MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『幕末太陽傳 デジタル修復版』 80点

2012-04-06 20:52:53 | goo映画レビュー

幕末太陽傳 デジタル修復版

1957年/日本

ネタバレ

太陽族の限界について

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 文久2年(1862年)の江戸時代の話が現代(と言っても昭和32年、1957年)の東京の品川から始まる理由は、「幕末太陽傳」というタイトル通りに、当時、‘太陽族’と呼ばれていた若者たちを反映させる意図があったからだが、その割には主人公である居残り佐平次も、‘太陽族’のイコンである石原裕次郎が演じた高杉晋作もスマート過ぎるような気がする。
 志道聞多が落とした懐中時計を佐平次が拾うところから始まる物語は、絶えず時計の調子を確認しながら時間に追われるように生きる佐平次を活写する。落語の『居残り佐平次』から飛び出し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを踏まえた佐平次の落語調のお喋りは、何故か肝心の自分自身の素性を明かそうとはしない。おそらく高杉晋作という‘エリート’ではなく、佐平次という‘平民’こそが‘太陽族’と呼ばれていた当時の若者たちの理想像たりえたからであり、佐平次のキャラクター設定は曖昧な方が都合が良いからであろう。
 身に降りかかるあらゆる難問を楽々と解決に導く佐平次にとって苦手なものは、一つの問題を深く追求することである。何とかして佐平次は女郎おそめや女郎こはるの誘惑から逃れることができたが、ラストで千葉からやって来た、こはるに熱を上げる旦那の杢兵衛大盡のしつこい問いに対して、佐平次はこはるを亡きものにしてしまう。それでもこはるの墓の場所を教えろという杢兵衛に、ついに佐平次は嘘の墓石を教えて逃げてしまうのであるが、落語に疎いという個人的な事情を棚に上げざるを得ないとしても、それが‘太陽族’の限界であり、同時に本作の限界のように見えてしまうのである。果たしてその時、佐平次の‘結核’に同情するべきなのかどうか今の私には答えが見つからない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見くびられたソクラテス

2012-04-06 00:03:39 | Weblog

「無知の知」と防衛相擁護=野田首相(時事通信) - goo ニュース

 野田佳彦首相は5日午前の参院予算委員会で、国会答弁で迷走を続ける田中直紀

防衛相を、「(田中氏は)率直に知らないことは知らないと言うが、(法律一つ一つの)条文

までは分からなくても判断力はしっかり持っている。私は適材適所だと考えている」として、

なんと哲学者ソクラテスの言葉で「『無知の知』という言葉もある」と擁護してしまっている。

しかし誰がどのように見ても田中直紀が“無知”だと分かっても、“無知の知”を有している

とは思わないだろう。私見によるならば“無知の知”とは、理解できない物事に関して

いかにして理解しようかと試みる過程において双方に思いがけなくして現れる“知”であり、

ただ知らないことを知らないと言って済むだけならばただのバカでも出来るのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする