Sightsong

自縄自縛日記

チャールス・ロイド@ブルーノート東京

2017-01-13 07:29:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

久しぶりにブルーノート東京に足を運び、チャールス・ロイドを観る(2017/1/12 2nd set)。

Charles Lloyd (ts, fl)
Bill Frisell (g)
Reuben Rogers (b)
Eric Harland (ds)

ロイドのテナーは唯一無二とも言うことができるユニークなものだ。装飾音の塊のようでありながら、それは装飾ではない。サウンドのコアに絶えずアプローチしては離れてゆく、そのことがサウンドを極めてファジーで柔らかいものにしている。「Monk's Mood」のソロを聴いていて、その往還のさまに陶然としてしまった。

今回の目玉はビル・フリゼールでもある。随分前に、『爆弾花嫁』というサイレント映画を上映しながら音を付けてゆくというコンサートを観たことがあって、まったく過激さのないサウンドに失望した。それ以降、フリゼールをあまり聴かなくなってしまったのだが、それは、CDのみで音楽家のイメージを形成する歪んだ形であったかもしれない(つまり、ジョン・ゾーンと活動したり、バスター・キートンをジャケットに使ったりするフリゼールに、エキセントリックなものを見出したかったわけである)。今回、気負わず、浮遊する懐かしさを繰り出すフリゼールには好感を持った。

それにしても奇妙な1時間50分だった(ブルーノートなのに長い)。ロイドやフリゼールのサウンドの自由さは、音楽のフォーマットの枠など超えているようなのだ。ロイドは愉しそうにソロイストに近寄っては煽り、また自分のタイミングを作ってはテナーやフルートを吹いた。まるで自由な路地で会話を続けているように見えた。煽られたロジャースは苦笑し、ハーランドは硬い楔を打ち込んだ。

チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』においては、ロイド自身が、レスター・ヤングからの影響を示唆していた。この達観した融通無碍なプレイを目の当たりにすると、確かにそれも納得できる。

客席には中平穂積さんがいらしていて、長い付き合いのロイドがステージから紹介し、演奏後には抱き合っていた。わたしの前の席には、たまたまサンフランシスコから東京に赴任しているというロイドのファンがいて、いま新宿ゴールデン街のBar十月で中平さんの写真展をやっていると教えたところ、かれはその十月を知っていた。面白い世界である。逆に、かれからは、ザキール・フセインとロイドとの共演盤を熱く推薦されてしまった。

●チャールス・ロイド
チャールス・ロイドの映像『Arrows into Infinity』(2013年)
マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー(2011年)
原将人『おかしさに彩られた悲しみのバラード』、『自己表出史・早川義夫編』(1968、70年) 


ビョーク『vulnicura live』

2017-01-11 07:09:31 | ポップス

ビョーク『vulnicura live』(one little indian records、2015年)を聴く。アナログ2枚組。

これまでに、2015年のビョークの音楽として、愛する者との別れをテーマにした『Vulnicura』、さらにストリングスを引きたてた『Vulnicura Strings』が出されたわけだが、本盤は、同年のライヴステージを収録した作品である。当初はごくわずかの限定盤が出されて、それは気が付いたときには姿を消していて、しばらく待ったあとに一般流通盤がリリースされた。

アルファベットを丹念に辿ることによって言葉を異化し、その持つ意味を再生させるようなビョークのヴォイスがある。それにストリングスが並走し、迫りくるサウンドを創り上げていることは、ヴァルニキュラの連作に共通している。それに加え、ライヴの生々しい臨場感がある。アナログの良さということもあるのだろうか。ストリングスの音が別々の活動として分離しており、その一期一会の感覚が、まさにライヴならではということを強く印象付けてくれるのだ。

すべての曲にじっくり傾聴する価値があるが、たとえば、「black lake」における割れた息遣いのようなサウンド(MOMAのビョーク展において公開された同曲の映像は凄かった)、「quicksand」において突如あらわれるビートなど、ドラマチックな展開を印象付ける曲が随所にあった。
 

ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』

2017-01-10 07:43:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(DIW、1991年)を聴く。

Peter Brotzmann (ts, bcl, tarogato)
Shoji Hano 羽野昌二 (ds, perc)
Tetsu Yamauchi 山内テツ (b)
Haruhiko Gotsu 郷津晴彦 (g)

実は羽野昌二さんの音のキャラについて今も呑みこめていないのだが、それはさておき。郷津晴彦のギターでの導入からはじまり、羽野昌二・山内テツとともに力技の独特なるサウンドを形成する。その意味で、ペーター・ブロッツマンともガチンコ勝負で快感だ。

山内テツさんをライヴで観たのは、主に浅川マキとのステージだった。突然やってくる轟音に脳が痺れた。従って、本盤も大音量で再生しなければらないのだが、近所迷惑ゆえそこまでの体感はできていない。

一方、羽野バンドでのブロッツマンらとの共演を、1997年に新宿ピットインで観たことがある(羽野、ブロッツマン、山内、西野恵、ヨハネス・バウアー)。そのとき、アンプの調子が悪くて山内さんはしばらく試行錯誤し、そのあと、挑発的に笑いながらベースを弾きつつブロッツマンににじり寄っていった。ブロッツマンは、その間、終始不機嫌でとりつくシマがなかった。平然と轟音で攻めてこその山内テツである。

●羽野昌二、山内テツ
ヴェルナー・ルディ『気』(1995-96年)

●ペーター・ブロッツマン
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)


エルメート・パスコアール@渋谷WWW X

2017-01-09 09:29:48 | 中南米

渋谷のWWW Xに足を運び、エルメート・パスコアールのグループを観る(2017/1/8 1st)。わたし自身は2004年に代官山で観て以来だが、そのときはシロ・バチスタが当日になって共演でなく別々にプレイしようとエルメートに言われ苦笑したとの話を聞いた。巻上公一さんも登場した。その後2回くらいは来日しているはずだ。

行けるかどうかわからなかったため予約が遅れ230番台だったが、幸運にも最前列が空いていた。

Hermeto Pascoal E Grupo:
Hermeto Pascoal (key, vo, 角笛, perc)
Itibere Zwarg (b, vo, perc)
Andre Marques (p, perc)
Jota P. (Joao Paulo) (ss, as, ts, fl, piccolo fl, perc)
Fabio Pascoal (perc)
Ajurina Zwarg (ds, perc)
Guests:
須藤かよ (accordion)
ケペル木村 (perc) 

開演までの1時間は、ThomashによるDJ。ダンサブルでカッコいい。shazamでピックアップした音源は以下のもの。

Pedro Santos "Desengano Da Vista"
Kidstreet "Song (Strig Version)"
Frank Ocean "Nikes" 

さて満を持してグループの登場。

ほぼノンストップで1時間20分。どのパフォーマーも魔術師さながらだ。イチベレ・ズヴァルギのベースの疾走感あるグルーヴ。アンドレ・マルケスの理知的かつ情熱的なピアノ。ジョタペ=ジョアン・パウロの完璧なサックスとフルート。

そして御大エルメート・パスコアールのキーボードは異物感さえあるにも関わらず、サウンドを常に浮き立たせるようにしてドライヴする。エルメートのスキャットによるコール・アンド・レスポンスは複雑で、観客が付いていけず爆笑。全員で、玩具や木靴を含めたパーカッションによる演奏も素晴らしく、皆は感嘆の声を上げていた。

ゲストとして登場した須藤かよ、ケペル木村のふたりは、「Leo, Estante Num Instante」を演奏した。リシャール・ガリアーノやミシェル・ポルタルがカバーしている愉しい曲である。これがふたりの手にかかると日本的になるのでさらに愉快。

ローラーコースター、祝祭、笑いと涙。音楽の化身たちによる素晴らしいパフォーマンスを体感できた。 

●参照
エルメート・パスコアールの映像『Hermeto Brincando de Corpo e Alma』(最近)
板橋文夫@東京琉球館(2016年)
トリオ・クルピラ『Vinte』(2016年)
アンドレ・マルケス『Viva Hermeto』(2014年)
アンドレ・マルケス/ヴィンテナ・ブラジレイラ『Bituca』(2013年)
2004年、エルメート・パスコアール(2004年)
エルメート・パスコアールのピアノ・ソロ(1988年) 


北井一夫『写真家の記憶の抽斗』

2017-01-09 08:24:13 | 写真

南青山のビリケンギャラリーにて、北井一夫さんの写真展『写真家の記憶の抽斗』

「週刊読書人」における連載をまとめた本(日本カメラ社)の出版を記念した写真展であり、これまでの北井さんの作品がピックアップして展示されている。

『神戸港湾労働者』(1965年)や『過激派』(1965-68年)では、ミノルタSR-1が使われている(北井さん曰く、頼りにならないのでニコンFもその後使っている)。前者の吊り下げられる男、後者の放水車に群がる男たちの写真などとても良い。

三里塚の写真以降はほとんどキヤノンIIbとIVSbにキヤノン25ミリ。ここでは、三里塚での写真のうち、DMにある少年行動隊(ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのジャケットにも使われている)や、放水車に向かって抗議の手を広げる農民女性の後ろ姿が展示されている。農民の手と放水の線が重なっているのでレンズの悪戯かと思ったが、偶然である。『村へ』(1970年代)も25ミリばかり、長屋の写真などはフィルムが傷だらけである。

『湯治場』(1970年代)の写真もある。ところで、たまたま東京に来る途中だった記者のDさんに写真展のことを紹介したところ、そのあと合流して飲んでいるときに、身体を快復させ自分と向き合うためには、あのような湯治をすべきであると助言された。わたしは寒いところは苦手なので東北に行く気はしないが、湯治という考えはいままでの自分にはなかった。北井さんからもゆっくりした方が良いとの言葉をいただいた。今後湯につかることがあれば、この写真のお導きである。

中国の写真は、木村伊兵衛らと旅をした『1973 中国』(1973年)や、『北京―1990年代―』(1990年代)から数点。後者のころにはほとんどエルマー50ミリだという。

『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)の写真は2点、猪木のファイティングポーズと、猪木を待ち構える観客。思わず買おうかとしてしまった、いい写真である。『アサヒカメラ』1982年4月号には、使ったのはライカM5にズミルックスの35ミリと50ミリ、それにトライXとあるのだが、前者を撮ったレンズは、このために買ったエルマリートの135ミリだそうである。

『新世界物語』(1981年)からは3点。やはりズミルックス35ミリを使っている。北井さんによれば、大阪の写真は東京ではあまり売れないのだという。わからなくもないが、呑み屋で脱力する女性など良い瞬間だ。

『フナバシストーリー』(1989年)からは3点。団地で撮られた女性が、以前に船橋で開かれた写真展で、これはわたしですとあらわれて仰天したことがあった。これらもズミルックス35ミリ。

カラーもいくつかの作品群からピックアップされている(写真集になっていない『フランス放浪』、『信濃遊行』、『西班牙の夜』(1978年))。白黒作品だと思っていた『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)にもカラー作品があった。『フランス放浪』などはエクタクロームで退色しており、『西班牙の夜』はコダクローム64ゆえそうではない。面白いことに、北井さん曰く、カラーは退色したほうがいいんだよ、と。

ちょうど、粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』において取り上げられたためか、お客さんが妙に多いらしい。オリジナルプリントの展示という写真文化を切り開いた人の評伝である。北井さんのプリントはいつ観ても素晴らしいので、ぜひ足を運んでほしいと思う。

ところで、北井さんはソニーのアルファにライカレンズを付けてデジタル写真に取り組んでいる。以前はまだ慣れるところだということだったのだが、ついに、2017年1月20日発売の「日本カメラ」に7点が掲載されるようだ。これは楽しみである。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』(2015年?)
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)
粟生田弓『写真をアートにした男 石原悦郎とツァイト・フォト・サロン』 


金大禮『天命(Supreme)』

2017-01-08 11:13:54 | 韓国・朝鮮

金大禮『天命(Supreme)』(Sound Space、1995年)を聴く。

Kim DaeRye (vo)
Park ByungWon (piri, vo)
Kim GiBong (jing, piri)
Park DongMae (janggo, vo)

金大禮(キム・デレ)は韓国・珍島の歌い手である。

女性ではあるが男性のような迫力のある声だ。腹の底からなのか、全身からなのか、生命力のようなものが喉を伝わり、頭蓋と上半身を震わせた音が絞り出される。これはコブシと言うには単純に過ぎるだろう。そして他の歌い手や、太鼓や、笛の音とともに共鳴し、声が絞り出されている途中にもその性質や音量が変貌してゆく。とんでもない。

先日、里国隆のドキュメンタリー『黒声の記憶』について齋藤徹さんに話したところ、テツさんが、里国隆に似た歌い手として挙げた人である。テツさんによれば、彼女はムソク(シャーマン)の家系ではないが啓示を受けてムソクに入り、練習の途中で声が変わったところで「今、神が降りました」と言ったともいう。また、彼女のチン(jing、銅鑼)の手で持つところは髪の毛であったともいう。さらには、CDで聴いてもこの迫力に魅せられるのではあるが、このバイブレーションは周囲に居た人を巻き込んだはずだ、とも(里さんについても、近くで聴くと、苦痛で逃れられないような体験であったとの証言があった)。

調べてみると、2011年に亡くなったようだ。

●参照
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
パンソリのぺ・イルドン(2012年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、97年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、94年) 
イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』(1993年)
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅 


ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』

2017-01-08 09:44:56 | ヨーロッパ

ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)を観る。タブレットでアマゾンビデオを観るのは快適。

現代のパリ。主人公の男ギルは、ハリウッドのシナリオライターであり生活にはまったく困っていないが、小説家になりたがっている。婚約者は典型的なお金持ちの娘であり、パパは頑固な共和党支持者。見るからにギルと父娘との相性は良くない。その上、この婚約者は、いかにもセレブ界に馴染んだ博学な友人に惹かれる始末。ある夜、ギルは突然1920年代のパリにタイムスリップする。そこではフィッツジェラルド夫妻やヘミングウェイが熱く語り、コール・ポーターがピアノを弾き、ピカソやダリやブニュエルやマン・レイといった男の憧れの対象が現れる。そしてギルとピカソの愛人とは恋に落ち、さらに時間を数十年遡り、ロートレックやゴッホ、ゴーギャンがいるベル・エポックの時代へとスリップしてしまう。

女の憧れは「現代」の20年代ではなくベル・エポック、ギルの憧れは20年代、ギルの婚約者は現代を現実的に生きている。ギルを現代につなぎとめるものが、本物のコール・ポーターではなく、ポーターの古いレコードだということがウディ・アレンらしい。

ウディ・アレンはマンハッタンがひたすら好きで、マンハッタン賛歌たる『マンハッタン』を撮ったのだろうなと思っていたのだが、パリや黄金時代への憧れもあったのだね。もっともそれは、ヘミングウェイらと同様に、アメリカ人にとっての憧れのパリである。それにしても、主人公のコンプレックスや屈折、共和党の毛嫌いぶり、アイドルたちへの憧憬を隠さないミーハーぶりといったものの描写など、さすがというかやはりというかのウディ・アレン。

映画に登場するゼルダ・フィッツジェラルドは、既に心のバランスを崩していて、セーヌ川に飛び込もうとしているところをギルたちに止められたりもしている。エリカ・ロバック『Call Me Zelda』はそのゼルダを描いた面白い小説だったが、映画化の話はどうなったのだろう。ウディ・アレンが監督すればいいのに。

ところでわたしなら1940年代か50年代のマンハッタンにスリップしてみたい。目的は言うまでもない。

●ウディ・アレン
ウディ・アレン『マンハッタン』
(1979年)


ジョー・マクフィー+インゲブリグト・ホーケル・フラーテン『Bricktop』

2017-01-07 08:57:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョー・マクフィー+インゲブリグト・ホーケル・フラーテン『Bricktop』(Trost Records、2015年)を聴く。

Joe McPhee (ts)
Ingebrigt Haker Flaten (b)

ジョー・マクフィーの泣きと情のテナーはグッとくる。 音のよじれも旋回も濁りも、溢れる情とともに力強く絞り出されている。1曲目「Harlem」では、オーネット・コールマンの「Lonely Woman」の引用も聴きとることができる。

ともにブルースの道を歩くのはインゲブリグト・ホーケル・フラーテンであり、ここでは、ダブルベースに専念している。やはり指が力強く、軋みも含め押し出しが強いのはいいのだが、フラーテンだからこその不満がある。別にブルースに付き合わずとも、もっと突破力のある表現がこの人ならできそうなものだ。

●ジョー・マクフィー
ユニヴァーサル・インディアンス w/ ジョー・マクフィー『Skullduggery』(2014年)
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy(2013年)
ジョー・マクフィー『Sonic Elements』(2012年)
ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』(2009年)
『Tribute to Albert Ayler / Live at the Dynamo』(2008年)
ジョー・マクフィーの映像『列車と河:音楽の旅』(2007年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)

●インゲブリグト・ホーケル・フラーテン
アイスピック『Amaranth』(2014年)
インゲブリグト・ホーケル・フラーテン『Birds』(2007-08年)
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
スクール・デイズ『In Our Times』(2001年)


崎山多美『うんじゅが、ナサキ』

2017-01-05 22:36:11 | 沖縄

崎山多美『うんじゅが、ナサキ』(花書院、2016年)を読む。

主人公は突然わけのわからない力に呼び止められ、奇妙な世界を旅する。力とはシマコトバであり、ゆく先は海であったり地下壕であったりする。言ってみれば崎山多美お得意の展開だが、過去の作品に比べても、そのわけのわからなさは際立っているようだ。崎山多美版の『不思議の国のアリス』のようなものだ。

理解してはならぬ、それはすなわち、世界と歴史を「括る」暴力に身をゆだねてはならないからだ。主人公を襲う無数の理解できぬ存在と理解できぬコトバは、それが歴史そのものであることを意味する。そして不可能であると知りながら、無数の声を記録してゆこうとすることとは何か。

イマジネーションを喚起してやまない過去の崎山作品ほどの傑作ではないが、この意図的な「放置プレイ」が、つぎの声を呼び寄せるようである。

●崎山多美
崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
『現代沖縄文学作品選』
『越境広場』創刊0号
『越境広場』1号


ブーガルー・ジョー・ジョーンズ『What It Is』

2017-01-05 07:35:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブーガルー・ジョー・ジョーンズ『What It Is』(Prestige、1971年)を聴く。

ピーター・バラカンが『ミュージック走査線』(新潮文庫、1993年)でジャケットを掲載していた盤であり、ずっと気になっていた。運よくアナログのオリジナル盤を手に入れた。なお、同書ではバラカン氏は多くを語っていないものの、かれについて「限りなくヒップ」だとの賛辞を贈っている。

Boogaloo Joe Jones (g)
Grover Washington Jr. (ts)
Butch Cornell (org)
Jimmy Lewis (b)
Bernard Purdie (ds)
Buddy Caldwell (congas, bongos)

ギターにオルガン、甘いテナーサックスと、典型的といえば典型的なソウル・ジャズのフォーマットだが、だからこそ異常なほど気持ちがいい。アナログの音であるからさらに気持ちがいい。

ブーガルーのギターは線が太く歌いまくる。確かにグラント・グリーンの影響なんかもあるのかな。そして、リズムを取っているだけなのにいつもカッチョいいと思えてしまう、バーナード・パーディのドラムス。いちどロンドンで、まさにグリーンの息子のギターとリューベン・ウィルソンのオルガンとのトリオを観たが、酸欠になって倒れかけるほど興奮した。パーディはどや顔でキメキメのドラムスを叩いているだけなのに。(リューベン・ウィルソンにお釣りをもらったこと

曲は、ブーガルーのオリジナルに加え、ビル・ウィザーズの「Ain't No Sushine」、キャロル・キングの「I Feel the Earth Move」といったソウル~ロックの流行歌。馴染みがないのでYou Tubeで原曲を探して聴き、改めて本盤を再生するとまた愉しい。

ジョー・ジョーンズはフィリーとパパだけではない。

●ブーガルー・ジョー・ジョーンズ
ブーガルー・ジョー・ジョーンズ『Right on Brother』
(1970年)


森山威男3Days@新宿ピットイン

2017-01-04 22:49:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

年始の休みをいいことに、新宿ピットインに3日連続で足を運び、森山威男3デイズ(2017/1/2-4)。

日によってピアニストだけが交代するという趣向である(板橋文夫、山下洋輔、田中信正)。まるで、1977年に(旧)新宿ピットインで「日野元彦と三人のピアニスト」と題された三夜連続のセッションがあり(佐藤允彦、山本剛、板橋文夫)、後日佐藤允彦が参加する形でライヴ録音(日野元彦『Flash』)がなされたというエピソードのようだ。初日、森山さんは「この3日間の結果で、今年お付き合いするピアニストが決まる」と冗談を飛ばしていた。もちろん、もはやそんなことはあり得ないのだけれど。

■ 2017年1月2日

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Shinpei Ruike 類家心平 (tp)
Tetsuro Kawashima 川嶋哲郎 (ts) 
Fumio Itabashi 板橋文夫 (p)
Hiroaki Mizutani 水谷浩章 (b) 

ファーストセット。森山・板橋デュオで、童謡を吹き込んだ新譜『おぼろ月夜』から、「赤い靴」、「ふるさと」、そして「海」に続き、板橋文夫の名曲「わたらせ」が始まると、拍手が起きる(なお、わたしは曲が始まったところでの拍手は「知っているぞ」的な周囲へのアピールとしか思えず、好きではない)。クインテットとなり、「花嫁人形」。

セカンドセット。「Exchange」、「Alligator Dance」、「Rising Sun」と板橋曲、「Hush A Bye」、デュオになって、またも板橋文夫の名曲「Good Bye」。

川嶋哲郎のテナーは久しぶりに聴いたが、低音をこけおどしかというくらいに活かして淀みなくソロを吹き切るスタイルだった。類家心平のソロは変化球を堂々と投げ込む感覚で好きだ。そして板橋文夫の常軌を逸した愉悦は健在。個人的にはこの日のMVPは水谷浩章のウッドベース。普段のエレキでも同じだが、水谷さん独特のグルーヴがあって嬉しくなってしまうのだ。

それで森山威男御大はというと、直前に腰を痛めたらしく、そのせいか、全身でジャンプするような叩きっぷりが影を潜めていた。まるで上半身のみに頼っているようだった。もちろんそれでも十分に素晴らしいのではあるけれど、真の森山威男ではなかった。

ここまで板橋さんの曲と、板橋さんとのデュオで吹き込んだ童謡ばかりを演奏したということは、翌日以降はまた別の選曲になるはずだ。

■ 2017年1月3日

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Shinpei Ruike 類家心平 (tp)
Tetsuro Kawashima 川嶋哲郎 (ts) 
Yosuke Yamashita 山下洋輔 (p)
Hiroaki Mizutani 水谷浩章 (b) 

ファーストセット。森山・山下デュオで「ボレロ」と「シャボン玉」。てっきり、腰を痛めたばかりの森山さんにとって負担の少ないドラミングなのかなと思っていたのだが、続く「キアズマ」ではクインテット編成となり、乗ってきた。類家さんが「キアズマ」を吹いているということが妙に不思議。 

セカンドセット。やはり山下トリオ時代の曲「ミナのセカンド・テーマ」、続く「Hush A Bye」では水谷さんのベースソロが良かった。そして「Sun Rise」での類家心平の素晴らしい、素晴らしいソロ。アイデアも勢いも抜群である。

うなると山下さんも暴れまくり、やはり聴きにきて良かったと思うのだった。最後は「Good Bye」。この板橋文夫の曲を山下洋輔が演奏することは珍しいようで、さすがの分解再構築を見せた。

森山さんは依然として腰がつらそうだが、演奏では前日よりも調子が戻ってきたようにも見えた。

■ 2017年1月4日

 

Takeo Moriyama 森山威男 (ds)
Shinpei Ruike 類家心平 (tp)
Tetsuro Kawashima 川嶋哲郎 (ts) 
Nobumasa Tanaka 田中信正 (p)
Hiroaki Mizutani 水谷浩章 (b) 

ファーストセット。森山・田中デュオで「Danny Boy」。森山さんは腰が痛そうで、すぐに他のメンバーを呼んでクインテットとなった。もっとデュオで演奏するつもりだったのではなかろうか。「Forest Mode」「Your Son」と佐藤芳明の曲を2曲、特に前者では類家さんのソロがいきなり熱い。そして「My Favorite Things」、川嶋さんのソロはまるっきりトレーンである。 

セカンドセット。「Alligator Dance」では類家心平の独創的なソロがあり、それを受け継ぐように、田中信正が切れたように激しいソロを弾いた(それでも品があるので不思議なものだ)。「Gratitude」を経て、いつもの「Sun Rise」、「Hush A Bye」。アンコールに応えての「Good Bye」では、イントロの田中さんのピアノがエキセントリックでも美的でもあって、この曲では聴いたことがないようなもので、素晴らしかった。そして、類家さんのトランペットは抑えた音色で、この人ならではのものだと思うのだが、この3日間ではさほど目立たなかったような気がする。それだけテンションが高い状態だったということか。

水谷さんのグルーヴはこの日も個性的で目立ちまくっていた。森山さんは3日間身体が辛そうで、最後まで、跳躍しなかった。次回の爆発に期待。 

●森山威男
森山威男@新宿ピットイン(2016年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
森山・板橋クインテット『STRAIGHTEDGE』(2014年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
『森山威男ミーツ市川修』(2000年)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(1980、90年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
内田修ジャズコレクション『宮沢昭』(1976-87年)
宮沢昭『木曽』(1970年)
見上げてごらん夜の星を
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』


ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』

2017-01-03 10:33:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(Intakt、2015年)を聴く。

Barry Guy (b, composer)
Marilyn Crispell (p)
Paul Lytton (perc)

ヒューイ・オドナヒュー(Hughie O'Donoghue) というイギリスの画家の作品をモチーフにして、絵の1枚ずつを曲にした作品集。ライナーノートに7曲それぞれの絵が掲載されており、イギリスのターナーのように風景の中に色彩が消え入るようでもあり、また、モローやベックリンのような世紀末絵画的でもあり。

作曲はすべてバリー・ガイの手によるものであり、確かにオドナヒューの絵とシンクロさせながら聴くと物語的である。そんなイメージはなかったのだが、意外にもかれのベースは柔らかいものだった。

マリリン・クリスペルのピアノは、耽溺するほどの怖ろしい雰囲気はないけれど、絵の世紀末的・耽美的な雰囲気にとても合っている。そしてポール・リットンのシンバルの繊細なことといったら。

マイラ・メルフォード『life carries me this way』が、画家ドン・ライヒの作品をモチーフにしたソロピアノ集だったが、このようなコンセプトアルバムもいいものである。

●バリー・ガイ
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
マッツ・グスタフソン+バリー・ガイ『Frogging』(1997年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)

●マリリン・クリスペル
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」(2015年)
ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(2011年)
ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(2007年)
マリリン・クリスペル『Storyteller』(2003年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ペーター・ブロッツマン
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)

●ポール・リットン
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)


宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』

2017-01-02 11:49:52 | 沖縄

宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』(Basic Function、1978年)を聴く。

宮里千里さんが店長を務める那覇・栄町市場の宮里小書店で買った。もっとも、いまは娘さんの副店長・宮里綾羽さんがお店に座っている。あれこれと古本を物色していると自然と雑談になり、また、となりのお店の方もなぜかコーヒーを出してくれたりして、さらに宮里綾羽さんはバス停まで案内してくれたりして、ひたすら心温まるところである。(宮里綾羽さんの連載「ガラガラ石畳」は面白い。)

ここに記録されているのは、1978年に行われた久高島の祭祀イザイホーの音声である。宮里さんは、那覇の平和通りで里国隆の唄を記録したときと同様にナグラを抱えて久高島に渡ったのだろうか。動画、写真、音声が残されているイザイホーは、1966年と78年の回だけである。

イザイホーは、島の女たちが神に仕える者となるために12年に1回行われる祭祀であり、この回を最後として行われていない(1990年、2002年、2014年)。久高島ではイラブー捕りは復活したし、このイザイホーもまた行おうとの動きもあると聞くことがときどきあるが、やはり神事であり、実施する基準(島で生まれ、島の男性と結婚し、島に暮らす、など)を引き下げることは難しいに違いない。

久高島の祭祀は非常に多く、イザイホーだけではない。しかし、この回は日本の「本土」や沖縄本島から非常に多くの見物客が押し寄せた。現在のパワースポットブームを思い出すまでもなく、昔から、自分の生活や信仰と関係なく、スピリチュアルなものに惹かれる動きは多かったということである。それにより祭祀の価値がいささかも下がるものではないが、その意味では、イザイホーも久高島も俗に取り巻かれていた。(その起源のひとつは、66年の岡本太郎の行いであるのだろう。)

写真という記録については、比嘉康雄が西銘シズに信頼され(久高ノロ、外間ノロのノロ2系統のうち外間の側)、男子禁制のクボー御嶽にも立ち入ることを許された。その結果、素晴らしい写真群が生み出された。その一方で、このCDには、比嘉康雄と西銘シズとの興味深い対話が収録されている。琉球神話開闢の神・アマミキヨについて、比嘉康雄が、なぜアマミなんだろう、やっぱり奄美から来たのかな、と誘導するように語りかけているのである。この視線は、琉球のルーツを日本に見出そうとする伊波普猷(『琉球人種論』、1911年)のものである。その一方で、ヤマトゥ側の柳田國男は、日本のルーツを琉球に見出そうとした。いずれも、いくばくかは「そうあってほしい」という気持が含まれた仮説だった。また、拠り所となる琉球開闢神話にしてからが、琉球王朝を支える「大文字の歴史」であった。

CDのトラック4に収録されているユクネーガミアシビには、神女の候補たる島の女たちが、「七ツ橋」を渡るところも含まれている。ここで橋を踏みはずすと、たとえば不貞を行ったなど、神女になる資格なしとされた。かつては、個人的な諍いなどから、仲間内でいきなり端から突き飛ばすこともあったのだという。(そうなると、その後、島で生きていけたのだろうか・・・?)

すなわち、イザイホーの権力構造も、イザイホーに当事者として参加する女たちも、イザイホーを取り巻く者たちも、純粋な神事の世界にあったわけではなかった。しかし、それが興味深く、面白いのである。

「エーファイ、エーファイ」とハモりながら一期一会の祭祀に参加する女たちの声を聴いていると、確かにわけもなく怖ろしく神々しい気持ちになってしまう。たいへんなCDをこの時代に復活して出してくれたものである。

●参照
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の映像(5) 『イザイホー~沖縄の神女たち~』
久高島の映像(6) 『乾いた沖縄』
吉本隆明『南島論』
「岡谷神社学」の2冊
柳田國男『海南小記』
伊波普猷『古琉球』
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
加治順人『沖縄の神社』


ジョン・アバークロンビー+アンディ・ラヴァーン『Timeline』

2017-01-02 10:11:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・アバークロンビー+アンディ・ラヴァーン『Timeline』(SteepleChase、2002年)を聴く。

John Abercrombie (g)
Andy LaVerne (p)

コンセプトは、ビル・エヴァンスとジム・ホールとの共演に挑むことか。

『Undercurrent』(1962年)からは、「My Funny Valentine」、「Darn That Dream」、「Skating in Central Park」の3曲が、また『Intermodulation』(1963年)からは、「Turn Out the Stars」と「All Across the City」の2曲が採用されている。その他6曲。ジャケットは『Intermodulation』へのオマージュだろうね。(というか、『Undercurrent』のパクリをしたら、ギャグにしかなりようがない。)

もとよりアバークロンビーの太くくっきりとして空中に漂流するようなギターは嫌いではないし、チャールス・ロイドとの共演盤なんて今すぐにでも出してきて聴きたいくらいなのだが、まったくこの盤では刺さってくるものがない。

やはり偉大な作品を前にして分が悪いし、また創り上げていくときの過程は結果にも影響するに違いない。何しろ、『Undercurrent』では、ゆっくりとしたテンポでふたりのコード楽器による和音を大切にしようとしていたところ、早いテンポでの「My Funny Valentine」で丁々発止の演奏を行うことになり、それを冒頭にもってきたというのだから、緊張感もただならぬものがあっただろう。その再現がオリジナルと同じ高みに到達できるわけがない。

そんなわけで、あらためて『Undercurrent』を聴いてみると、どの演奏もやはり素晴らしい。特に、ジム・ホールの音に秘められた綾はなんだろう。

Bill Evans (p)
Jim Hall (g) 

ところで、CDジャケット裏側のメンバー記載。ここにも緊張感のなさがあらわれている(笑)。これはないだろう、という・・・。いや、SteepleChaseのアルバムには誤記が多いような気がするし、amazonで確認すると、いまでは修正されているようなのだけれど。

●ビル・エヴァンス
『Stan Getz & Bill Evans』(1964年)
ビル・エヴァンス『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(1961年)
スコット・ラファロ『Pieces of Jade』(1961年)


『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」』

2017-01-01 19:29:25 | 北海道

NHKのETV特集として放送された『今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~』を観る(2016/12/17放送)。

北の先住民族・アイヌ民族は話し言葉であり、固有の文字を持たなかった。従って研究や伝承というものが重要になる。その一方で、NHKが戦後すぐに行ったアイヌ語の録音レコードが、最近になって発見されたという。確かにこれは大変な事件なのだろう。

聖地・二風谷(ニブタニ)のある平取(ビラトリ)町では、カムイ。人間の力を超える神の存在(それが人間ではこぼしてしまう汁を受けとめる食器であっても)を称える歌である。貝澤アレクアイヌが知里真志保(知里幸恵の弟)・金田一京助というふたりの言語学者をもてなして歌ったものだという。

釧路では、祭り歌たるウポポ。生きてゆくことを、自然からの収奪ではなく、自然との共存として位置づけたものである。手拍子を叩きながらフクロウの声を真似てみたりして、確かに、ウポポを取り入れて伝えているマレウレウのようだ(MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』)。

登別では、叙事詩ユーカラ。ここでは金成(カンナリ)マツという人物が、ユーカラを残さんとして、20年かけてその発音をノートに記録し、レコードに吹きこんでいる。ユーカラは何日もかけて歌うスケールの大きなものであり、大人の娯楽でもあったという。

旭川では、踊りにあわせて即興で歌うシノッチャ。ここでは、尾澤カンシャトクという人が、日本の悪政が戦争と郷土の荒廃をもたらしたのだと歌っている。

白老町では、トラブルが起きたときにお互いに言い分を歌いあうチャランケ。中野で毎年行われているチャランケ祭は、日本においてアイヌ民族、そして沖縄人が祭りを行うことの意味を示唆してのものだろうか。

いずれも歴史的な意義を思い知らされると同時に、残された声の力に感激してしまう。

番組では明治政府の植民地化政策を主に取り上げている(1869年の「北海道」命名、1899年の「旧土人保護法」、それらに基づく鮭・鹿などの狩猟制限と農業の押しつけ、同化政策、日本語の強制)。もっとも、日本政府(松前藩)による侵略は江戸期から顕著になってきており、1669年に蜂起したシャクシャインは騙し討ちにされている(このあたりの経緯については、新谷行『アイヌ民族抵抗史』瀬川拓郎『アイヌ学入門』に詳しい)。琉球・沖縄とアイヌモシリ・北海道とを対比してみれば、ヤマトンチュ・和人の行為として、1609年の島津藩による琉球侵攻(上里隆史『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』に詳しい)と松前藩の侵略とを、また明治政府の第二次琉球処分と開拓の本格化とを並置すべきものだろう。

ちょうどそれは、『帰ってきたウルトラマン』第33話の「怪獣使いと少年」において、アイヌの孤児と在日コリアンの老人を描いた沖縄人・上原正三氏の視線のように(上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』)。また、施政権返還前の沖縄に移住し、沖縄の絵を描き、「わが島の土となりしアイヌ兵士に捧ぐ」という作品さえも描いた宮良瑛子氏のように。岡和田晃氏と李恢成氏との応答において紹介される、アイヌ、朝鮮人、和人の関係を見つめた文学にもあたっていきたいと思う(植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」)。

さらには、アイヌ侵略が、一連のアジア侵略に伴う植民政策の事前検討のようになされているということも、重要な視点なのだろう(井上勝生『明治日本の植民地支配』)。竹内渉「知里真志保と創氏改名」によれば、アイヌに対する「創氏改名」政策は、実は朝鮮に対する適用前のトレーニングであった(『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う)。支配中にも、アイヌに農業を押し付けたように、朝鮮でも東南アジアでも農業を強制し、大変な歪みと被害とをもたらしたのであった。

●参照
新谷行『アイヌ民族抵抗史』
瀬川拓郎『アイヌ学入門』
マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』(2016年)
MAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園(2015年)
OKI DUB AINU BAND『UTARHYTHM』(2016年)
OKI meets 大城美佐子『北と南』(2012年)
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」

新大久保のアイヌ料理店「ハルコロ」
上原善広『被差別のグルメ』
モンゴルの口琴