MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

写真の価値

2009-11-23 15:27:09 | Weblog

【核心】篠山紀信さんヌード写真集 家宅捜索 屋外…撮影行為の違法性問う(産経新聞) - goo ニュース

問題となった篠山紀信の写真集『NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO』

について捜査幹部は「誰が撮影した場合であっても不特定の人が見ることのできる

屋外で裸のモデルを撮っていたのであれば違法行為で、取り締まる必要がある」と

説明するのだが、例えば当たり前であるがいくら野外で裸になっていても誰も見て

いる人がいなければ捕まることはない。今回の捜査は撮影当時に通報されて問題

になったわけではなく、写真集を見たことで野外で裸になっていた事実を知ったの

だから、後は撮影当時にどのような状況で撮影されていたのかが争点となるだろう。

あらかじめ人の往来に配慮していれば問題になることはないと思うが、写真という

媒体は芸術性というよりも偶然であれ用意周到であれ有り得ない一瞬を記録して

しまうスキャンダル性にこそ価値があると思うから警察とはもともと相性が悪い。


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なかなか信用を得られない人

2009-11-22 00:27:02 | Weblog

金庫カラにし自民下野 機密費、突出の2.5億円支出(朝日新聞) - goo ニュース

 どうしても私には平野博文官房長官が、政権交代が決まった衆院選2日後の9月

1日に当時の河村建夫官房長官が2億5千万円を内閣府に請求し、引き出していた

ことに対して「前政権の時の支出だ。私が根掘り葉掘りこれはおかしいということは、

前政権のことだから、差し控えたい」と述べるのは間違っていると感じてしまう。

そんなことを言い出したら前政権のことに対して何も文句が言えなくなってしまい、

何のための政権交代だったのかわけが分からなくなってしまう。どう考えても政権

交代が決まってから通常の2.5倍の金額を引き出していたということは私物化

以外の何ものでもないはずなのだから、河村健夫を証人喚問で呼び出す必要が

あると思う。そうしなければ平野も同じことをするつもりであるのだろうという国民の

疑心暗鬼は増すばかりである。


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『特集:ヴィターリー・カネフスキー特集上映』 100点

2009-11-22 00:05:09 | goo映画レビュー

特集:ヴィターリー・カネフスキー特集上映

-年/-

ネタバレ

大人になるための父親殺しについて

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 ヴィターリー・カネフスキー監督の1989年の作品『動くな、死ね、甦れ!』は誰もが傑作と称賛するフィルムである。まずは恐らくその張本人であろう人の文章を少し引用してみる。
 「自信をもって断言するが、今年最大の映画的な事件は、何といってもヴィターリー・カネフスキーの登場である。カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』を見損なった人には、しばらく映画という言葉を口にするのを控えてもらうしかなかろう。間違っても、自分は映画が好きだなどとつぶやかないでほしい。/もっとも、自信ほど無責任なものもまたないのだから、これはさしたる根拠もない身勝手な断言だといってよい。とはいえ、無根拠な断言へと人を駆り立てる映画なんて、そうたくさんあるものではない。(P.44)」
 「『動くな、死ね、甦れ!』はかけねなしの傑作だという言葉に偽りはない。これほど鮮烈な抒情が映画で描きうるとは到底想像しがたいほどの澄んだ緊張感が、一瞬ごとに画面を揺るがせるのである。舞台は、第二次大戦直後のソ連の極東地帯のスーチャン。雪で湿った炭鉱町には日本兵が抑留されていて、悪戯小僧のワレンカと少女ガーリアとは彼らの友達だ。戦後の混乱ですさみきっているあたりの空気を全身で受け止めながら、二人は不器用に、だが懸命に生きる。そのさまが滑稽なまでに痛ましいのだが、映画はセンチメンタルな同情で彼らの振る舞いを許したりはしない。大人たちもまた、子供の成長を気遣うほどの心の余裕がなく、ひそかな共犯意識で結ばれる少年と少女の行動は、知らぬ間に社会と大きく行き違ったものになってゆくしかない。少年は、ちょっとした腹いせに蒸気機関車を転覆させ、少女とともに逃げ惑うことになるだろう。/おそらく、この映画を一度でも見たことがある人なら、少年と少女を演じる役者の顔を一生忘れることができまい。あたかもそのことを察していたかのように、監督のカネフスキーは、たてつづけに二本も彼らを主演に映画を撮ってしまった。『動くな、死ね、甦れ!』を見てしまったなら、誰もが『ひとりで生きる』や『ぼくら、20世紀の子供たち』を見ずにはおれないはずだ。このかけねなしの傑作を見逃すことは、生涯の損失につながるはずだと自信をもって断言したい。(P.161-P.162)」(『映画狂人日記』 蓮実重彦著 河出書房新社 2000.3.24)
 この最後の‘殺し文句’で今回久しぶりの上映となる『動くな、死ね、甦れ!』を見るためにわざわざ渋谷まで足を運んだ人は多いだろうし、見終わって、わざわざ見に来たことを生涯とは言わずとも時間の損失だと思っている人も少なからずいるだろう。
 確かに観客を困惑させる作品であることは間違いない。1989年というそれほど昔の作品ではないのだが、画質はまるでロベルト・ロッセリーニ監督の1948年制作の『ドイツ零年』やピエル・パオロ・パゾリーニ監督の1961年制作の『アッカトーネ』のように粗く、サウンドトラックも不安定で、何よりも物語が終始殴り合いと罵り合いである。私は『動くな、死ね、甦れ!』を見終わった時点ではその良さがよく分からなかった。
 しかし引き続き1991年の作品『ひとりで生きる』、1993年の作品『ぼくら、20世紀の子供たち』を見た時に印象が変わった。
 前作とは全く撮影技法を変えて、カラーで丁寧に撮られている『ひとりで生きる』の15歳のワレルカは終始別れを告げているように見える。前作のガーリヤとの別離を引き継ぐように、ここでワレルカは学校に別れを告げ、豚に別れを告げ、ネズミに別れを告げる。その寺山修司的映像に似て非なるところは、カネフスキーがこだわっているのは母親ではなくて父親だからだ。
 『ぼくら、20世紀の子供たち』がドキュメンタリーで撮られている理由は、フィクションで捉え切れなかったものを、実際にいる盗みや物乞いで生活している少年少女たちと接することで確かめてみたかったのだろう。そしてカネフスキーは驚いたに違いない。少年院にワレルカ役を演じたパーヴェルがいたことを。そしてそこに順調な人生を歩んでいる少女役を演じていたディナーラが訪ねてきてくれたことを。
 カネフスキーが映画を制作する時の立場は子供たちの味方のつもりで撮っていたはずである。ところが3作品の主人公の2人はまるでカネフスキーが役として取り決めたままの実人生を送っていたのである。『ぼくら、20世紀の子供たち』のラストでカネフスキーが子供たちに「父親を殺せるのか?」という問いかけは「何故、俺(カネフスキー監督=父親)を殺せないんだ?」という反語であろう。この‘最大の映画的な事件’にカネフスキーは絶望したのではないだろうか?
 私は『動くな、死ね、甦れ!』を傑作だとは思わないが、今回特集上映されたヴィターリー・カネフスキー監督3部作を傑作と自信をもって断言することにやぶさかではない。


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生まれ持った才能としての恋愛

2009-11-21 00:48:47 | Weblog

【コラム】 女子の恋愛対象外になってしまう男の言動とは?(R25) - goo ニュース

 私の周囲にいる人たちによく言うのであるが、なかなか理解してもらえないことが

ある。それは恋愛というものは誰でもできるものではなく、才能がなければできない

ということである。何故人間であるならば誰でも恋愛ができると考えるのだろうか?

もちろん誰でもと言っていいほど人を好きになることはあるだろうけれど、恋愛と

いうものは相手と“呼吸”を合わせなければならない。相手の気持ちを慮ることが

そんなに簡単にできることだろうか? さらに言うならば相手の気持ちを慮ることを

“学習”することができるのだろうか? それは勉強して得られる才能ではなくて

生まれつきか、あるいは幼少時の経験が大きく左右するのではないのだろうか?

このことが既婚者たちには全く理解してもらえないのである。彼女たちにとっては

当たり前のことだからであろう。


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『イングロリアス・バスターズ』 100点

2009-11-21 00:28:52 | goo映画レビュー

イングロリアス・バスターズ

2009年/アメリカ

ネタバレ

‘ポンコツ映画’の煌めき

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 久しぶりではないだろうか。これほど素晴しい‘ポンコツ映画’を観たのは。チャプター1を観終わった時点では誰もが思ったであろう。「今回はクエンティン・タランティーノ監督はマジで撮っている」と。それほど緊張感みなぎる素晴しい出来だった。しかしチャプター2になっていきなりナチの兵士たちの頭皮を剥ぐシーンを観てしまう私たちは「やっぱりふざけているのだ」とB級テイストに安堵する。勿論タランティーノ監督にとってふざけているのはチャプター2以降ではなくてチャプター1の方である。チャプター1のような一流の演出ができるからこそチャプター2以降の自身の映像の記憶を駆使して真面目に撮ったグダグダなストーリー展開が映えるのである。タランティーノ監督はたとえば同じ題材を扱ったトム・クルーズ主演の『ワルキューレ』(ブライアン・シンガー監督)のような真面目さなど端から持ち合わせていない(おそらくブラッド・ピットもトム・クルーズのような真面目さは持ち合わせていないのだろう)。ヒトラーの暗殺など実はどうでもよくて結局全員が相手の言葉尻をとらえることだけに命を賭けることになる。ラストでハンサ・ランダ親衛隊大佐がアルド・レイン中尉と交わしたあのような取引が成立すると本気で考えるわけはないのであるが、やはりチャプター1とのギャップが強烈なB級テイストをもたらしている。その上日本人にとっては終始2つの字幕を見ることになり映像を損ねることになるのであるが、タランティーノ監督にとっては‘おいしい’のであろう。
 この作品に関する興味深い批評を一部引用しておきたい。
 「悪童タランティーノが何とも始末に負えぬのは、いかにも勝手気ままに振る舞っているようでいながら、間違っても『才能』で勝負しようとしたりはせず、もっぱら地道な努力と勤勉さによって映画と真摯に向きあい、まぎれもない傑作『デス・プルーフinグラインドハウス』(二〇〇七)がそうだったように、努力や勤勉さの痕跡など綺麗さっぱり画面から払拭してみせたりするからなのだ。大いに評価さるべき、『イングロリアス・バスターズ』が傑作たりそびれているのは『キル・ビル』(二〇〇三)や『キル・ビルVol.2』(二〇〇四)のように、努力不足や勤勉さの欠如がときおり無残に露呈されてしまうからではなく、努力や勤勉さの痕跡が完全に払拭しきれずに残存し、ところどころで卓抜な演出家タランティーノの『才能』がスクリーンを輝かせてしまったりするからなのだ。息もつかせぬ出来映えの『デス・プルーフinグラインドハウス』には、そんな場面など一つとしてなかったはずである。」(「映画、あるいは不名誉であることの名誉」蓮実重彦著 映画時評12 『群像』2009年12月号 P.170-P.172)
 私の考えは既に書いたようにチャプター1におけるタランティーノの才能の輝きは彼の‘悪意’だと思う。


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自民党の大胆な政策転換?

2009-11-20 18:37:51 | Weblog

自民、田母神氏に参院選出馬を打診 本人は拒否(朝日新聞) - goo ニュース

 本来ならば自民党には野党として立派に機能してほしいと思うのだが、いくら次の

参院選の目玉候補のためとはいえ選りに選って日本の核武装論を持論にしている

田母神(たもがみ)俊雄・元航空幕僚長(61)に立候補を打診するとはどのような

意図があるのだろうか? ここから読み取れるメッセージは自民党はこれまでの

政策を転換して独自の防衛政策を打ち出して“脱アメリカ”を目指すということ以外

なくなってしまい、勿論その先にある沖縄のアメリカ軍基地移設問題に対しても

従来の考えを改めるということに繋がることになると思うのだが、そのような解釈で

いいのだろうか? そうするというのならば私には別に異論はないのだが、見解を

はっきりとさせてほしいとは思う。


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諸刃の剣

2009-11-19 00:11:02 | Weblog

事業仕分けに反撃?文科省、HPで意見募集(朝日新聞) - goo ニュース

 文部科学省が行政刷新会議による事業仕分けの結果をホームページに掲載して

意見募集を始めることは悪いことではないが、たとえば小学校5、6年生の児童や

担任に配られる英語指導冊子(英語ノート)の作成費用などを含む「英語教育改革

総合プラン」(来年度予算の要求額8億4千万円)などは絶対に無駄だと思う。

今まで英語教育改革が成功したことは一度としてないからである。電子黒板を活用

した教育に関する調査研究などの「学校ICT活用推進事業」(7億2千万円)なども

必要はないだろう。黒板など電子でなくても教育の質を左右することなどありえない

からである。「子どもの読書活動の推進事業」などたかが推進することに何故2億

1千万円経費がかかるのかもよく分からないが、私が一番危惧する事は文部科学

省自体が何故仕分けの対象にならないのかという意見が多数寄せられる可能性で

ある。このような事態が発生したら勿論公表しないのだろうけれど。


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『ムーンウォーカー』 70点

2009-11-18 23:46:25 | goo映画レビュー

ムーンウォーカー

1988年/アメリカ

ネタバレ

映像の‘ムーンウォーカー’

総合★★★☆☆ 70

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 この作品を観る時には、そもそも‘ムーンウォーク’とは何だったのか考えてみる必要があると思う。私の認識に間違いがなければムーンウォークとは前に歩いているように見せながら後ろに滑る走行であり、地球にいながら月にいるような走行である。つまり『ムーンウォーカー』とは映画を装ったミュージックヴィデオであることを忘れてはならないのだ。ここでマイケル・ジャクソンが意図したことは自分のデビュー当時の映像から始めて、1964年のビートルズの主演映画『A Hard Day's Night』のパロディーもあれば逆に「Bad」のミュージックヴィデオのパロディーを子供たちにさせてみたり、「Smooth Criminal」でのクライム・サスペンス映画や「Leave Me Alone」でのモンティ・パイソンのテリー・ギリアム監督のアニメーションのパロディーなど、ストーリーよりも様々な映像様式に自分自身を当てはめてみることに眼目が置かれている。だからこの作品に不満を持つとするならば寧ろ当時でももっとネタがあったはずなのに93分と短くまとめてしまったことにある。


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番組の質を向上させる手段

2009-11-18 00:15:02 | Weblog

イラスト・口語多用…バラエティー番組にBPO意見書(朝日新聞) - goo ニュース

 私にはこのバラエティー番組に対するBPOの意見書の意味がよく分からない。

具体的にどの番組のどこが問題なのか指摘するならともかく、視聴者の苦情が

多いからということで具体例として(1)性的表現などいわゆる「下ネタ」(2)いじめや

差別(3)芸人同士の内輪話やバカ騒ぎ(4)わざとらしい笑い声など見え透いた手法

(5)死を笑いごととして扱うなど生きることの基本を粗末に扱う――の5点をあげて

いてもこれらは「古い秩序や権威を笑い飛ばし、常識や社会通念を揺さぶってきた」

とBPOが評価した部分でもあるはずなのだ。私は苦情を言う視聴者は苦情など

言わなくてもテレビを見なければいいのにと思う。見なければその番組は自然に

なくなっていくのだから。


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『ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(バプリック・エネミー)No.1と呼ばれた男...』 100点

2009-11-17 23:55:19 | goo映画レビュー

ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(バプリック・エネミー)No.1と呼ばれた男 Part2 ルージュ編

2008年/フランス

ネタバレ

‘S’の悲劇

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 予め言っておくと『Part 1 ノワール編』の冒頭のシーンはこの『Part 2 ルージュ編』の最後で細かく描写されている。
 このフランスで‘社会の敵ナンバー・ワン’と恐れられた男、ジャック・メスリーヌが主人公で2部構成の作品から、どうしても今年の初めに観たスティーヴン・ソダーバーグ監督の『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』と比較したくなってしまう。ソダーバーグの作品は残念ながら失敗だった故に苦痛だった265分の苦い記憶が甦ってしまい、ジャック・メスリーヌも最初は観ることを躊躇ったのであるが、今回の246分は十分に堪能できてほっとしている。
 ジャック・メスリーヌの不幸が何だったのか考えると、ひとえに彼の名字にあるような気がしてならない。メスリーヌは‘Mesrine’と綴られて‘メリーヌ’とフランス語では発音されるのであるが、‘s’があるために‘メスリーヌ’として有名になってしまう。ジャックは‘メリーヌ’と‘メスリーヌ’の2つのアイデンティティーに振り回されているように見える。
 アルジェリアでの従軍時でもジャックは女性を避けて男性を銃殺するなど、基本的に女性には優しい面があるのだが時々悪事に手を染めようとするジャックを非難した妻を殴るなど非情な面をのぞかせる。
 強盗犯でありながら監獄の改善を求めるなど‘革命家’を気取り変装も上手いが故に、ジャック本人が自分が本当はどうなりたかったのか把握し損なっている苛立ちが父親とボスとの愛憎相半ばする関係と絡めて彼を無謀な行動に駆り立てている有様がとても良く描かれていた。


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