ファウスト
2011年/ロシア
物語を語ることの快感
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
作品の冒頭で主人公のファウスト博士は助手のワーグナーと共に人間の魂の在り処を突き止めるために、男性の腹部を裂いて魂を探しているのであるが、それ以前に私が画面に何が映っているのか分からなかった原因は、腹部を裂かれている男性の陰部のアップが映っていたためで、2012年になっても日本においては勃起していようがしていまいが男性の陰部のアップにはぼかしを入れる必要があることに驚かされる。
もちろん肉体を切り裂いても魂など見つかるはずもなく、ファウスト博士は医師である父親を訪ねて魂の在り処を訊くのであるが、そんなことは知らないと父親にすげない返事をされて追い返されてしまう。
その後ファウスト博士は高利貸のマウリツィウス・ミュラーと知り合い、マルガレーテに一目惚れし、あろうことかマルガレーテの兄のバレンティンをフォークで刺し殺してしまう。
それでもマルガレーテに会いたいがためにマウリツィウスと魂との引き換えでその望みを叶えるという契約を血判で交わすのであるが、マウリツィウスと彷徨っている途中で、ファウスト博士は死んだはずのバレンティンと再会し、何とバレンティンは自分を殺してくれたファウスト博士に感謝の念を示す。わけが分からなくなったファウスト博士はマウリツィウスが差し出した契約書を引きちぎり、マウリツィウスに岩を投げて殺した後、どこへともなく一人で去っていく。
「ソクーロフにしてはごく稀なことに、ここでは世界 ー 現実 ー を『撮る』ことよりも、物語 ー 虚構 ー を『語る』ことだけに神経を集中しているように思えてならない」という『群像』2012年6月号の映画批評家の蓮實重彦氏の映画時評はいつものように的確で、石を投げて主人公が去っていくラストシーンは『カッコーの巣の上で』(ミロシュ・フォアマン監督 1975年)のラストシーンと類似しており、ドイツ人作家の原作でロシア人監督がアメリカン・ニューシネマを撮りあげるというデタラメさが、ロケーションと画面構成の素晴らしさを裏切るように、結局肝心の魂の探求はどうなったのか分からないストーリーのバカバカしさと共に本作を魅力的なものにしていると思う次第である。
河西智美さんの胸、少年隠す…ヤンマガ発売延期(読売新聞) - goo ニュース
白人の男の子に背後から胸を両手で隠させている写真に関して、講談社は「社会通念上、
読者に不愉快な思いを抱かせ、問題があると判断した」として週刊漫画誌「ヤングマガジン」
第7号の発売を延期すると発表した。問題となっている写真を見たが、さすがに児童虐待に
当たるようなものではなく、日本人ではなく白人の男の子という点もハードルを下げている
ように思える。写真集を出版する前にこの写真を公開した事がどうも引っかかるのであるが、
そのまま出版しても話題になりそうにないために敢えて話題を作り出す、これはいわゆる
あの噂の“AKB商法”とみて間違いないと思う。上手すぎる、秋元康