MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『出発(1967)』

2015-01-29 00:21:42 | goo映画レビュー

原題:『Le départ』
監督:イエジー・スコリモフスキ
脚本:イエジー・スコリモフスキ/アンジェイ・コステンコ
撮影:ウィリー・クラン
出演:ジャン=ピエール・レオ/カトリーヌ・デュポール/ジャクリーン・ビル
1967年/ベルギー

イノセンスの喪失と夢の終わりについて

 本作のテーマは基本的にイエジー・スコリモフスキ監督の前作『バリエラ』(1966年)の「イノセンスの喪失」を踏襲しているように思う。『バリエラ』がアート系であるのに対して、本作はより大衆的でポップな演出になってはいるが、ストーリーはそれほど分かり良いものではない。
 主人公で美容師見習いの19歳のマルクはラリーに出場したいがために、同僚の友人にインド王「マハラジャ」を演じさせて自動車販売店からポルシェをだまし取るのであるが、2人は前日の深夜に勤め先の美容院店主が所有しているポルシェを乗り回しており、それがバレないように走行距離のメーターまで操作して元に戻している。しかし実際に大使館までポルシェを運転していたのは販売店のディーラーであり、ディーラーが後部座席に座っていたマルクに初めてにしては運転が上手いと褒めているのはおかしいのである。更に、店主のポルシェのナンバープレートが「1833」であり、マルクがだまし取った後に、販売店のポルシェのナンバープレートの「6379」を取らないままその上に「1833」のプレートを付けることはレースに出る車の取扱い方として明らかに間違っていると思う。しかしそれは主演のジャン=ピエール・レオも分かっており、イエジー・スコリモフスキ監督に「気にするなよ。ゴダールは繋ぎなんかどうでもいいと言っていたよ」と親切心で言ったようだが、スコリモフスキ監督は「俺は映画大学を卒業しているのだからどうでもよくはない」と言ったそうである。約20日間で撮り上げたようだからよくまとめた方だとは思う。
 マルクは客の一人であるマダムからポルシェを購入する資金を出すと言われるのであるが、自分が欲しいのは「911S」型だということで何故かその申し出を断ってしまう。マルクはミシェルを乗せて店主のポルシェに乗ってレース会場に行くのであるが、その前夜、宿泊していたホテルの部屋で、2人はミシェルの幼少からのスライド写真を見る。しかしモデルをしてテレビ出演のための宣材写真まで撮っていながらミシェルは何故か夢を諦めてしまい、最後のスライド写真は燃えてしまう。
 翌朝、ミシェルが目覚めると既にレースが始まっている時間だったが、マルクは部屋にいた。ベッドに寝ているミシェル(しかし金髪の彼女は本当にミシェルだったろうか?)は裸になっていた。それまでわざわざ床に寝ていたマルクがミシェルの方を振り向いた時、マルクの「ネガ」が燃える。その時、子供じみた「レース」は終わり、マルクは「大人」になり、イノセンスを喪失するのである。
 モンテ・ヘルマン監督の『断絶(Two-Lane Blacktop)』(1971年)のラストで同様のシーンが再現されることになるのであるが、映画を壊そうとして映画に嫌われたモンテ・ヘルマンと、映画に愛されることになるイエジー・スコリモフスキのその後の対照的なキャリアをどのように捉えればいいのだろうか?


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