MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「藪の中システム」と「我田引水」

2019-04-20 00:56:58 | Weblog

 遅まきながら「『週刊文春』と『週刊新潮』 闘うメディアの全内幕」(PHP新書 2018.1.5)という花田紀凱と門田隆将の対談本を読んでみたのだが、2人が大手新聞社を毛嫌いしていることは良いとしても、気になる発言があったのでまずは引用してみる。

門田:このあともグリコ・森永事件の取材についてはいろいろかかわりましたが、朝日新聞にひどい目に遭わされたことがあります。
 一九八四年十一月、一連のグリコ・森永事件の中で、ハウス食品脅迫事件が起こり、犯人の要求に応じたふりをして、現金授受の際に犯人と接触しようと大坂府警と京都府警が大オペレーションを展開します。しかし、事情を知らない滋賀県警の所轄署のパトカーが不審車に職務質問をかけて逃げられるという大失態を演じてしまいます。その不審車は盗難車で、現金を取りに来ていたものと思われます。その後も食品会社への脅迫事件は続き、滋賀県警は失態を責められ続けました。
 そして一九八五年八月七日、滋賀県警のノンキャリアから本部長になっていた山本昌二氏が、退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺します。
 そのとき私はまたグリコ・森永事件の取材に行き、警察内部のこともいろいろ聞きました。それが「滋賀県警本部長 焼身自殺の『死に甲斐』」(『週刊新潮』一九八五年八月二十九日号)です。記事をまとめたのはデスクですが、その中に次のような文章がありました。
《はなはだ不謹慎な話だが、山本・前滋賀県警本部長がショッキングな自殺を遂げた直後、実は「この山本・前本部長こそ、かい人21面相グループの一味ではなかったか」という、それこそ異様な情報が在阪捜査関係者の間で囁かれたのだ》
 次のような大坂府警ОBのコメントもあります。
《府警の捜査本部に顔を出したとき、中堅幹部から聞かされたんですよ。”あの本部長が犯人の仲間で、どうも最近口を割りそうだというので、一味に殺されたんじゃないか”と真顔でいっていたんです。焼身自殺を装った他殺じゃないか、という説でね。ハウス食品以後、大阪府警が滋賀県警をどういう目で見ていたか、これで分かるでしょう。(中略)そういう空気があの人を自殺に追い込んだんですよ》
 つまり、山本滋賀県警本部長は「犯人の一味じゃないか」という心ない噂まで警察内部で流されるほど針のムシロに座らされていたわけです。そんな中でついに焼身自殺にまで至った悲劇と内幕を『週刊新潮』は書いたのです。朝日がひどかったのは、この記事が出たあとです。
 滋賀県警は『週刊新潮』に形だけの抗議をしたのですが、朝日新聞は第二社会面で、「滋賀県警が週刊朝日に抗議」という見出しで、「自殺した滋賀県警本部長が犯人の一味だった、などという内容の記事を載せた『週刊新潮』に滋賀県警が抗議した」という肝心の記事の内容をまったくねじ曲げてしまうのです。昔も今も、朝日新聞の体質が変わっていないことがわかります。すごいでしょう、朝日の記者って(笑)。(p.218-p.220)

 書かれている通りに引用しているのだが、本当に朝日の記者は『週刊新潮』の記事を「まったくねじ曲げて」いるだろうか? 記事をよく読めば、山本滋賀県警本部長の「犯人説」を紹介しているだけで、「犯人ではない」と断言しているわけではない。つまりこの記事は門田本人も言うように「結論をあえて書かなくていいと考えるのが、『週刊新潮』の「藪の中スタイル」」(p.30)で書かれており、それを受けて朝日は「自殺した滋賀県警本部長が犯人の一味だった、などという内容の記事」と「などと」と断りを書いており、滋賀県警の抗議も形だけのものにならざるを得なかったのである。

 門田はそのような『週刊新潮』のスタイルを「記者(データマン)たちが取材して書いたデータ原稿を、デスク(アンカーマン)が五、六ページの記事にまとめる。これが『アンカーマン・データマンシステム』です」(p.30)と説明しているが、これは「草柳(大蔵)は『週刊新潮』にパーティ・ジャーナリズムの手法を持ち込み、トップ記事を連発する。」(『日本ノンフィクション史』 武田徹著 中公新書 2017.3.25 p.96)と同じことを指しているはずだが、何故か門田は草柳の名前も、『週刊新潮』の「文体」を作ったと言われている井上光晴の名前も出していない。

 

 もう一つ気になる発言があったのでまずは引用してみる。

門田:たとえば、地方創生は安倍さんが進める重要政策の一つですが、地方創生を実現するために東京二十三区内の大学の定員増を認めないという方針を政府は打ち出しています。これについて私は、安倍政権を厳しく批判しています。都内の大学は地方の大学より、日本の将来により敏感に危機感を抱いています。その敏感な大学が最先端の学部・学科をつくり、切磋琢磨して研究開発や人材養成をすることが、日本の将来のためには絶対に必要だと思うからです。イノベーション、つまり、技術革新や新たな戦略・基軸を打ち出していくことが必要で、そのための人材が日本には求められています。
 それなのに安倍政権は地方の大学を活性化させるためという理由で、東京の大学に、逆に”岩盤規制”をかけようとしています。そんなことをすれば、結局、日本の国力そのものが削がれてしまいます。安倍さんはいったい何を考えているのか、私にはまったく理解できません。しかも、都内の大学に対する規制強化は、加計学園でやろうとしていた規制緩和に逆行するものです。安倍首相のこうした政策について、私は徹底的に批判しています。(p.273-p.274)

 門田は自身が「安倍応援団」の一味と思われたくないために、批判もしているというアピールのつもりで例をだしたのだろうが、批判内容はトンチンカンなものである。
 門田は「都内の大学は地方の大学より、日本の将来により敏感に危機感を抱いています」と語っているのだが、都内の大学が地方の大学よりも「敏感」であるというエビデンスを示しておらず、これでは門田の地方の大学に対する「偏見」でしかない。この点に関して言うならばむしろ愛媛県の今治市に岡山理科大学獣医学部の設置を許可した安倍首相の偏見のなさを評価するべきであろう。

 門田には本人の言葉をそのまま返そうと思う。

門田:やはり、ジャーナリズムは、自分たちのイデオロギーを剥き出しにするのではなく、常に是々非々で、ファクトに基づいて時の政権をウォッチすべきです。そうでなければ、読者の目は肥えていますから、やがて相手にされなくなります。(p.277)


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