている)を回避するためには、歩車分離式信号が必要だとも思っている。

千葉県警は「信号機BOX」(→ リンク)を設置している。それに投書した、歩車分離式信号設置の要請については、2007年1月に千葉県警より返事を頂いている。

①浦安市当代島1丁目 : 現地調査のうえ検討
②市川市相之川3丁目 : さらなる渋滞を引き起こすため却下
③市川市島尻1丁目 : 現地調査のうえ検討 (これは通常の信号)

このうち、①③について、何故か、再度、つい数日前にメールを頂いた。それによれば

①浦安市当代島1丁目 : 交通量等を検討の上検討。
③市川市島尻1丁目 : 県警として受理。県内全体の優先順位を判断するが、早期設置は難しい。 (これは通常の信号)

実は前向きなのか後ろ向きなのか、いまひとつ判断できないのだが、いち市民の要望は忘れ去られていないのであるから、前向きに受け止めたいとおもう。

それにしても、予算制約のためか、前回の返事から1年4ヶ月の間があいている。千葉県で信号を設置した件数は、2007年6月から2008年5月の1年間に138件、うち浦安5件、市川3件。県内の歩車分離式信号の設置状況は、データが2006年3月現在のものから更新されていない。このようなペース感だということだろう。(→ リンク

もうひとつ、上記②の判断材料となる資料はないものかと思っている。つまり、歩車分離式信号があるために渋滞が起きるというのは本当かどうかということだ。話題になった『渋滞学』(西成活裕、新潮社、2006年)も立ち読みしたが、ちょっと違いそうだ。


『インパクション』 沖縄―何が始まっているのか

2008-06-04 23:14:54 | 沖縄

『インパクション』163号(インパクト出版会)では、「沖縄―何が始まっているのか」特集が組まれている。表紙は辺野古の海岸、キャンプ・シュワブとの境界を示す鉄条網である。

一読、いくつも示唆的な箇所があった。大上段の抽象的・観念的な運動ではなく、自分たちの日常や身体と直結した意識に基づいた働きかけが必要だ、とする声が目立つようにおもった。すなわちそれは、社会生活や政治舞台を問わず、何気ない素振りのひとつひとつに対して、軍隊的論理や暴力容認の論理を見出し、顕在化していくことを意味するのだろう。

以下、勝手に抽出して書き換えてみる。(敬称略)

○抵抗の身振りにおいて、「地元」だからという言い方は、NIMBY(Not In My Back Yard)と見なされてしまう危うさがある。住民運動を、外に開かれた形で展開すれば、地域エゴには陥らないかもしれない。そもそも、短期的に移動できる世界では、「地元」という意味を問い直さなければならない。(阿部小涼)
○基地問題などにおいて影響を受ける者の反発の声は、単に「反ヤマト」的な陰の声で終ってしまっている。これが、実はタブーであるとする監視社会の形成につながっている。若い世代の間には、基地に対する諦念や悲愴感さえある。(新垣誠)
○大括りの「基地や軍隊への反対」ではもはや不充分であり、豊かな内実を帯びた具体化が必要となっている。そのためには、自らの身体と直結した社会の暴力をひとつひとつ射抜いていかなければならない。その対象は、性暴力であり、社会の軍事化である。(鳥山淳)
○地下に流れ続けている行き場のない痛念を、生命として、言葉に置き換えていく意義は大きい。(森宣雄)
○事件に呼応して、その感情領域を政治の問題として解消しようとする解説的な(号令する)感性を問題視しなければならない。その解説や号令には優先順位が付けられ、何かに奉仕する。そうではなく、感情や受苦に直接つながる身体との関係こそが重要である。(鄭柚鎮)
○観光や均質な都市空間の形成は、狂気の封じ込めでもあった。そのような世界では、「事件」により誰かの受苦が明るみに出てはじめて、問題の構造が垣間見られる。植民者(ヤマト)および被植民者(オキナワ)の両者が、「事件」前夜において、自らの植民性・被植民性に自覚的にならなければならない。(桃原一彦)
○基地のフェンスやその向こうが見えているからといって、実の視線や意識がボーダーを超えることとはならない。日常や身体にどれだけの<暴力>が浸透しているかを意識上に持ってこなければ、内実のない観念に終ってしまう。(仲里淳)
○子どもたちが幼稚園で歌う「桜咲いたら一年生」は、1月に桜が咲く沖縄にあっては、自ら本土に同化し、沖縄の現実から目をそむける素振りに他ならない。(知念ウシ)
○軍事主義、性暴力が起きる構造やそれに対する呼応は、家父長制と重なってくる。(秋林こずえ)


三上寛+スズキコージ+18禁 『世界で一番美しい夜』

2008-06-03 23:59:53 | アート・映画

もろもろのストレスが極大に達し、渋谷近辺に所用で行ったので、帰りに渋谷シネ・アミューズで『世界で一番美しい夜』(天願大介、2007年)を観た。何しろ三上寛が主題歌を歌うだけでなく漁師役で出演し、美術を地底レコードでお馴染のスズキコージが担当し、R-18指定とあっては、ストレス解消にこれ以上のものはない。

劇場ロビーには、スズキコージの劇中で使用された作品が展示してあった。あんな森林の絵ははじめて見た・・・天才ぶりをいかんなく発揮している。

知らなかったのだが、監督の天願大介は今村昌平の息子ということだ。今村映画で、ちょっとイカれた女の子が登場するものといえば『神々の深き欲望』がある。これにもイカれた女の子が出てくるが、実は「頭が良すぎる」人物であり、三上寛の娘ということになっている。「馬鹿アレルギー」であり、近づいた人間に過敏に反応したかどうかを確認するために、自分の腹に湿疹ができていないかを見るところで、こちらはもう爆笑してしまう。

縮めて言うとつまらないが、不幸な世界を変えるためには、みんな○○○○を思い出そうよという、極めて偏ったメッセージがある。そのために夜は真っ暗になり、世界で一番美しい夜があらわれ、世界中の子どもたちが安心して眠ることができる世界につながっていく。馬鹿馬鹿しいが、そうかも知れないなと妙に納得する。

霊を見ることができる月船さららや、蛇になる田口トモロヲなどの設定も秀逸。現代の女子中学生が振り返るナレーションを入れなければさらなる怪作になっていたような気がするが、元気が出る傑作であることは間違いない。疲れた大人はこれを観に行こう。


三上寛、レディージェーン、2005年 Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X(+2)、フジブロ3号

  
挿入歌は「陰陽」と「かけら」。いま手持ちのCDを確かめたら、「かけら」はこれらの盤に入っている。
林栄一と組んだ四人幇『オレ達の事情』(Off Note)、川下直広と組んだ『air borne』(Off Note)、新宿二丁目でのライヴ『異議ナシ!』(OPEN Records)

>> 映画のサイト


『A POWER STRONGER THAN ITSELF』を読む(1)

2008-06-02 23:59:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

シカゴAACM(the Association for the Advancement of Creative Musicians)の歴史に関する書、『A POWER STRONGER THAN ITSELF』(George E. Lewis、シカゴ大学出版、2008年)は、600頁をゆうに超える大著である。とりあえず読み始めたが、何しろ時間がかかるので、ちょっと読んでは印象的な部分を記しておきたいとおもう。

著者のジョージ・ルイスはAACMのトロンボーン奏者だ。1997年12月、AACM創始者のムハール・リチャード・エイブラムスにインタビューを始めたというから、10年以上をかけたプロジェクトということになる。その前には、1981年に、ワダダ・レオ・スミスとジョセフ・ジャーマンが同様のことを行い始め、AACMの歴史を編纂しようとしたものの未完に終ったようだ。

なぜ通史の作成が難しかったかといえば、AACMのメンバーが、それは内部の者こそがまとめるべきだと考えていたことにもあるようだ。それと関連して、ジョージ・ルイスは、オーラル・ヒストリーのようなものにこだわっている。このあたりの事情や思いが、序文や導入部で繰り返し述べられている。

第1章は、設立と前史。1930年生まれのエイブラムスや、1927年生まれのマラカイ・フェイヴァースなどが、幼少時のシカゴの様子について語っている。貧困、子どもの犯罪、狭い家、白人寄りの教育。そんななかで、当初は音楽よりもスポーツなんかが好きだった彼らだが(とは言っても、お互いに知っていたということだ)、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーなどビバップとの出会いを契機に、音楽に没入していく。教育環境はといえば、黒人の学校においても、ジャズは教える対象ではなく、「悪魔の音楽」であったという。

面白いのは、フェイヴァースがベースを習ったウィルバー・ウェアについての感想だ。ウェアからの影響が多大であったとしつつも、「ウィルバーは何も教えることができなかった。どうやって説明するのか知らなかったのだ」と語るように、「耳の音楽家」だった。現在から考えれば、このような偉大さが成り立っていた土壌がそこにはあったということか。

1929年生まれのサックス奏者、フレッド・アンダーソンについての逸話も面白い。「誰からも影響されず、誰にも追随しない」ことを公言するこの魅力的な人物は、一度たりともダンス・バンドやスクール・アンサンブルで演奏しなかった。いまだ健在、ぜひ一度演奏を目の当たりにしたいとおもう。このような独立独歩の人が寄り集まったAACMが、コレクティヴ・ミュージック的な力を発揮し続けたのだ、と言うことができるだろうか。

時代は1950年代、次第に経済の力が音楽の場をも支配しはじめてくる。商売になりやすいジャズ以外の音楽には、成立が難しい面も出てくる。そのような目で、商売そのものであるノーマン・グランツの「Jazz at the Philharmonic」を眺めることは興味深い。


私の好きなアンダーソンのアルバム、スティーヴ・マッコールとの凄絶なデュオ『Vintage Duets』(Okka Disk、1980年)