MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『わたしのSEX白書 絶頂度』

2015-01-01 00:09:15 | goo映画レビュー

原題:『わたしのSEX白書 絶頂度』
監督:曾根中生
脚本:白鳥あかね
撮影:伊地智啓
出演:三井マリア/浜口竜哉/花上晃/益富信孝/村国守平/芹明香
1976年/日本

エロスの「純粋さ」と「二重露出」の関係について

 主人公のあけみは病院の採血係として勤めており、予備校に通う弟のキヨシとアパートで2人で暮らしている。しかしその弟は勉強もせずにやくざの隼人と組んで友人の雅美と猥褻な写真を売りさばいている。ある日、部屋を訪ねてきた隼人からあけみが封書を受け取り、中に入っていた猥褻写真を見てしまい自慰をする。帰宅してきたキヨシに向かって自ら自慰をする姿を見せるのであるが、キヨシは懐中電灯をかざして見るだけで、抱こうとはしない。
 やがて雅美が腹痛を起こし、キヨシはあけみに電話をして入院させる。病室ではあけみとキヨシと雅美と看護婦がいるのであるが、そこへ医師が訪ねてきてあけみを連れ出すまで、オーバーラップさせて更に映像をずらすという演出が施されている。2つの映像の違いは看護婦が裸になっていくことだけである(と思う)。このズレた「二重露出」の中の「エロス」という暗喩がどのような意味を持つのかはよく分からない。既にこのような二重露出は『ホステス情報 潮ふき三姉妹』(1975年)においてボクサーのケン立花が暴行されるシーンで使われていたからである。
 例えば、隼人の誘いにのってあけみが売春を始めるのであるが、彼女は客に夫が病気だからこのような仕事をしていると嘘をつく。あるいは社長室に呼ばれてあけみは社長と性行為をするつもりが、若い秘書との3Pを強いられ、あけみを抱いている社長に秘書が背後からする肛門性交や、目の前で放尿することを強いられるなどアブノーマルなものだった。やがてあけみと隼人が抱き合っているところに、隼人の恋人のリリィが加わって再び3Pとなり、ついにはあけみとリリィがキスを交わすなど、常に2人にもう一人の存在が必要とされているのであるが、その「愛」は必ず突き抜けてしまい「変態」となる。入院している雅美が看護婦と性交できたのはキヨシが病室にいるからだった。実際に、2人きりのあけみとキヨシは最後まで結ばれることはなく、キヨシは家を出て行ってしまうのである。隼人に頼まれてリリィが隼人とあけみの性行為を写真に撮れなかった理由は、リリィが抜けてしまえば隼人とあけみの2人しか存在しないからで、3Pだからこそあけみとリリィもキスを交わし合えるのである。
 ラストで、いつものように採血しているあけみに電話がかかってきた時に、カメラはあけみのスカートの中を映し出すのであるが、何故か画面はモノトーンになり、あけみの股から液体が流れる。それはあけみの血液なのか体液なのか確認ができない。それは相手が2人か3人かで変わるからだと思う。
 ちなみにキヨシが歌っている曲はつボイノリオの「金太の大冒険」である。


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