世田谷美術館で現在『アンリ・ルソーから始まる ー 素朴派とアウトサイダーズの世界』が
催されている。同じ時期に国立新美術館で催されている『印象派を超えて - 点描の画家
たちゴッホ、スーラからモンドリアンまで』と関連づけて論じてみるなら、例えば、上の作品は
アンリ・ルソーの1908年の『散歩《ビュット=ショーモン》(Promnade Buttes-Chaumont)』
であるが、葉っぱなどが細かい点(ドット)で描かれている。
あるいはルイ・ヴィヴァン(Louis Vivin)が1925年に描いた『ムーラン・ド・ラ・ギャレット
(The Moulin de la Galette)』の建物なども“ドット”で描かれており、印象派から素朴派への
流れというものがあることが分かる。しかしその後のジャン・デュビュッフェが中心的役割を
果たしたいわゆるアール・ブリュットという作品群は独学によるためなのか評価が難しい。
例えば、『鬼の現場監督(Tough Field Overseerer)』(1993年)などを描いた久永強が
自らのシベリアの抑留体験をどうしても具体的なイメージとして伝えたいという強い思いから
慣れない絵筆を取って描いたような作品は、拙いながら作品としての存在価値は感じられる
のだが、そのように従来の西洋美術の伝統的価値観を逸脱した「生の芸術」そのものを
見ようとした場合、それは作品を観るのではなく、作品の背後に存在する「物語」を読む
ことになり、それが果たして絵を鑑賞する上において“正しい身振り”なのか疑問を持って
しまうのである。