「苦海浄土 わが水俣病 新装版」石牟礼道子
水俣病とその患者、家族に寄り添った記録。
ノンフィクションでありながら、限りなく文学に近い。
古典で名作、と思う。
涙なしに読めない。
P150
海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情けなか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね・・・・・・。
P270
「ねむろねむろ。うちはなあとうちゃん。ゆりはああして寝とるばっかり、もう死んどる者じゃ、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親・・・・・・」
P356
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。(中略)上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に、69人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
【地図】
【感想】
読んでいて、なんとなく「サンダカン八番娼館」を思い出した。
女性たちは、島原半島、天草諸島出身者が多かった、と聞く。
そして、再び水俣に公害病が発生。
なぜ、貧しいところ、弱いところに集中するのだろう。
【ネット上の紹介】
工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。
第1章 椿の海
第2章 不知火海沿岸漁民
第3章 ゆき女きき書
第4章 天の魚
第5章 地の魚
第6章 とんとん村
第7章 昭和四十三年