日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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2009年12月2日 愛よりも言葉よりも

2009-12-15 05:59:37 | エセ善人ねた
 今日はVIPへのデモ…巧いこと「JMBワールド」に引き込めた気がするのだが、どうだったろうか。だいたい、ウチの会社の連中ときたらプレゼンに対しての努力をもすこししても良いんじゃないの?ちょっとした仕草や声の高低、スピード、抑揚でお客様の理解度も好感度も変わると思うのだけれど…

 「それは本質じゃない、小手先のテクニックだ」と言う人もいるだろうけれど、でも同じ技術を見せるのなら見せ方を工夫してより高い努力をするのもプロとしての努めなのでは。

 という仕事の話はさておき、でも会社で拾ったネタ。

 「慰めの言葉じゃ生きてゆけない」こう友人に言われたらどうするか。(なんでそんなネタが会社で転がってるかはさておいて)

 言葉の主はきっと、経済的に行き詰まってる人なのだろう。そういう境遇の友人と電話か何かで話して、そう言われたというもの。以前なら「なんて恩知らずな」言葉の主に憤慨したかもしれない。でも今では、そういう言葉が出てしまうほど追い詰められているんだと気の毒に思えてしまう。まさに「同情するならカネをくれ!」だ。慰めの言葉も励ましの呼びかけでも、その友人の腹はふくれないものね。希望の言葉より今晩のメシという切羽詰ったレベルまでいっちゃた人にできることって、黙って握り飯でも差し出すことしかないんじゃないの?

 そうは言っても「傍にいるぞ」と語りかけるだけで、少しの希望か安心感を与えることはできるんじゃないかと思いたい。でもまずは明日まで生きる為の糧を得たい、その手助けを永遠にできますか?

 「オレはオマエのこと気にしているぞ、忘れてないぞ」と言うのは勝手な思い込みの免罪符に過ぎないのか。我が身に置き換え考えていると、果てしない無力感に襲われるのであった。

 やっぱり何も出来ないよなぁ…

コメント (2)
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