切腹
1962年/日本
武士の面目という虚飾
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
本作のリメイクである『一命』(三池崇史監督 2011年)を先に観てしまったために、本作にそれほど期待していなかったのであるが、『一命』ではよく分からなかったことが本作を観てようやく理解できた。
労咳を患っている妻の美保と高熱で苦しんでいる息子のために、‘狂言切腹’を試みた千々岩求女は、問答無用で本当に切腹させられる憂き目に遭い、結局3人ともに失ってしまった美保の父親である津雲半四郎が求女と同じように井伊家の江戸屋敷を訪れる。
津雲半四郎は全面的に千々岩求女の行動を支持してはいない。‘狂言切腹’は武士としては恥ずべき行為と見做している。半四郎は求女が真剣を売って竹光を挿していることを知らず、自分自身が武士としての面目を取り繕っていたことを恥じるのであるが、求女といえでも最後まで竹光の所持にはこだわり、竹光を捨ててまで一町人として仕事を求めて並ぼうとすることはない。半四郎が言おうとしていることは、平和な世の中において武士は面目を飾っているだけの身分でしかなく、それはお互いの暗黙の了解であるはずなのに、何故求女のみに‘本物’を求めたのかということである。
半四郎は井伊家の沢潟彦九郎、矢崎隼人、川辺右馬介の3人の髷だけを斬って斎藤勘解由の前に差し出す。生きているのに人前に出て来ることが出来ないことで、武士としての面目を取り繕わなければならないことを身をもって証明させるのである。やがて半四郎は井伊家を相手に大立ち回りを演じ、井伊家の先祖の甲冑を見つける。誰も身に着けていない甲冑こそ、武士の面目の虚飾の象徴であり、半四郎はその象徴を投げ捨てる。そして半四郎をなかなか討つことができない井伊家の武士たちは、ついには侍の象徴である真剣で討つことを諦め、鉄砲で半四郎を仕留めることになるのであるが、斎藤勘解由の取り計らいにより半四郎は切腹、半四郎に切り殺された4人は病死として処理され、武士の面目だけは必死になって保つのである。
このような全く非の打ちどころがないはずの傑作と比較するならば、『一命』は何を目的としてリメイクされたのかよく分からない。
北の衛星、技術的に無理…日韓専門家ら矛盾分析 「重量100キロ」軽すぎる(産経新聞) - goo ニュース
朝鮮中央通信などによると、北朝鮮は、打ち上げの意義を「農業など人民経済に必要な
気象予報研究で大きな一歩を踏み出す歴史的出来事だ」と発表し、「衛星の重量は100
キロで、高度500キロの軌道を回り、寿命は2年だ」とした上で、海外の専門家やメディアも
招待し、発射準備を披露すると自信をみせるのであるが、韓国政府関係者は「観測衛星は
通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大きさでは『実用』からほど遠い。
核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」との見方を示した。面白いのは
“衛星”を打ち上げる理由として、「農業」を挙げていることで、「農業」を人民経済において
重要な要素と見做しているのであるならば、“衛星”を打ち上げる前に、土地を耕すことを
優先させるべきであることをいまだに理解していないところである。それを勘案するならば
アメリカは食料支援の代わりに鍬を送って北朝鮮の人々にその使い方を教えるべきだろう。