Sightsong

自縄自縛日記

宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』

2017-01-02 11:49:52 | 沖縄

宮里千里『琉球弧の祭祀―久高島イザイホー』(Basic Function、1978年)を聴く。

宮里千里さんが店長を務める那覇・栄町市場の宮里小書店で買った。もっとも、いまは娘さんの副店長・宮里綾羽さんがお店に座っている。あれこれと古本を物色していると自然と雑談になり、また、となりのお店の方もなぜかコーヒーを出してくれたりして、さらに宮里綾羽さんはバス停まで案内してくれたりして、ひたすら心温まるところである。(宮里綾羽さんの連載「ガラガラ石畳」は面白い。)

ここに記録されているのは、1978年に行われた久高島の祭祀イザイホーの音声である。宮里さんは、那覇の平和通りで里国隆の唄を記録したときと同様にナグラを抱えて久高島に渡ったのだろうか。動画、写真、音声が残されているイザイホーは、1966年と78年の回だけである。

イザイホーは、島の女たちが神に仕える者となるために12年に1回行われる祭祀であり、この回を最後として行われていない(1990年、2002年、2014年)。久高島ではイラブー捕りは復活したし、このイザイホーもまた行おうとの動きもあると聞くことがときどきあるが、やはり神事であり、実施する基準(島で生まれ、島の男性と結婚し、島に暮らす、など)を引き下げることは難しいに違いない。

久高島の祭祀は非常に多く、イザイホーだけではない。しかし、この回は日本の「本土」や沖縄本島から非常に多くの見物客が押し寄せた。現在のパワースポットブームを思い出すまでもなく、昔から、自分の生活や信仰と関係なく、スピリチュアルなものに惹かれる動きは多かったということである。それにより祭祀の価値がいささかも下がるものではないが、その意味では、イザイホーも久高島も俗に取り巻かれていた。(その起源のひとつは、66年の岡本太郎の行いであるのだろう。)

写真という記録については、比嘉康雄が西銘シズに信頼され(久高ノロ、外間ノロのノロ2系統のうち外間の側)、男子禁制のクボー御嶽にも立ち入ることを許された。その結果、素晴らしい写真群が生み出された。その一方で、このCDには、比嘉康雄と西銘シズとの興味深い対話が収録されている。琉球神話開闢の神・アマミキヨについて、比嘉康雄が、なぜアマミなんだろう、やっぱり奄美から来たのかな、と誘導するように語りかけているのである。この視線は、琉球のルーツを日本に見出そうとする伊波普猷(『琉球人種論』、1911年)のものである。その一方で、ヤマトゥ側の柳田國男は、日本のルーツを琉球に見出そうとした。いずれも、いくばくかは「そうあってほしい」という気持が含まれた仮説だった。また、拠り所となる琉球開闢神話にしてからが、琉球王朝を支える「大文字の歴史」であった。

CDのトラック4に収録されているユクネーガミアシビには、神女の候補たる島の女たちが、「七ツ橋」を渡るところも含まれている。ここで橋を踏みはずすと、たとえば不貞を行ったなど、神女になる資格なしとされた。かつては、個人的な諍いなどから、仲間内でいきなり端から突き飛ばすこともあったのだという。(そうなると、その後、島で生きていけたのだろうか・・・?)

すなわち、イザイホーの権力構造も、イザイホーに当事者として参加する女たちも、イザイホーを取り巻く者たちも、純粋な神事の世界にあったわけではなかった。しかし、それが興味深く、面白いのである。

「エーファイ、エーファイ」とハモりながら一期一会の祭祀に参加する女たちの声を聴いていると、確かにわけもなく怖ろしく神々しい気持ちになってしまう。たいへんなCDをこの時代に復活して出してくれたものである。

●参照
久高島の映像(1) 1966年のイザイホー
久高島の映像(2) 1978年のイザイホー
久高島の映像(3) 現在の姿『久高オデッセイ』
久高島の映像(4) 『豚の報い』
久高島の映像(5) 『イザイホー~沖縄の神女たち~』
久高島の映像(6) 『乾いた沖縄』
吉本隆明『南島論』
「岡谷神社学」の2冊
柳田國男『海南小記』
伊波普猷『古琉球』
伊佐眞一『伊波普猷批判序説』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
加治順人『沖縄の神社』


ジョン・アバークロンビー+アンディ・ラヴァーン『Timeline』

2017-01-02 10:11:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・アバークロンビー+アンディ・ラヴァーン『Timeline』(SteepleChase、2002年)を聴く。

John Abercrombie (g)
Andy LaVerne (p)

コンセプトは、ビル・エヴァンスとジム・ホールとの共演に挑むことか。

『Undercurrent』(1962年)からは、「My Funny Valentine」、「Darn That Dream」、「Skating in Central Park」の3曲が、また『Intermodulation』(1963年)からは、「Turn Out the Stars」と「All Across the City」の2曲が採用されている。その他6曲。ジャケットは『Intermodulation』へのオマージュだろうね。(というか、『Undercurrent』のパクリをしたら、ギャグにしかなりようがない。)

もとよりアバークロンビーの太くくっきりとして空中に漂流するようなギターは嫌いではないし、チャールス・ロイドとの共演盤なんて今すぐにでも出してきて聴きたいくらいなのだが、まったくこの盤では刺さってくるものがない。

やはり偉大な作品を前にして分が悪いし、また創り上げていくときの過程は結果にも影響するに違いない。何しろ、『Undercurrent』では、ゆっくりとしたテンポでふたりのコード楽器による和音を大切にしようとしていたところ、早いテンポでの「My Funny Valentine」で丁々発止の演奏を行うことになり、それを冒頭にもってきたというのだから、緊張感もただならぬものがあっただろう。その再現がオリジナルと同じ高みに到達できるわけがない。

そんなわけで、あらためて『Undercurrent』を聴いてみると、どの演奏もやはり素晴らしい。特に、ジム・ホールの音に秘められた綾はなんだろう。

Bill Evans (p)
Jim Hall (g) 

ところで、CDジャケット裏側のメンバー記載。ここにも緊張感のなさがあらわれている(笑)。これはないだろう、という・・・。いや、SteepleChaseのアルバムには誤記が多いような気がするし、amazonで確認すると、いまでは修正されているようなのだけれど。

●ビル・エヴァンス
『Stan Getz & Bill Evans』(1964年)
ビル・エヴァンス『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(1961年)
スコット・ラファロ『Pieces of Jade』(1961年)