源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
1958年/日本
拳銃の扱い方の難しさ
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
尊皇攘夷をネタに和洋折衷の面白さを出そうと試みた作品だと思うが、どうも拳銃の扱いが上手くいっているように見えない。例えば、主人公の源氏九郎の近接で敵方のお島が銃を撃つのであるが、源氏九郎にかすりもしない。その後、九郎が滞在している長屋へピストルを持った野郎たちが拳銃を撃ちながら襲撃してくるのであるが、何故か九郎の登場と共に彼らは拳銃を撃つことを止めて刀を使い出し、結果的に銃殺されたのは富田牛生と谷善之助の2人だけである。撃つだけに限らず、拳銃が詰め込まれている木箱を運び込んでいる現場に九郎が馬に乗って駆けつけた際に、何と右手で手綱を持ちながら左手だけで木箱を奪い取って去っていくという離れ業を演じている。ラストにおいても播磨屋十兵ヱが拳銃を撃っただけで兵庫県沖の揚羽院後の洞窟に穴があいて海水が流入してくるという有様で、改めてチャンバラ映画における拳銃の相性を考えさせられた次第だった。
希望みなぎる普遍的物語…映画「レ・ミゼラブル」を語る 東宝東和・松岡宏泰社長(産経新聞) - goo ニュース
今となっては記憶が定かではないのであるが、ヴィクトル・ユゴー原作の『レ・ミゼラブル』
は昔学校で『あゝ無情』というタイトルで読まされたような記憶がある。国語の授業だったか
道徳の授業だったか忘れてしまったが、パンを一個盗んだだけで、それも自分の幼い兄弟に
食べさせるためだったのであるが、20年近くも刑務所に入れられる可能性があるのだから
ものを盗むのは止めようという話をされたはずで、それならば人に怪我させただけで死刑に
でもなるのかと思い、たかが一介のパン泥棒に対して懇切丁寧過ぎる道徳を諭すことが
出来る当時のパリはずいぶんと治安が良かったのだなと感心したのであるが、おそらくこの
長編小説はヴィクトル・ユゴーの皮肉を込めた“悪ふざけ”だったのであろう。