原題:『四十九日のレシピ』
監督:タナダユキ
脚本:黒沢久子
撮影:近藤龍人
出演:永作博美/石橋蓮司/岡田将生/二階堂ふみ/原田泰造/荻野友里/淡路恵子
2013年/日本
不妊を巡る物語 その1
タイトルを見た限りでは葬送が描かれているのかと思っていたが、思いっきり不妊の話だったことに驚かされた。昭和48年生まれの主人公の高岩百合子は2012年には39歳であり、不妊治療をしていたのであるが、夫の高岩浩之は愛人を作っていた上に相手に妊娠までさせていたことに絶望し、離婚を決意する。実は百合子の実父である熱田良平と結婚した、百合子の継母である乙美も結婚当時38歳で、結局、子供に恵まれなかったのであるが、このことを気に入らなかったのが良平の姉の珠子である。
珠子は昔気質のために、女性は子供を産んで育てることが幸せと考えているようで、大宴会においても持論を展開し、百合子と口論になって一度は親戚を引き連れて家を出て行くのであるが、やがてハワイアンの衣装に着替えた珠子たちが戻ってきて、ハワイアンを踊りながら、大宴会を盛り上げる役割を果たす。伏線もない唐突のハワイアンにも違和感を感じるのであるが、珠子が不妊に関してどのように納得したのかが描かれておらず、珠子の心変わりがよく分からない。
よく分からないのは百合子の夫の浩之の言動も同様で、実家まで百合子を迎えに来たのはいいが、愛人が身ごもっている子供に関して具体的な解決策もないまま、でも百合子とは別れたくないからと家に連れ戻すのであるが、この救いようのない「リアル」さに対して見ている私たちはどのように考えればいいのだろうか? 映画の「フィクション」に対する監督の信頼が欠けているように見えてしまうのである。
乙美の「人生の年表」はおそらく良平によって書かれたものだと思うが、1973年の項に注目してもらいたい。そこには時事ネタとして山口百恵がデビューしたことと、日本の出生率がピークになったことが書かれているのであるが、不妊に悩んでいる娘を持つ父親がわざわざ日本の出生率のピークについて書くだろうか? もちろんこれは良平の失態ではなく、監督の演出ミスと見なすべきであろう。