母親が炭鉱に近い街の生まれ育ちだったり、子供のころ五木寛之「青春の門」を読んだり、一人旅を始めた頃は北九州や北海道の石炭線が多数残っていたり、まぁそんな影響で炭鉱(と言うか鉱山全般)好きなのです。なのでこの写真展には興味津々で飛び込んだ。
題材としては当たり前か。炭塵にまみれた鉱夫、簡素な炭住(炭鉱夫むけ住宅)、そして坑内事故後の光景。取り立ててオオッと言うほどの写真ではない気がする。
だが置かれた写真集のあとがきなど読むと、この人は他のカメラマンより遥かに炭鉱に足繁く通い、鉱夫や家族と打ち解け受け入れられた人だったらしい。そう思って見直すと、写っている人々は無表情かもしれないがレンズに対する敵意は見えず無防備であるようにも見える。
あまたの犠牲を払って採掘作業はようやく安全と言えるレベルに達したように見えるが時すでに遅く日本の石炭採掘業は風前の灯となっている。わずか数十年前の光景は、遠い記憶になってしまったように思える。日本の近代化や高度経済成長を、危険と隣り合わせの環境で一所懸命に支えた鉱夫やその家族のことを覚えておきたい。
2015年2月13日 銀座ニコンサロンにて
題材としては当たり前か。炭塵にまみれた鉱夫、簡素な炭住(炭鉱夫むけ住宅)、そして坑内事故後の光景。取り立ててオオッと言うほどの写真ではない気がする。
だが置かれた写真集のあとがきなど読むと、この人は他のカメラマンより遥かに炭鉱に足繁く通い、鉱夫や家族と打ち解け受け入れられた人だったらしい。そう思って見直すと、写っている人々は無表情かもしれないがレンズに対する敵意は見えず無防備であるようにも見える。
あまたの犠牲を払って採掘作業はようやく安全と言えるレベルに達したように見えるが時すでに遅く日本の石炭採掘業は風前の灯となっている。わずか数十年前の光景は、遠い記憶になってしまったように思える。日本の近代化や高度経済成長を、危険と隣り合わせの環境で一所懸命に支えた鉱夫やその家族のことを覚えておきたい。
2015年2月13日 銀座ニコンサロンにて