UFO少年アブドラジャン
1992年/ウズベキスタン
‘モンスター’と‘美少年’、その実態
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
冒頭で示されているように本作は『E.T.』(1982年)を撮ったスティーヴン・スピルバーグ監督に捧げられており、『E.T.』と比較しながら観ることで面白みが増すと思うが、それは決して『ストーカー』(アンドレイ・タルコフスキー監督 1979年)のような難解なことではない。
ウズベキスタンの田舎町に住む主人公のバザルバイが、いなくなった雄牛を探しているさなかに、裸で倒れている金髪の少年を見て宇宙人と思わなかった理由は、ロシアの将軍イワンからの情報では、宇宙人は耳が赤くハゲているというものだったからである。『E.T.』では当初はモンスター扱いだった宇宙人は本作では人間そっくりに造形されている。惑星アルファ・ベータ・ツェントゥリオンからやってきたと話すその宇宙人はアブドラジャンと名付けられ、バザルバイの隠し子として村で暮らし始めることになる。『E.T.』においては宇宙人と子供たちがテレパシーで交流するが、アブドラジャンは惜しみなく超能力を発揮し、鶏に大量の卵を産ませ、スイカを巨大化させ、産まれたばかりの子牛も1日で成長させてしまう。このまま上手く一緒に暮らせるはずだったのであるが、クワで村人たちを空に飛ばす時に、蜂を叩き殺したという理由で村の議長が乗ったクワだけは飛ばすことができなかったために、バザルバイが、議長の機嫌を損ねたアブドラジャンを叱責してしまい、バザルバイの妻のホリーダに見送られながらアブドラジャンはUFOに乗って帰還してしまうのである。しかし結果的にはロシアの軍隊に捕まる前にアブドラジャンは帰還でき、『E.T.』において宇宙人を追いかけていた人たちが科学者であったこととは対照的で、コルホーズ内でのバザルバイと村の議長の関係も皮肉を込めて描かれている。そもそも『E.T.』と比べて、宇宙人の‘美しさ’とは裏腹の特撮のチープさが露骨で、ウズベスキタンの窮状を訴えているようにも見えるところが面白い。
「ハンド・パワーあるように誤信させた」と提訴(読売新聞) - goo ニュース
常識で考えるならば、手かざしで難病が治る「ハンド・パワー」など存在するはずはない
のであるが、やはり自分自身や自分の子供が病気になって医者からも見離されてしまうと、
そのような怪しいものにでも頼りたくなる気持ちは分からなくはない。最近ではテレビで
スプーンやフォークをグニャグニャに曲げてしまうような人も現れているが、もちろん彼らの
“ハンドパワー”は手品であり、そのように断っている。いまやインターネットで検索すれば
その団体がどのようなものと見做されているのか簡単に分かるはずなのだが、これは自分
が難病にでもなってみないと分からない心理なのであろう。