(2019年4月13日付毎日新聞)
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新元号「令和」の考案者とされる中西進大阪女子大名誉教授が都内で開かれた講座において、「あまりにも誤解が多すぎる。一個人として感想を述べる」とした上で「命令の令との指摘はこじつけだ。令嬢や令婦人などと同様に、和を形容する意味にとるのが普通だ」と強調しているのであるが、「学者バカ」というのはこういう人のことを言うのであって、世間一般は「令」を「命令」や、テレビの刑事ドラマの影響で「令嬢」よりも「令状」ととるのが普通なのである。今どき「令嬢」や「令婦人」という人がどこにいるというのか?
「令和」に関して的確な説明をしている人がいたので、引用してみる。2019年4月14日付毎日新聞の「時代の風」というコラムで、藻谷浩介日本総合研究所主任研究員が以下のように書いている。
「去る4月1日。国外にいた筆者は、スマートフォンの文字情報で新元号を確認した瞬間に『ドキッ』とした。『れ』で始まる冷たい音韻に、違和感を覚えたのである。だが、異国の街頭を歩きながら、『今の日本では、この外来語っぽい響きが受けるだろうな』とも考えた。帰国してみると案の定、立場や主義主張を問わず、新元号の語感の評判は良いようだ。
とはいえ、『れいわ』という発音はいかにも日本的ではない。そもそも大和言葉には『れ』で始まる単語は存在しないのだ。日本の市町村名でも『れ』で始まるのは、アイヌ語由来の北海道礼文町と、漢語由来の熊本県苓北町しかない。礼儀、冷静、歴史、列挙、連立などの『れ』で始まる単語は皆、中国語由来の漢字熟語で、読みは音読みである。礼子、玲子、麗子などの女性名も、漢語の礼、玲、麗の後に子をつけた、いわばハイブリッド語だ。
ちなみに『れ』で始まる元号は、これまでは奈良時代初頭の『霊亀(れいき)』しかなかった。霊亀とは中国の霊獣の一つで、漢語そのままだが、今の感覚でいえば『ドラゴン元年』と名乗ったような新しさがあっただろう。だがこれが実際には『りょうき』と読まれていたとしても、筆者は怪しまない。日本では単語冒頭の『れ』は避けられやすく、『礼記』は『らいき』、『令旨』(親王の出す指令)は『りょうじ』、『霊異記』は『りょういき』だ。南北朝時代の北朝年号の『暦応』も『りゃくおう』だろう。21世紀に生きる筆者だが、『令和』もつい、『りょうわ』と読みたくなってしまう。
令和は『初めての国書(万葉集)典拠の元号』だと聞くのに、なぜ読みが殊更に漢語的なのか。漢文の詞書(ことばがき)の部分から字を取ったからである。そしてその『梅の花の下に集った』という趣旨の詞書は中国古典の『文選』からの本歌取りと目される。だから音韻も内容も中国語っぽいのは当然で(春の花も中国では梅だが、平安以降の日本なら桜だろう)、これを『中国と距離を置いた画期的な新元号』と評価するのは無理がある。ディズニーの『ライオンキング』が手塚治虫の『ジャングル大帝』の本歌取りで、米国オリジナルとはいえないのと同種の話だ。
お断りしておくが筆者は、新元号が中国古典の本歌取りであっても、問題だとはまったく思わない。英米で発明され実用化された自動車が、今は高品質な日本製品の代表になっているように、本歌取りも本家になれるのだ。元号にしてからが、中国発祥だが日本だけに残る、『本歌取り日本』の象徴のような存在である。そう胸を張ればいい話を、無理に『国書典拠』と言い張るのはかえって恥ずかしい。今の日本で漢語的な音韻が好まれることも、違和感はあるが事実として認めるしかない。」
因みに中西進は文選の一節に関して「並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集を出典とするのがいい」と強弁しているのだが、専門家なのだからもっと具体的に説明しなければ説得力に欠けてしまい、これでは「『学者バカ』バカ」になってしまう。