Sightsong

自縄自縛日記

小谷忠典『フリーダ・カーロの遺品―石内都、織るように』

2015-08-22 22:55:27 | 中南米

イメージフォーラムに足を運び、小谷忠典『フリーダ・カーロの遺品―石内都、織るように』(2015年)を観る。

フリーダ・カーロは1954年に亡くなった。彼女の死後、夫であったディエゴ・リベラもまた3年後に亡くなる。その前に、別の女性と再婚していた。リベラは開かずの間を定め、未亡人はその言いつけを守り、長生きした。そのようなわけで、カーロの死後50年が経って、開かずの間にあった遺品が出てきたというわけである。

メキシコのキュレーターは、石内都に、遺品の撮影を依頼する。原爆被害者の遺品を撮った仕事『ひろしま』があったゆえだろうか。このドキュメンタリー映画は、石内さんがメキシコに行き、次々に、カーロが使っていたコルセットや服や靴や薬瓶といったものを撮影してゆくプロセスを追っている。

石内さんは、ニコンF3にマイクロニッコール55mmF2.8を付け、コダック・エクター100を詰めて、どんどん撮影していく(サブカメラはリコーGR10であろうか)。そのうちに、遺品が過去のものではなく、現在に在るものとして、あるいはカーロが現在いるものとして捉えられていくのが面白い。ひとが生きることは痕跡を残すことであり、それは過去であろうと、現在という過ぎ去っていく過去であろうと変わりはない。そしてその痕跡は、絹や綿という布のマチエール、空気の中に置かれた佇まい、フィルムというマチエールと混ざってゆく。

カーロは、不便で暑苦しいように見えるオアハカの民族衣装を、ただリベラを喜ばせるために身にまとっていたわけではなかった。むしろ、メキシコ人、オアハカ人というアイデンティティをわが物にするために、自ら引き寄せていたのだった。これがわかったとき、不便さゆえに「女性差別」ではないかという指摘が、突然頭でっかちなものに転じる。映画でもっともスリリングなところだ。


アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』とドン・チェリーの2枚

2015-08-22 12:35:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』(Dreyfus、2010年)は、文字通り、ドン・チェリーに捧げられた1枚だ。

Aldo Romano (ds)
Henri Texier (b)
Geraldine Laurent (sax)
Fabrizio Bosso (tp)

この「元ネタ集」は、たとえば、ドン・チェリー『Complete Communion』(Blue Note、1965年)、『Art Deco』(A&M Records、1988年)の2枚。前者からは「Complete Communion」、「Remembrance」、「Golden Heart」、後者からは「Art Deco」、「When Will the Blues Leave」、さらにオーネット・コールマンの「The Blessing」が選ばれている。

Don Cherry (cor)
Gato Barbieri (ts)
Henry Grimes (b)
Ed Blackwell (ds) 

Don Cherry (tp)
James Clay (ts)
Charlie Haden (b)
Billy Higgins (ds)

ドン・チェリーのコルネットやトランペットの音は、相変わらず間合いが独特で、バンドメンバーと一緒に走っていくつもりがあるのかないのか。天然とか野生とか自由ということばに結びつけることは間違っていないのだ。

したがって、バンドとしての一体感よりも、チェリーのインスピレーションにより発せられる音の佇まいにばかり気を奪われてしまう。もちろん、エド・ブラックウェルも、ガトー・バルビエリも、チャーリー・ヘイデンも、個性満開のいい音を出しているのではあるが。

そういった唯一無二の音楽と比べると、ロマーノの盤は同じ曲を演っていてもまるで違うように聴こえる。色っぽいテキシェのベースも、マニッシュにともかく前を見据え進撃するロマーノのドラムスも良い。しかし、何しろファブリツィオ・ボッソが端正でストレート過ぎて、違うものは違うとしか言いようがない。これはこれで素晴らしい演奏なのに、「なんだかヘン」なチェリーを聴いたあとでは分が悪い。


アルド・ロマーノ(2010年、パリ) Leica M3、Summicron 50mmF2.0、Tri-X(+2増感)、フジブロ4号

●参照
アルド・ロマーノ『New Blood Plays "The Connection"』
アルド・ロマーノ、2010年2月、パリ
オーネット・コールマン集2枚
ジャズ的写真集(5) ギィ・ル・ケレック『carnet de routes』
ダラー・ブランド+ドン・チェリー+カルロス・ワード『The Third World - Underground』
ドン・チェリーの『Live at the Cafe Monmartre 1966』とESPサンプラー
ウィルバー・ウェア『Super Bass』(ドン・チェリー参加)
エド・ブラックウェルとトランペッターとのデュオ(ドン・チェリー参加)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(ドン・チェリー参加)
『Interpretations of Monk』(ドン・チェリー参加)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(ドン・チェリー参加)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(ドン・チェリー参加)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(ドン・チェリー登場)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(ドン・チェリー登場) 


吉村昭『高熱隧道』

2015-08-22 10:00:43 | 東北・中部

吉村昭『高熱隧道』(新潮文庫、原著1967年)を読む。

有名な「黒四」の前に、富山県の黒部川に「黒三」(黒部川第三水力発電所)が建設された。1936年着工、1940年完工・運転開始。今はない日本電力が複数の土建会社に発注して建設させたものであり、秘境ゆえ、ダム建設の資材を運搬するためのトンネル掘削が必要であった。

この掘削工事が難物だった。温泉湧出地帯のため、岩盤温度は次第に上がっていき、最高160℃以上にも達した。そこで掘削しダイナマイトを仕掛けるのは人夫であり、熱中症や火傷で次々と亡くなっていった。ダイナマイトを発破させる前に、自然発火して多くの犠牲者を生みもした。また、越冬期には「泡雪崩」(ホウ雪崩)が起き、衝撃力で、鉄筋コンクリートの宿舎がそのまま山を越えて600mも吹き飛ばされた(!)。

施主や技師はとにかく貫徹させたいという狂える一念。人夫は命と引き換えに得られる高額の日当。そして国は、戦争遂行に電力をなんとしても必要とした。事故が起きるたびに、富山県と富山県警は何度もやめさせようとしたが、犠牲者たちに天皇のご下賜が出ると、すべては一転して抑止力がなくなった。文字通りの狂気である。

戦後は、戦争遂行のためではなく、経済発展のために電力を必要として、やはり多くの犠牲者を出して「黒四」が作られた。そちらは美談にさえなっているが、もちろん、構造は同じである。熊井啓『映画「黒部の太陽」全記録』によれば、「黒三」では多くの朝鮮人労務者が使われたというが、そのことは吉村昭の小説には出てこない。そして、石原裕次郎が演じる映画の主人公の父親は、「黒三」において朝鮮人労務者を強制的にこきつかったという設定であったところ、その描写を削れという抗議があったのだという。なお、『黒部の太陽』は、巨大ダム造りを進めるプロパガンダとして、各河川の漁協説得に使用された歴史を持つ。

つまるところ、「黒三」と「黒四」とは一続きの歴史として捉えるべきか。

●参照
熊井啓『黒部の太陽』
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
吉村昭『破獄』


パスカル・ルブーフ『Pascal's Triangle』

2015-08-22 09:25:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

双子のルブーフ兄弟の弟、パスカル・ルブーフによるピアノトリオ『Pascal's Triangle』(Le Boeuf Music、2013年)を聴く。

Pascal Le Boeuf (p)
Linda Oh (b)
Justin Brown (ds)

この4月にNYを訪れたときもドラムスのジャスティン・ブラウンと組んで「Smalls」に登場していたのだが、残念ながら時間が合わず観ることができなかった。わたしの目当ては、その時も、この盤も、そのジャスティンだ。アンブローズ・アキンムシーレの諸作などで叩いている音を聴いて、無重力空間に身を置きつつ全方面からパンチを繰り出してくる有様は、まるで、『はじめの一歩』の板垣だと思った。

ここでも、パスカルの流麗なピアノと堅実に音楽を進めていくリンダ・オーのベースと並んで、ジャスティンのパルスは、どこを向いて聴けばいいのだろうという「プラネタリウム」状態。ナマで観たい。

●参照
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(ジャスティン・ブラウン参加)
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』(ジャスティン・ブラウン参加)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(ジャスティン・ブラウン参加)
ジェリ・アレン、テリ・リン・キャリントン、イングリッド・ジェンセン、カーメン・ランディ@The Stone(リンダ・オー参加)


サシャ・ペリー『eretik』

2015-08-19 23:04:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

サシャ・ペリー『eretik』(smalls records、2005年)を聴く。

Sacha Perry (p)
Ari Roland (b)
Phil Stewart (ds)

さしたる思い入れがあるでもなく、ニューヨーク「smalls」の常連ピアニストというだけの興味だ。ところが、一聴して早々に魅せられている。バド・パウエルやエルモ・ホープを思わせるどころか、その時代に生きてピアノを弾いているとしか思えない。しかも、ノスタルジアに拠って立つ物真似などではなく、これをわがものとして展開していることは、聴けばわかる。(もっとも、「I Keep Coming Back to You」というオリジナル曲のタイトルで、バドにリスペクトを寄せていることは明らかなのだが。)

1970年生まれって、同学年じゃないか。こんな人がジャズを生きているなんて嬉しいというか、愉快というか、驚きというか。


ノーム・チョムスキー+アンドレ・ヴルチェク『チョムスキーが語る戦争のからくり』

2015-08-18 23:17:02 | 政治

ノーム・チョムスキー+アンドレ・ヴルチェク『チョムスキーが語る戦争のからくり』(平凡社、原著2013年)を読む。

ヴルチェクの試算によれば、大戦後、5,000-5,500万人もの人間が、西側諸国(アメリカとヨーロッパ)の植民地主義によって命を奪われたのだという。驚くべき数字だが、それは、アメリカがヴェトナムや中南米や中東で繰り広げてきたことを総合的・統合的に見れば、想像できなくもない。

東南アジアでは、ヴェトナム戦争があり、カンボジアやラオスへの大規模な攻撃があり、インドネシアでの政変に伴う共産主義者(とみなされる人々)の大規模な虐殺があった(ジョシュア・オッペンハイマーの映画『アクト・オブ・キリング』で追跡された。倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日』に詳しい)。中南米は長らくアメリカの「裏庭」であった。アフリカでは、ルワンダ大虐殺後のコンゴの政変に介入している。中東でも飽くことなく戦争を繰り返している。

本書で訴えていることは、西側中心のメディア報道があまりにも偏っていること、別々の地域での欧米の政治的介入を同列に並べてみるべきことである。たとえば、1965年・インドネシアにおけるスハルトによるクーデターと、1973年・チリにおけるピノチェトによるクーデターとを、アメリカの植民地支配という文脈で同時に語ること。これは決して陰謀論ではなく、個々の史実の積み重ねであると言うべきである。そして、この文脈の中に安保法制を置いてみると、日本がどのような流れに入っていく可能性があるのか、より多くの判断材料を得ることができる。

ところで、さまざまな指摘が盛り込まれた折角の対談を、このように翻訳するだけで出すべきだったのか。解説を充実させて、歴史の流れや当時の政治力学を確認しながら読むことができるようにできなかったのか。邦訳が何か月も遅れたわりには、勿体ないつくりである。

●参照
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」(2014年)
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
(2013年)
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(2013年)
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』(2012年)


アリス・コルトレーン『Turiya Sings』

2015-08-17 23:33:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

アリス・コルトレーン『Turiya Sings』(B.Free Records、1981年)を聴く。

Alice Coltrane (vo, org)
Murray Adler (concert master of strings)

既にインド哲学の精神世界に傾倒して長いアリスが、ストリングスをバックに、歌い、オルガンを弾く。サンスクリット語でのヴォーカルは抑制されており、それとは対象的に、ぎゅわわわと旋回するオルガンはストリングスなど吹き飛ばして時空間を支配する。

つまり何を祈り歌っているのかわからない音楽世界なのであり、それは当時のアメリカ人もいまのわれわれも変わりはしない。それでも、ヴァイブレーションのように全身を襲ってきて心の底に沈殿していくこの音楽は、異常に心地がよくカッコいい。少なくとも、「スピリチュアル系」という括りを簡単に踏み散らしてしまうほどの力があることは確かなのだ。

●参照
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(1971、1972年)
アリス・コルトレーン『Huntington Ashram Monastery』、『World Galaxy』(1969、1972年)


デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』

2015-08-16 22:50:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイ『Live at the Village Vanguard』(1986年)を観る。以前、ある所からVHSをいただいて観たことはあるのだが、それはノイズだらけだった。こうしてDVDにしてくれると嬉しい。

David Murray (ts)
John Hicks (p)
Fred Hopkins (b)
Ed Blackwell (ds)

どうだ参ったかという鉄壁のグループだ。マレイはフリーもトラディッショナルも貪欲にわがものとして吸収し、しかもクリシェとさえ言えそうな己の声を通じて音楽を発してきたスーパーマンである。安易に同じパターンを繰り返してるんじゃないよ、といった批判を昔から多く目にするし、実際そのような側面も笑ってしまうくらい多いのではあるが、それでもマレイの偉大さと功績は揺るがないのだ。このグループによる表現も、80年代のひとつの頂点なのではないかとさえ思えてくる。

ジョン・ヒックスはエッジをきかせた和音をガンガンと繰り出しつつ、その合間に、繊細で抒情的で熱い旋律を迸らせる。フレッド・ホプキンスのベースはR&B的にジャンピーだ。そして悠然とずんずんどっこ、ずんずんどっこ、とお祭り太鼓を叩くエド・ブラックウェル。

「Murray's Steps」や「Morning Song」といったマレイの得意曲は今となってはベタに聴こえるが、それでも、聴いているとどうしようもなくウズウズして燃えてきてしまう。お願いします、また小編成で新宿ピットインに来て狂乱の渦を巻き起こしてください。

●参照
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2012、2009年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』(2009年)
デイヴィッド・マレイの映像『Saxophone Man』(2008、2010年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Edinburgh Jazz Festival』(2008年) 
デイヴィッド・マレイの映像『Live in Berlin』(2007年)
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』(2001年)
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集(1996年)
デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』(1990年)


暑中見舞いは8ミリで/かげひかりげんぞうにんげん8みり

2015-08-16 08:20:41 | 小型映画

(本人は謙遜して否定する)映像作家の安田哲さんが、高円寺の銭湯・小杉湯で、『暑中見舞いは8ミリで/かげひかりげんぞうにんげん8みり』(どちらがタイトルかよくわからない)という展示を行っているというので、中央線に乗って足を運んだ。

純情書店街を抜けて庚申通りの途中。よく見ると歴史のありそうな銭湯である。入ると、なぜ銭湯にギャラリーがあるのかわかった。待合室の壁が展示スペースとなっているのだ(1月ごとの入れ替えで、大人気でしばらく予約で一杯だという)。すでに安田さんと、画家の壷井明さんがいた。

壁には、安田さん自身を含め、何人かが撮った8ミリの白黒フィルムをプリントしたものが貼ってある。もっとも、ライトボックスにフィルムを置いて一眼レフで撮ったものだという。そして安田さんが映写機を手で持って、そのいくつかを壁に映写している。現像は、8ミリ界では有名な大西健児さんであり、トライXをまとめてじゃぶじゃぶと処理しているためムラや傷が多い。もちろんそれは味わいに他ならない。わたしが江戸川の妙見島で撮ったものを映写してもらうと、戦前の浦安界隈にしか見えないのだった。壁には、その1シーンである「HOTEL LUNA」(特定目的ホテル)を撮った部分が貼られていた。

それにしても待合室。風呂あがりに涼む人たちだけでなく、中学生がたむろして漫画をひたすら読みふけっている。なんとフルーツ牛乳だけでなく、数々の「地サイダー」が売られている。せっかくなので200円の「姫路城サイダー」をいただいた。

安田さんは、「自分の靴に鏡を結わえて歩き、そこに写ったカメラを持つ自分の姿」を撮った奇っ怪なる映像を壁に映写している。中学生たちは、映写機を囲んでにやにやしてぼそぼそ喋る人たちをどう思っただろう。近所の方に連れられた小さな女の子は、「なんで回っているの? なんで光っているの? 大人の世界ってやつ? なにも写ってないじゃん!」と鋭いツッコミを入れてきた。

そんなわけで、安田さん、壷井さんと3人で「大将」という店で焼き鳥を食べ、高円寺の街を徘徊して帰った。

●参照
ツァイスイコンのMoviflexと値段が2倍のトライX
記憶の残滓
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その3


朝崎郁恵@錦糸公園

2015-08-16 01:01:09 | 九州

「すみだジャズ」の錦糸公園メインステージでは、夜、朝崎郁恵のステージもあった(2015/8/15)。奄美のレジェンドであり、見逃すわけにはいかない。

終戦記念日ということもあってか、1曲目は「嘉義丸のうた」。最初に、このうたの由来の語りが流された。1943年、大阪を出港した民間船「嘉義丸」(かぎまる)が、米軍に沈められた。300人以上の死者を出す大事件だったが、その情報は軍部により伏せられた。戦局の不利を社会から隠すためだった。まさに同年末に、那覇を出港して米軍に沈められた「湖南丸」が600人以上の犠牲者を出したが、そのことが数十年間も知られることがなかったことと同じである(なお、対馬丸事件はその8か月後である)。嘉義丸事件を知った朝崎郁恵さんの父は、ひどく心を痛め、「嘉義丸のうた」を作ったのだという。しかし、この歌も人前で歌うわけにはいかず、半ば封印された。

もう何年も前に、この歌をめぐるテレビドキュメンタリーを観たことがある。メロディーは、有名な「十九の春」と同じ。曲だけが奄美から南下して沖縄に伝わったのではないか、との見方があるという。

朝崎さんは祈るようにじっくりと歌った。ステージの途中で、その「十九の春」も日本語で歌った。だが、ほとんどの歌は奄美の言葉であり、朝崎さんがかいつまんで説明するものの、聴いていても言葉の直接的な意味はわからない。それでも、よれまくり、揺れまくり、シフトしまくる中から出てくる声は朝崎郁恵のものとしか言いようがなくて、不覚にも泣きそうになってしまう。

最後の「行きゅんにゃ加那」で、ようやく、朝崎郁恵が奄美民謡というカテゴリーに収まる。

●参照
西沢善介『エラブの海』 沖永良部島の映像と朝崎郁恵の唄


MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園

2015-08-15 17:50:51 | 北海道

アイヌのグループ「MAREWREW, IKABE & OKI」が出演するというので、炎天下の「すみだジャズ」に足を運んだ。場所は錦糸公園のメインステージ。 素晴らしいというか、冗談抜きにカッコいい。

MAREWREW(マレウレウ)は、アイヌの伝統歌ウポポを歌うコーラスグループ。3人は、手をたたきながら、小声でささやくように、祈るように、旋律を愉しむように、各々が違う言葉を発する。輪唱というのだろうか、ユニゾンによるコーラスではない。鳥の歌、舟漕ぎの歌、大事な者を取り戻す歌。まるで森の中や開けた野の上で、響きの円環を聴いているようである。

トンコリを弾くのは、OKIと、IKABE(居壁太)。このアイヌ伝統の六弦楽器も変わった響きを持つ。豊かに胴が響くのではなく、むしろ割れる音を利用しているように聴こえる。繰り返しの旋律、またしても円環とトランス。OKIは野太い声で、「石の斧」という怒りに満ちた歌を歌った。IKABEは、ステージの前で、弓矢を持って勇壮な踊りをみせた。

●参照
OKI meets 大城美佐子『北と南』


ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』

2015-08-15 08:27:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(EMANEM、2011年)を聴く。

Lol Coxhill (ss)
Michel Doneda (ss)

水と油なのか、ともかくも唯一者同士なのか、奇なるソプラノサックス奏者の最後の出逢いである。

まるで自然を体現しているかのようなドネダは、沼が泡立ち、風が葉叢をすり抜けるような音世界を展開する。そしてコクスヒルは、ほんらい力が入っていなければならない箇所も脱力しているような感覚。まるですべての制約や権力をまったく意に介していない書家のように、偉大なる垂れ流しをだらだらと続ける。ドネダが人外の者だとして、コクスヒルは偉大な人間か。あるいはその逆か。あるいは両方か。

わたしがコクスヒルの演奏を再度目の当たりにしたのは、ロンドンにおいて、2010年のことだった。これはその翌年の演奏であり、さらに翌2012年にかれは亡くなった。


コクスヒル(2010年) Leica M3、Summicron 50mmF2.0、Tri-X(+3)、フジブロ4号

 


ミッシェル・ドネダ+齋藤徹(2007年) Leica M3、Pentax-L 43mm/f1.9 Special、Tri-X(+2増感)、Gekko 2号

 

●参照
ロル・コクスヒルが亡くなった(2012年)
ロル・コクスヒル+アレックス・ワード『Old Sights, New Sounds』(2010年)
ロル・コクスヒル、2010年2月、ロンドン
コクスヒル/ミントン/アクショテのクリスマス集(1997年)
G.F.フィッツ-ジェラルド+ロル・コクスヒル『The Poppy-Seed Affair』(1981年)
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)


杉本裕明『ルポ にっぽんのごみ』

2015-08-14 23:42:58 | 環境・自然

杉本裕明『ルポ にっぽんのごみ』(岩波新書、2015年)を読む。

日本の廃棄物・リサイクル行政は、21世紀に突入しようとしていた時期に飛躍的に進化した。このことは確かだが、その一方で、実態に追いつくことが困難であることや、法制度の出来上がりが縦割りゆえのものであったことによる問題が、さまざまに出てきた。

たとえば容器包装リサイクル法に基づくペットボトルのリサイクルは、毎年事業者の入札によって廃ペットを入手できるかどうか決まるため事業計画が立たず、その上、落札価格が乱高下するものであったために、とても難しいものであり続けた。これに限らず、ニッチなものに市場原理を適用しようとすると、思い通りに動かないものである。

家電リサイクル法では、導入時から指摘されていたことではあったが、リサイクル代徴収が廃棄時であるために、不法投棄の増加という結果となった。そのことが、国境をまたがる真っ当なリユースを阻害することにもなった。

昔からの問題から新しい問題までトピックを集めていて、とても興味深い。「焼却」偏重という日本独自の現象がどう捉えられるべきかについても、いろいろな視点を与えてくれる。

●参照
喜多川進『環境政策史論』
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』


立花秀輝『Unlimited Standard』

2015-08-13 07:15:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

立花秀輝『Unlimited Standard』(Studio Wee、2011年)を聴く。

立花秀輝 (as)
板橋文夫 (p)
池田芳夫 (b)
小山彰太 (ds)

アルト1本でこんなにいろいろな音色を出していて、しかも面白いアレンジのスタンダード曲集。ヴェテランのサイドメンはそれぞれの味を発揮していて、特に板橋文夫の抒情的に暴れるピアノに聴き惚れる。

それにしても、当初のイメージを裏切り、爽やかでさえある。ボーナスCDの「Autumn Breeze」はまさにそうで、本CDに入れなかったのはスタンダードでないからかな。なかなかタイミングが合わずライヴを観たことがないのだが、そのうちどこかで。

●参照
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』
寺田町+板橋文夫+瀬尾高志『Dum Spiro Spero』
板橋文夫+李政美@どぅたっち
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』
板橋文夫『ダンシング東門』、『わたらせ』
峰厚介『Plays Standards』(板橋文夫)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(板橋文夫)
富樫雅彦『風の遺した物語』(池田芳夫)
2000年4月21日、高木元輝+不破大輔+小山彰太
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(小山彰太)


飽きもせずに蒲田の鳥万と喜来楽

2015-08-13 00:45:25 | 関東

D記者が蒲田に泊まるというので、いそいそと出かけて行った。何しろ蒲田昭和沼である。

確か大田区には東京の3分の1の温泉がある。しかも黒い湯が出る。貝塚爽平『東京の自然史』によると、東京湾は造盆地運動を続けており、その位置関係上、このあたりが掘るのにちょうどよい場所ということだったか。

そんなわけで「鳥万」。名物の巨大な鶏の唐揚げもいいのだが、くじらの刺身やほやの刺身がこたえられないものだった。この名店は何を頼んでも旨いに違いない。

 

そして、東急線沿いにしばらく歩いて、台湾料理の「喜来楽」。台北出身のご主人が、曖昧に欲しいものを口にするとあれこれと出してくれて、ついでに四方山話をしてくれて、さらには夜遅いというのに小学生がやってきて『ドラゴンボール』を観ながらチョコレートを食べていたりして、閾値を軽く超えるフレンドリーさ。しじみの醤油漬けというものが初めて食べる食感で、それというのも、いちど凍らせて醤油に漬けると口を開くからだというのだった。それから「干し大根」が入った卵焼き。Dさんも、台湾でなぜか見知らぬ人に塩漬けの干し大根を貰って、それを細かく刻んで調味料代わりに使っているという。そんな話を聞いていると、まだ足を踏み入れたことのない台湾に行きたくなってくる。

 

蒲田いい街ひとの街。しかし飲みすぎて、翌朝見事に寝坊した。

●参照
蒲田の鳥万、直立猿人
蒲田の喜来楽、かぶら屋(、山城、上弦の月、沖縄)
蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」